minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

騙されてませんか ソウルの韓屋村

 
厳選過去カキコ⓬
 韓屋村がすごいことになっている
 
おしえてソウル 「知らなくて良かった」、「聞いてたら行かないよ」
韓服を着ておしゃれなソウルを歩く? ニホン向け観光資料に騙されないで
 
[ソウルミーナ]ソウルにはいくつかの景観保護地区のようなものがあります。韓屋村って言いますよね。 んでもその実態は1930年代に増えた都市流入民向けの低廉な建売型住居分譲を手掛けた住宅販売会社の企画による安価な木造分譲住宅の成れの果てを表わしています。外観や使用部材はそれまでの官衙や寺院をモノマネしたもので、
その始まりは1930年代のソウル未開発地域の開発分譲から始まるようです。
 
カラーのイメージ写真には木造平屋建てが並び、小奇麗な路地には花壇もあったりして何にも知らない観光客向けにはソウル探訪スポットなんて紹介されたりしています。

 

一度韓屋に認定されるとその修理再生には自治体からお金が支給されるが、そのお金を生活費に使ってしまうので、実際の雨漏り対策はこのようなテント地を拡げた杜撰なものになるしかない。

中や火災に弱い韓屋に覆われたテントは火災の危険性をさらに高めることができる。

中には火災に弱い韓屋に覆われたテントは火災の危険性をさらに高めることができる。

 

雨が漏れる瓦屋根の一部をビニールでかぶせるはんだ付けされた補修が仁寺洞では一般的だ。

 雨が漏れる瓦屋根の一部をビニールでかぶせる応急的な補修が仁寺洞では一般的である、なぜならば伝統韓屋は私有財産であるためだ。伝統韓屋に後続的な保存費用の支給などの規定は無い、規定にそった修理が行われた場合には支援金が支給されるだけだ。

つまり、普段通りの修理が行われているのである。これが韓国人の住宅意識である。

 

プラスチックスレートやサンドイッチパネルなどで屋根をかぶった韓屋。

  プラスチックスレートやサンドイッチパネルなどで屋根をかぶった韓屋、しかしこれでも国や自治体から支援金を受け取っている伝統韓屋なのである。

 

ソウル市が韓屋を体系的かつ持続的に保全・振興するために指定した鍾路区仁寺洞一帯「韓屋保全区域」が適切な保守と管理が行われず、テント村に転落している。村ならではの素敵で静かな雰囲気は見られませんでした。テントを覆っていなくてもギワット場が乱れ、壊れたり、固定装置なしで積み重ねて落下事故が懸念される場合が少なくなかった。

韓屋保全区域で伝統文化の空間を誇る仁寺洞で、韓屋の素晴らしさが行方不明になった現実は、単純な景観毀損の問題を超えている。屋根の上に乗せられたエアコン室外機も荷重と振動により韓屋の老朽化を加速させることができる。

屋根を覆ったテントは火災の危険性も高める。仁寺洞は2013年「火災警戒地区」に指定され、消防当局の特別管理を受けているが、整備されたテント屋根を制限する法的根拠はない。鍾路消防署関係者は「年2回実施する特別調査で消火器や単独警報型検出器を中心に点検するだけで、私有財産である屋根施設物に対して線撤去または是正を命じることができない」と話した。

 

 

 

韓屋修理費を支援する制度がないわけではない。ソウル市は韓屋密集地域の場合、総修理費の3分の2限度で最大1億2,000万ウォンまで、仁寺洞と北村、西村など韓屋保全区域は1億8,000万ウォンまで支援している。このような破格的な支援制度にもかかわらず仁寺洞がテント村の世話を免れないのはなぜだろう

テントをかぶっていない瓦屋根の中には瓦の熱が乱れたり壊れたりするなど、補修が必要な場合が少なくなかった。

伝統韓屋の場合、再生に使われる瓦はひとつ2万ウォンにもなる。むしろお金だけを受け取りテント地を拡げて暮らした方が良いと考えるわけだ。
瓦屋根に重ねたテントが風に吹かないように、その上にギワット場が置かれている。
瓦屋根に置かれたエアコン室外機は荷重と振動を発生させ、老朽化し​​た韓屋構造に負担をかけることができる。
 
こんな風に紹介されがちですよね、もちろん映画のセットじゃないですよ
 
 
 
1954年ころの北村韓屋村 
 
 
 
    今回だけ屋根の上を良く見てみましょう。
 
 
 
伝統家屋ですよね 住んでますよ
 
 
 
室外機がイイ味わいをだしています。
 
 
 
 
見どころは広げられた防水シートでしょうか
 
 
 
 
まるごと覆っている家もありました(家なのか?)
 
 
 
それぞれの屋根の下に韓国人の生活があります
 
 
 
伝統的韓屋の歴史

現在の北村韓屋村は景福宮や昌徳宮、宗廟にかこまれた地域にあり、朝鮮時代までは両班や官僚が住む地域であったが、両班や官僚の没落や、宮殿の荒廃が進むと都市住民の流入が進み、最初に草ぶき韓屋が密集して建てられた。戦火の被害から逃れた嘉会洞一帯は瓦ぶき屋根が普及するとその多くが建て替えられ現在では観光スポットとなっている。

イメージ 21

1950年代までにそれまでの草ぶき屋根から瓦屋根に変わった

 
 
 
まさかの1920年代?
 
 
 
瓦が崩れ落ちてまるごと防水シートです
 
 
 
室外機も器用に覆っているようです
(韓国型施工には出口しか無い)⇐ ココ重要
 
 
 
 
路地も見えます
 
 
イメージ 12
 
土地の所有権と居住権が入り組んでいて、立ち退きとも無縁な韓国の
ひとたちのパラダイスでは開発の手がそこだけ止まっているわけです。
 
 
◇ ◇ 
 
 
すこし新しい住宅も見てみましょう
 
イメージ 18
 
汲み取り式トイレが付属しているがバキュームカー
通れないので共同式トイレ棟が別途に設置されていた
 
1960年代の復興住宅
 
 
イメージ 16
 
まだまだ続くよ
 
 
イメージ 15