罷免や解任、訴請審査で懲戒を減軽
韓国では犯罪者は処罰されない④
罷免・解任された性犯罪の警察官 半分は依然として現職勤務
3年間66人のうち31人罷免・解任されたが、訴請審査で懲戒減軽してもらう…
[ソウルミーナ] 最近、3年間性的暴力、わいせつ行為など、性に関わる不正で罷免や解任されたが、訴請審査で懲戒を減軽してもらって依然として勤務中の警察官が30人を越えることが分かった。
2014年27人⇒2015年50人⇒昨年71人 年々増加
同じ職場内の同僚女性警察官を対象に性機嫌を犯した警察官が68人で最も多く、捜査に影響を及ぼしかねず、接触をやめなければならない事件関係者を相手に犯行した警察官も18人もなった。
このうち4人は未成年者への性犯罪を犯して懲戒を受けた。性の不正の類型別にわいせつ行為が51件で最も多く、セクハラ46件、性売買11件、猥褻など9件、強姦・準強姦6件、隠しカメラ犯罪4件だ。
懲戒を受けた148人のうち66人は、性的暴力やわいせつ行為など程度がひどくて罷免や解任処分を受けた。
しかし、これらのうち、半分ぐらいの31人は、訴請審査で懲戒が減軽され、依然として警察官として服務中であることが確認された。
パク議員は "警察庁長が数回にわたって厳しく処罰すると約束した警察官の不正が絶えていない"、"強力な処罰とともに再発防止に向けた教育など、より根本的な措置が必要だ"と指摘した。
(ソウル/みそっち)
これわね、韓国人の性理学的思考で、悪いことをして捕まる。そこでこの件はおしまいとする考え方ですね。 悪いことをするのは仕方ないが、それが捕まったことですべて解決したものと考えるという『自分を棚に上げる』式の考え方でしょう。
朝鮮時代の身分のひとつに両班っていうのがあります、これは世襲制ではなく、没落するものや雇人身分になるものもいたわけですが、これが一切の処罰を受けない身分ということで何をしてもOKという時代が長く続いたわけです。それを見ていたその他のひとにはそれがうらやましくてしかたないですから、後には「自称、両班」なんていうのが現れ、さらには韓国民のすべてが出自を詐称してどこかの両班家の家系図に載ることになりました。
つまり羨ましくて仕方なかった世界を現在に具現化してできたのが韓国型社会ということだと考えればわかりやすいですね。
性理学と実学
中国明の影響を受けた自分を棚に上げる性理学に代わり、中国清の支配下に入った朝鮮中期になると清国考証学の影響から〝実学〟が尊ばれるようになった、とモノの本にはありがちですが、この実学というのは、『裏付けを付ける事』と言い換えれば分かりやすいでしょう。
これにより、中国の歴史書などが盛んに朝鮮人にも知られるようになると、朝鮮にも歴史が必要ということが叫ばれ始め、三国遺事などが改めて最編纂されるなどトンデモ本が盛んに作られた。 というわけで、朝鮮の実学の時代に李舜臣将軍や世宗大王といった過去の人物の業績が次々と編纂されて(創作だけどね)いつしかホントにあった出来事であったように朝鮮民に知られるようになった。 というわけです。
韓国人の創作する近代史
前にもちょっと解説しましたが、『太閤記』 の冒頭に出てくる「橋の上の針売り」の部分は創作でしょ。んでも踏んづけた蜂須賀小六の子孫は蜂須賀侯爵家でこの間まで存在してたですね。 韓国では読み物と現実の区別が曖昧なんですよ。
柳寛順なんて誰も知らない
柳寛順っていうのがいますよね あれって1947年にこの世に初登場した人なんですよ。
それ以前の記録には出てこない小物なんです。 今の梨花女子大っていうのが1947年ころに記念碑をつくって慰霊祭をしたわけなんですが、それまで忘れ去られていたひとなんです。なんでそんな25年も忘れていたのに記念碑をつくったのかというと。 その当時の梨花学堂が勢いがある次期大統領といわれる李承晩に気に入られたくて抗日運動があったころにウチの学生が参加していた ってことを都合よく思い出して利用したというのが事実なんです。
これが翌年には脚本化され映画撮影されて翌1949年に公開されています。
当時の柳寛順の出てくる新聞記事全部(期間:1890年〜1950年)
http://www.nl.go.kr/newspaper/sub0101.do?q_keyword=유관순&category=all
ですから、『死んだ、逮捕された 投獄された』という新聞記事は存在していません。 投獄の記録は刑務所にありましたが、罪状の記録は残っていません。
ってことで波乱万丈の大活躍はその場(1947年)で作られた創作なんですが、脚本を書いたひとが梨花女子大から金を受ける約束で書いたという証言が1960年代に出てきていました(お金は受け取れなかったみたい)
このへんもまさに今の韓国人と変わってないですよね
でしょでしょ