minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

セウォル号の子供たちの教室っ



セウォル号の子供たちの教室どうしましょう

"追悼・反省の空間…存続させて"、"新入生の教育空間…移転しよう"
”名誉三年生”という教室も来年の新入生のために”卒業”したら? とんでもないっ


イメージ 2[NEWSミーナ]来る6日には、セウォル号惨事の発生から600日目を迎える。 最近、京畿道教育庁が安山檀蜜高校の犠牲の学生教室を学校の外へ移す案を発表しているなか、2年生たちが使った教室を存続しようという遺族らとの葛藤が増幅されている。

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▲この5月、写真作家チョジェムさんが撮影した京畿安山檀園高校名誉3年生の教室。

30日、京畿道教育庁と4・16家族協議会によると、13日、道教育庁は教室の机と椅子と椅子、黒板、什器、遺品などを学校の周辺の移し、もともとの教室の姿のまま再現する案を遺族側に提示した。 来年1月にある名誉卒業式の後、安山教育支援庁の別館に移転して、2年後、原稿の進入路の隣の市有地(道路敷地)に5階規模の仮称'4・16民主市民教育院'を建設し、復元するということだ。

昨年4月、セウォル号惨事で犠牲になった檀蜜高校2年生(名誉3年生教室10個と教務室1つは今まで原型のまま保存されてきた。 学生たちが使った機材や遺品、訪問者たちが学生たちに残したメモなどがそのまま残っているこの教室では市民団体4・16記憶貯蔵所が週末ごとに、一般市民を対象に追悼プログラム”記憶と約束の道”を進めてきた。
教室の移転案を打ち出した教育庁側は"(当該教室を存置した場合、教室が足りず、新入生を受けるのに困難がある"という論理を展開する。 今年までは惨事のために3年生の人数が絶対的に少ないために教室運営が可能だったが、12クラスを新たに構成する来年からはちょっと難しいという主張だ。
教育庁関係者は"教室がその場に維持されることで、在学生が勉強するために直接・間接的に心理的な影響を受けるという父兄たちと檀蜜高校側の立場も反映した"と話した。 実際に檀園高校在学生の父兄たちは、学校運営委員会を中心に"名誉3年生の教室を在学生たちの学習空間として返してほしい"、署名運動を展開したりもした。

教育庁の提案にセウォル号遺族たちで構成された4・16家族協議会側は反対意思を明らかにしている。 故ユ・イェウンの母親パク・ウンヒ(44)氏は"全体構成員たちの議論を経なければならないが、現在各単位で意見を聴取した結果、'存続'が優勢な状況"とし、"当該教室は記憶と追悼の空間であると同時に'じっとしろ'いう言葉に象徴される子供たちに対する教育を反省する歴史的現場"と話した。

遺族らが'教室前'に反対するのは今までに学習された政府当局に対する不信のためでもある。 パク氏は"教育庁側から地域社会と十分な協議がない状況で4・16民主市民教育院の建設を推し進めている現実が懸念される"、"政府が大言壮語していたセウォル号引き揚げもまだ完了されていないように私たちはこれまで何一つまともに行われていない不当な現実を全身で経験してきた"と話した。

最近は遺族らと意を共にする彼らで構成された”4・16教室を守る市民の会”も発足された。 グォン・ヨンチャン4・16教室を守る市民の会実務団長は"まだ帰ってこない行方不明者もいるし'反面教師'にすべきだということで教室をそのまま保存するのが正しいと思う"、"遺族たちの思いどおりに行われることを望む"と話した。 この26日から市民の会が行ったオンライン署名運動には30日現在計5200人余りのネットユーザーが参加した。

'檀蜜高校の教室の存続論争'に市民たちの反応も交錯している。 大学院生のイ(25)さんは"あえて教室まで保存していき、新たに入ってくる学生たちに迷惑をかける必要があるのか"、"それよりも犠牲を哀悼する追悼碑などを建てるのが良いと考える"と話した。 主婦のキム某(49)氏は"そのままの姿で保存しようとする遺族たちの心を政府当局がちょっと考えてほしい"とした。


(翻訳:みそっち)



珍島郡室内体育館 を追い出された行方不明者の遺族と支援者は、彭木港 (バンモク港)にあるセヲル号焼香所とプレハブハウス(10棟)に立て篭っています。
一部の勢力は光化門広場で断食をしていましたが、このあいだの反政府デモで、たぶん立ち退きをしたのかなっと思います。

韓国型被害者心理から見ると、最初の聖地を追われてバンモク港の焼香所と檀蜜高校の2階と3階にある10つの教室が最後の砦となっているわけです。
その一方で来年には当時2年生だった子供らの学年が来年には卒業ということですから新入生のために教室を使う必要があるということなんですね。
それまで自由に出入りしていた父兄も、”卒業生”の父兄ってことになるので学校側では対応に苦慮しているそうです。

なにしろ”お金になる”遺族商売ですから、こういうのが無くなるのが一番困るんですよね、朝鮮時代までは死んだら山に捨てに行くだけだった韓国の遺族文化もこんなふうになっているのです。


現在の教室はこんな感じですが、あたらしい生徒がやってくるとなるとこのへんのものをすべて処分しなければなりません。

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そこに根付くように鉢植えが飾られている

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遺影のほかにもお菓子類や飲み物が所狭しと置いてある

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これらの大量のお菓子が今もそのまま残っているわけじゃないけどね

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黒板には白墨で寄せ書きが書かれているが大半は判別不能らしい

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ところどころにあるスッキリした机は助かった子供や見つかっていない子供の机だ

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黒板への落書きが禁止されると付箋ポストイット3Mが張り巡らされることになった

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事故直後の教室のようす、見つかった順に机の上に花束がおかれている

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事故直後の教室のようす、黒板には子供らの書いた”修学旅行”の落書きがある

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ガラスにもペタペタと貼ってある、これらを全部除去しないと新入生が嫌がるね

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お菓子、花、学用品が並んでいる、自分ちの子供の机に運び込む親も多かった

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夜な夜な、あの教頭センセがする授業の声が聞こえるようなことはありません

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教室の札もそのまま進級したことにして3-3(2-3)ってなっています

そんな檀蜜高校の教室は写真にもあるように黒板は落書きだらけで机の上には出しっぱなしになっているものが散らかっている状態なわけです。
この教室に入るのは何年生なのか決まっていませんが、”遺品”や”お手紙”のようなものを処分するとなると相当な軋轢が予想されるということで、教育庁側は学校に後処理をするように圧力をかけ、遺族や急進派の市民団体などはそれに抵抗するということがずっと続けられてきました。

まぁとにかく来年には卒業ってことなのでどうにかしなきゃならないという課題が目白押しとなっています。



そういえば、学校につきものの”給食の時間”の配膳を、”給食費を払うから帰ってこない子供たちの給食を並べてくれ”という要求があったそうですが、即座に却下されていました。


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