minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

今、韓国では法定金利が野放しです


規制?今だけは…、貸金業界は'無法状態'

金利の上限の規制が昨年末に底なしになってます 旧来の金利66%なんだけどね


イメージ 1[はたらけミーナ]貸金業の最高金利を引き下げる法案が国会を通過できないながら、最近、貸金業界は、利息制限がない事実上、無法状態です。 しかし、法が可決され、金利が低くなったとしても問題が解決されるかは疑問です。 几帳面な経済で会った人たちは、規制があろうがなかろうが、高金利と、不法取立てに苦しまれていました。

手を伸ばせば触れられるほど近くにいる不法私金融の誘惑。
法が定めた貸付業、最高金利は2007年まで66%でした。
10年の間このように半分水準まで降ったんですけど。
それでも貸し付け仲介営業は最近一層増え、不法私金融は依然として大手を振っています。
法網を避けた高金利融資で困難を経験した事例自負から会ってみました。
2012年事業の失敗で無職者になったイ某氏が助けを求めることができたところは、貸付業者だけでした。
当時、最高金利の年39%に1500万ウォンを借りる瞬間、借金の悪循環が開始されました。

[イ某氏/違法な貸金業利用者:平凡な人が一月に利子を70~80万ウォンさえ払えば、生活が大変じゃないですか。 最初は引き続き利子だけを払い、途中で放棄しました。]

延滞が始まるやいなや、圧迫は、全方位で締めてきました。

[イ某氏/違法な貸金業利用者:催促のメールが(一日に)100通もします。 その一日二日後には知人たちに電話します。 一緒に働く人たちを気見えて結局はそこでも辞めました。 後に家族に電話が来てました。 惨めなものでしたその時は。]

結局、信用回復委員会で、元利金の一部を帳消しされて借金の泥沼から脱することができました。150万ウォンが延滞されると、職場はもちろん、家まで来て、取立てする場合もありました。

[カン某さん/違法な貸金業利用者:(家を訪問したくることが)多かったです。 夜にもやってきます。 扉を叩いてです。 どこでもかまわず 名前だけずっと呼んでます。]

暴言と威嚇も継続されました。

[カン某さん/違法な貸金業利用者:ヤクザのような感じで威圧感を与えるんです。 悪口をしながらその人が先に私の胸ぐらを捕まえました。 捕まえて引き出そうとしていたので、私が押してしまったんですよ。]

しかし、債権が貸し付け業社たちの間で回り、元本の返済時期を逃し、カンさんの信用等級は最下位に落ちました。

違法な貸金業の広告は規制をあざ笑うかのように、ますます進化しています。
インターネットの記事形式で簡単便利をするかと思えば、SNSを通じて低金利の政府金融商品を売ることのように人を引きずり込みます。

一つの会社に直接相談を受けてみました。

[A貸付業者:お日様ローンで借りられなければ、一般キャピタル、貯蓄銀行、銀行からローンを一緒にしてあげています。 お客様はお日様ローンが利用できません。]

低信用・低所得者に融資してくれる、庶民金融商品お日様ローンは農協など相互金融と貯蓄銀行だけで販売するのに、この広告はでたらめです。
会社自らも特定のフレーズが誇張広告の余地があるという事実を認めます。

[A貸付業者:このような申し上げることはところで、広告は若干そのことがあるじゃないですか。 率直に言いますとです。 企業広告とかこんなところにも良い点を浮上させるじゃないですか。]

[キムサンロクチーム長/金融監督院庶民金融:上限なしで1億ウォンの融資が可能とか、信用等級照会もなく、融資が可能だというふうな文句は、虚偽誇張広告である可能性が非常に高いです。]

急にお金が必要だとしても、韓国イージーローンを通じて、制度圏金融圏で自分に合う最低金利融資が何か、まず検索してみるのがいいです。

今年下半期年間10%台の融資を掲げたインターネット銀行に金利規制まで強まると、貸金業は居場所が次第にせばまるという見通しです。
消費者の注意はもちろん、業界内の自浄努力が切実に見えます。


(翻訳:みそっち)



ソウルでは観光客の歩くところでは両替屋をよく見かけます、あとはコンビニとサラ金と質屋さんが多いですよ、もちろん利用してるひとも多そうですね。
お金がなければ借りてくるっていうのは朝鮮時代からずっと続いてきた文化です
当時の朝鮮は経済が停滞していましたからはお金が流通してませんでした、貸すのはたぶんお米とかでしょうね。貸すほうは利子が収入になりますからなるべく貸しっぱなしがいいわけです。たとえばお百姓さんが種籾を借りて収穫期に返すんですがそのままじゃ受け取らないのです当時のお百姓さんは小作農でしたから地主さんの畑にへばりついていたんですね。畑でとれたものはみんな持ってかれちゃうでしょ。結局また借りるんです。ニホンが朝鮮のそういう事情を知ったのは総監府を置く前です。
ここで農業なら近代化を図り収穫をふやすことで生活が安定するはずでしたが、収穫が増えてもそれはどんどん収奪されちゃうんですね。ニホンはお金を出してコメを買いましたが畑のコメは土地の持ち主のものなのでお百姓さんの暮らしが良くなったわけではなかったようです。
ニホンが統治する前は畑を捨ててソウルにやってきたひとが南大門の前とかでたくさん暮らしていました。ニホンの総監府ではそういうひとたちへは土木工事などでお仕事を与えていましたがそっちのほうも斡旋業をはじめるひとがどんどん搾取しちゃうんです。
結局ニホンに出稼ぎしたひとたちはどうにかなったし、農業を追われて都市部に逃げ込まなかった連中は山に逃げ込みました 焼き畑農業ですよ。そういうひとたちは1970年代まで山の中にいたそうです。

そんな生活がつづくと『借金を返すやつがバカ』『お金を貸すやつがバカ』という考えになったようです。もちろんお金を貸すやつは頭がいいんですがそっち側じゃないひとにいわせると『お金を貸すやつが悪い』ってことになるんですね。そのへんの考え方は現在でも脈々ですからね


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安静になさってください



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