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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

寺子屋と書院について


寺子屋と書院の誤解について



寺子屋と言えば、
「書院」というのがあって8歳頃まで通っていたという1936年生まれの密入国在日老人画家がいるんですけど、
<朝鮮時代の後期に大院君という王の父がいて、書院をみんな廃止するんです。ようするに、儒学者たちがあまりにも政府のいうことを聞かないで勝手なことをやるので、それを廃止する。>
なんて言ってます。
ttp://www.oralarthistory.org/archives/lee_u_fan/interview_01.php


書院の乱立とその弊害...。



子供の時は――日本でいうと寺子屋みたいなものですけど――書院に行ってました。朝鮮時代の後期に大院君という王の父がいて、書院をみんな廃止するんです。ようするに、儒学者たちがあまりにも政府のいうことを聞かないで勝手なことをやるので、それを廃止する。そういうことがあって、書院はえらい目に遭うんです。ただ、うちの場合は、他のところと似た部分もあるんですけれども、書院であると同時に祖先を奉る殿堂という意味もあって、書院というのを止めた振りをしながら、実際は書院が続いていくというものでした。書院では小さい4、5歳から漢文を教えるということがありました。一方にまた、村に夜学というものがあって、女性や子供たちにハングルとか、簡単な算数とか、修身道徳を教えるところがありました。その両方が、漢文やハングルを完全に教えるということは、要するに学問崇拝の思想で子供たちを修業させる、勉強させる、そういうところでした。   ココ


党派争いをする学者の交流するようなところで弾圧されたのが書院ですね

一方の1936年生まれの8歳といえば戦時中です、当然ニホンの義務教育のあった年代ですから義務教育の普及してなかった山間の村のハナシでしょ すくなくとも朝鮮時代のことじゃない
漢文の素養のなさそうな在日が ”寺子屋=書院” という主張を、”物心” ついたあとになって知って自身の経歴に混ぜているだけのハナシですよ。

朝鮮時代に寺子屋のような庶民教育機関が存在していなかったことは事実なんです


◇ ◇ 


檀園風俗図帖がこの世に初めて出てきたのは1957年のこと(1918年に前に持ち主が買い入れたという主張がある)、その頃には李舜臣将軍の長刀なんてのも発見されています。ニホン総督府の凄絶な収集癖に引っかからなかったお宝だという主張は2つに共通しています。 

関連過去カキコ


それがふたつとも唯一無二の国宝級といわれながらも ”宝物” という分類になっているあたりが少しおくゆかしい気がします。

韓国ではすでに拙速なお宝発見、国宝認定~偽物判明という実例が度々あるんです


関連過去カキコ


すべてに共通するのは韓国人が発見して、韓国人が鑑定して、韓国人がお宝認定したということです。


ちなみに李舜臣将軍の遺物というものはニホン統治時代にはひとつも発見されていません (最近ではいくつかあるんだけどね) ← 次はココ


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▲197㎝もある長刀が二本セット(合金製)


えっ乱中日記? あれは17世紀に描かれた(書かれた)ものですよ




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だからさぁ んもぉ