おかずの再利用は80%っ
今もつづく”食材再提供”という韓国の習慣
一日に何度も何度でも調理場とテーブルを往復するもの
白いご飯は雑穀米入りに、色が付いたらクッパに使います
[グルメミーナ]食材の再提供が話題だ、これまでにも幾度となく関係機関からの是正措置が試みられたが韓国人の心に染みついた”食材のリサイクル”はエスカレートしてゆくばかりだ。
(男)豪勢に設けられた韓食メニューには、数々のおかずがたくさんあります。
(女)このおかずがすべて新しく作ったのか、疑ってみたことがおありでしょう?
(男)韓国ではこれまでにも残飯とおかずリサイクルの店が非常に多かったが、全国の代表的な韓国料理レストランも同じでした。
シムチョンスク記者です。
[レポート]海外観光客も多く訪れる、有名な韓国料理店です。 おかず10種類がふんだんに設けられた卓上で客たちが懸命に食事の間、キッチンでは残り物のおかずを処理する手が奔走します。
キムチ、サムジャン、チョゲの塩辛など残したおかずはあまりにも当たり前のようにリサイクルタッパに直行します。
[録音]"ほとんど80%使っているとみるべきよ。80%使いますか。 残るふるいにかける?
それのおかず、"ある職員は皿洗いしながら同時に残したウズラの卵を洗って集めるのに余念がありません。。 こんなに集まった残飯は誰が食べる残したのかも知らない他の客の口に入ります。
[録音]"ウズラの卵もっと持ってきてかな? (君の知ったよ。もっと持ってきてよ)
27種類ものおかずを9千ウォンで提供したという、ある食堂では、箸で挿しても入らないほど硬い驚くべき卵焼きまで登場しました。 残したものを新しいものであるかのように変身させて出す度ごとに電子レンジに向けたせいです。
[録音]"これどうしてこんなに固いですか。 とてもそれして。 /あまりに焼いてですか?"食べ残したおかずを包装して持って帰るという客の要求は言下に拒絶します。
"ここのおかずは梱包できませんか。 はい、もったいない。 それではしまいそう。 言えないよ。"おかずのリサイクルの悪循環を断ち切ることができる秘策はないか
食材の再利用をよしとする経営者の思想がそのままアルバイト店員にまで拡散しています
[アルバイト店員]僕らは絶対に食べませんよ、自分で選ぶときにはそうしません
韓国人の心に深く根ざした食材の再提供は、不衛生という概念を超えて利益至上主義の実現のために今日も繰り返されています。
(翻訳:みそっち)
読者さんのなかには1970年代のソウルをご存知のひともいるかもしれません、ちょうどニホンのノーキョウなどによるハワイ旅行など海外旅行のブームが一段落したころ、韓国にもこぞって成人男子がお出かけした時期がありました。その時ってどのようなものが食べられていたのでしょうか。
もちろん隣に座るおねいさんだけが気になったりして、ビールで悪酔いをしたような記憶しかないでしょう。
1970年代の韓国に行ったら宴会料理でコレは無かった
まず、ビビンバはありません、外国から来る賓客に出すようなものではなかったからですね、同様に参鶏湯(サムゲタン)も無かったでしょう、あれは保養食でしたから特定の時期だけに食べるものなので観光客に出すようになったのは最近のことです。
ノリ巻き(キムッパ)も出ないでしょうね、あれは屋台などで食べるものですから
焼肉に葉っぱを巻く?、これは骨付きカルビのハサミで切るのをご記憶の人もいらっしゃるとおもいますがおそらくこれがメインだったものと思われます。
冷麺も無かったでしょう、そのかわりチヂミは冷えたのが並んでいたはずです
飲み物はビールと日本酒がふんだんにあったようです、洋酒となるウイスキーは当時関税が高くておいそれと手に入るものじゃなかったハズです
マッコリなんてものを当時の韓国で飲んだ記憶のあるひともいるかもしれませんが当時のマッコリは今のものと違ってかなり酸っぱいものでした、それをおそるおそる観光客向けに飲ませていたという記録はあります(マッコリの製品名はわからない、たぶん自家醸造品だったらしい)
当時の韓国料理は大皿に盛ったものというのが普通でした、それはちょうどニホンで言うところの”舟盛り”にも似た一見して箸のつけにくい”観賞用”の料理だったかもしれません
▲韓国の伝統的な料理シリーズの切手(2004年発行)韓国料理のイメージとしては大体こんな感じになっている、しかし神仙炉は1970年代にブームになった中華料理の亜流である
いまでは焼肉も一般的になりましたが1970年代半ばまでは肉はソウル中をさがしても手に入らないようなものでした(葉っぱで巻いて食べる習慣も1980年代から)
ニホン風な刺身なども当時の鮮魚の流通条件では見つけることが困難だったようです
つまりニホンからの旅行者が当時の韓国で食べたものというのはほとんど記憶に残らないけど”口に合わないものだった”という程度のものだったわけです
わけも分からずキムチだけは何種類もあった?
最近多くなった”小皿の数だけで勝負”する様式さえも1996年のKBSドラマで王朝時代のブームがおきるまではまったくこの世に存在していなかった食事文化だった。
※祭祀のときに過度に小皿料理を並べる習慣が王朝文化の捏造とこんがらがってわけのわからないものになったらしい
ニホンでは宴会文化というものがあります、バス1台分位の人数が伊東のハトヤに行くようなあれです。これはもうお風呂上がりに浴衣を着て大抵はステージがあってカラオケで盛り上がるのでしょう。
いまでこそ韓国といえば罰ゲームとしか考えられていませんが10年とちょっと前までの韓国といえば、”キーセン観光”しかありませんでした。
もしも何かの拍子に”社員旅行が韓国だった”なんてひとがいるかもしれません、どんな食べものが出てきましたか? 飲み物はビールだったでしょ。もうちょっと規模を小さく考えると、”お得意先と一緒”に韓国にゴルフに行ったひともいるかもしれません、食べ物や飲み物はどんなものが出ましたか?
当時”宮廷料理”なんてものは無かったでしょ
ニホンでは新年になるとお得意先も呼んで新年会があります、これは地元の宴会スペースのある割烹などが使われました、人数分のお膳が並んで偉い人から順に座ったりするアレですね。固形燃料で何かするのもありますよね、でも自宅で固形燃料を使ったり、先づけや小鉢が並ぶような一般家庭の食卓はありません、だからといって天ぷらを家で食べないという家もほとんど無いでしょ。
韓国では最近になってビビンバとかも綺麗に盛り付けるようになったけど文化の原点は”混ぜ合わせたものを食べさせる”ってことですから食材の再利用にも抵抗感ってものがないんですよ、そしてロクなものじゃないってわかってるんです
自分じゃ食べないんです だから大丈夫