minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安(チョナン)艦を採点すると②

'天安(チョナン)艦を採点すると   1年MB損益計算‘大損害’
高まる波高、結局津波になる
 
[ミリタリーミーナ] MBの天安(チョナン)艦の一方的意地の張り合いが始まりながら韓半島緊張の波高が高まり始めた。
 8月3日“強力な物理的対応打撃で鎮圧すること”という戦線西部地区司令部名義の通告文、8月7日“私たちの警告は決して口先だけの言葉でない”労働新聞の記事にもかかわらず、韓国軍単独で対潜水艦訓練が始まった。 訓練が進行された時期にはこれといった状況が発生しなかった。
しかし訓練が終了して30分が経過した時点だった8月9日午後5時30分から北側の海岸砲発射が始まった。 6時14分まで130余発が発射された。 北側が訓練途中でない訓練終了直後海岸砲対応射撃をした理由は明白だ。 直ちに緊張を高めさせはしないという意思表現だ。 国連安保理議長声明採択以後たとえMBの意地悪によって大きい進展はないが現在の対話摸索の雰囲気を維持するということだ。
しかし北側の行動が見せるメッセージはそこで終わらなかった。海岸砲130発中10余発がNLL南側に着弾した。 8月10日合同参謀関係者は“北朝鮮が昨日ペクリョン島北方海上で10余発の海岸砲を発射”したし“NLL南に1~2km地点に乗ったぴったり”なったと確認した。 北側の海岸砲射撃がNLLを越えたことは初めての出来事だ。 これは5.24イ・ミョンバク大統領が言及した‘自衛権’を発動することもできる状況だった。
北米対話や南北対話がずっと進展を見ることができなくて対北朝鮮敵対的な軍事訓練が持続する場合、より程度高い軍事的対応ができるという明白な‘警告’メッセージであった。 しかし韓米両国は特にイ・ミョンバク政府はこのようなメッセージを読めなかったり熱心に無視した。 相変らず対話ない対北朝鮮強硬政策で一貫した。
北側は8月海岸砲発射以後に対南対話攻勢を強化した。 ‘抑留’させた漁船船員らを送還したし、離散家族対面を提案した。 金剛山(クムガンサン)観光再開のための当局間会談も提案した。 非常に破格的な歩みであった。 イ・ミョンバク政府が‘まず天安(チョナン)艦謝罪’を要求して対話を拒否するとすぐに北側は民和協ラインを通じて南北関係改善を模索することもした。 しかしこれさえもイ・ミョンバク政府の反対に成し遂げることができなかった。
 
相手にされなかった韓国 自業自得という
北側の対南対話攻勢が‘天安(チョナン)艦’にのっぴきならない羽目に陥ってこれ以上進展を見ることができなかった瞬間と北側が米国の核専門家たちを呼んで核施設を公開した時点が11月初中旬で正確に一致する。 詳しい意志決定過程は分からないが‘まず南北対話、後北朝鮮、米対話(6者会談)’という手順を通じて対話の雰囲気を演出してみようとする試みが失敗するとすぐに北側は核施設を公開したのだ。
対話になろうが、対決になろうが相手方を南側から米国側に変更したのだ。 そして11月23日北側は延坪島ヨンピョンド)を砲撃した。 去年8月海岸砲をNLL南まで発射しながら見せた‘警告’を現実化させたのだ。 11月23日当時韓国軍の砲射撃訓練が進行していた。
北側の延坪島ヨンピョンド)砲射撃は米国を呼称したことだった。 韓半島この脆弱な輪の停戦体制を強力に揺さぶることによって米国を交戦と対話中ある交渉条件引き出そうと思う意図であった。 特に延坪島ヨンピョンド)を砲撃することによって韓半島に戦争か平和か二つの選択肢だけ存在するという点を浮上させようと思っただろう。 したがって北側の延坪島ヨンピョンド)砲撃事件は待つことの戦略で象徴されるMBの分断管理政策の失敗を意味するということだったし、オバマ行政府の対北朝鮮政策だった善意の無視政策の破産を意味するということだった。
北側の延坪島ヨンピョンド)砲撃事件はそれ自体で停戦協定を違反した‘軍事挑発’であることは明白だ。 たとえ軍事施設内に存在したが民間人が犠牲になったという点で北側の攻撃行為は批判を受けて当然だ。 しかしその行動を批判するのとその行動の動機と背景を見分ける知恵は必要だ。 北側の延坪島ヨンピョンド)砲撃行為にはどんな方法でにしても詰まっている韓半島の正体状況を対話状況に変えてみようと思う‘北朝鮮式苦闘’だったとしても過言ではない。
とにかくMBの天安(チョナン)艦意地悪で緊張の波高が上がった韓半島延坪島ヨンピョンド)砲撃というその誰も想像できなかった津波が押しかけたのだ。 この津波が戦争危機を解消する役割をするのか、平和を破壊して戦争を呼び起こす役割をするかは米国の対応如何にかかっていた。
 
延坪島ヨンピョンド)砲撃の逆説、米中首脳の力説
逆説的にも延坪島ヨンピョンド)砲撃という‘軍事挑発’は北米対話の端緒を用意する効果を持ってきた。 延坪島ヨンピョンド)砲撃事件以後ビル・リチャードスン ニューメキシコ州知事が北朝鮮訪問をした。 もちろん公式的には個人訪問だった。
しかし2008年ビル・クリントン前大統領の北朝鮮訪問当時ホワイトハウスと米国務部の事前調整の中で進行されたようにリチャードソン州知事北朝鮮訪問やはり米行政府の意思が反映されたことだった。 特にすでに二度の北朝鮮訪問試みがあったが韓国政府の強力な反発でリチャードソンの北朝鮮訪問が失敗に終わった点を勘案すればリチャードソンの北朝鮮訪問は米国務部の承認の下進行されたと見ることが妥当だろう。 実際米国務部は北朝鮮訪問前と後にリチャードソンに会って多くの内容を共有したことがある。
2010年12月20日延坪島ヨンピョンド)砲撃事件以後一寸の前を見通すことはできない韓半島政局で平和的解決での進入展望が見えた歴史的な日で記録されるだろう。 その日午前北側とリチャードソン州知事は北側の国際原子力機構視察団の復帰と使用後燃料棒の海外販売などに対して合意をした。
北米の間に交渉の端緒が用意されたのだ。 そしてその日午後南側で進行した軍事訓練に北側は軍事的対応をしなかった。 北側は‘チョン・傀儡者らの誘致した火遊びに過ぎなくていちいち対応する価値を感じることができなかった’として対応自制の理由を明らかにした。 一方で南側政府は‘私たちが強く出て行けば北朝鮮は常に尻尾をおろす’として北側の対応自制の理由を説明した。
当時韓国軍の訓練が北側の主張のとおり‘チョン・ハビおくびょう者らの誘致した火遊び’であったか可否は把握することも難しくてそれを把握することがそれほど重要ではない。 ただし北側はビル・リチャードスンの北朝鮮訪問を成功させたし彼と核関連重要な内容を合意することによって11月23日延坪島ヨンピョンド)砲撃事件を起こした目的を達成した。 北側は米国を呼称したし、米国はその呼称を受けてリチャードソンを送ったしリチャードソンを通じて北側は米国に協議案を投げたためだ。
 
北朝鮮は韓国など相手にせず 以後米国との交渉を選ぶ
したがって北側としては12月20日砲射撃訓練にあえて対応する必要がなくなったのだ。 また、一つ重要な事実がある。 当時訓練の核心戦力だったK-9自走砲12門中1門が訓練に参加したし4発を発射した。 また、射撃水域が変更された。 弾着地点を北側NLL側からもう少し後方側に後退させたということだ。
キム・クァンジン国防長官は21日国会で弾着点変更可否を尋ねるハンナラ党国会議員の質問に“それは訓練の時ごとにいくつか使用できるから時期的に違う”と答えることによって射撃区域が変わったことを示唆した。 総合すれば射撃訓練の性格はそのままのせたとしてもその規模は大々的に縮小された。 この点やはり北側が対応を自制した理由であろう。
とりあえず延坪島ヨンピョンド)砲撃事件以後1ヶ月余りぶりに状況は逆転した。 北米の間に対話の雰囲気が形成された。 このような雰囲気は2011年1月中旬進行された米中首脳会談でもそのまま引き継いだ。 この会談で米中両首脳は韓半島問題と関連して大きく二種類問題を合意した。 最初に、韓半島平和と安定のために南北関係進展が必須事項であることを確認した。 二番目、韓半島非核化のために6者会談を早く開催することに合意した。
ここで重要なのは南北関係の進展が6者会談の前提条件でなく南北関係の進展は韓半島平和と安定の必須事項というものだ。 言葉の遊びのようだがこれは非常に重要な意味を持つ。 これはこれまで韓米両国がオウムのように繰り返して言ってきた‘先南北関係、後6者会談’を米国があきらめたのだ。 米中両国が‘南北関係、6者会談分離接近法’を力説したわけだ。 自発的でも非自発的でも米国がこれに同意した。 イ・ミョンバク政府?は一人ぼっちになったのだ。
ここに北側がすぐに登場した。 米中首脳会談共同声明が発表されたすぐにその日北側は南側に高位級軍事会談を提案した。 彼のための軍事実務会談も提案した。 “天安(チョナン)艦事件と延坪島ヨンピョンド)砲撃前に対する見解を明らかにして朝鮮半島の緊張解消をするところ対し会談を持とう”ということだ。 緊張解消のための軍事会談席で天安(チョナン)艦事件と延坪島ヨンピョンド)に対することも交渉議題化することができるという立場を陳述したのだ。
 
それでも逃げ回るMB・青らの芝居
しかし結局南北軍事会談は決裂した。 イ・ミョンバク政府の天安(チョナン)艦意地悪の結果であった。 北側の軍事会談提案に対して統一部スポークスマンは“天安(チョナン)艦爆沈と延坪島ヨンピョンド)砲撃挑発に対する責任ある措置および追加挑発防止に対する確約を議題でする南北高位級軍事会談に出て行くだろう”と明らかにしながら軍事実務会談を受け入れた。 しかし会談の目的が違った。 北側は緊張緩和が目的であったし、南側は天安(チョナン)艦と延坪島ヨンピョンド)に対する謝罪が目的だった。 会談決裂は党心残り手順だった。
しかしその後日の暴風が現在荒々しく起きている。 まずイ・ミョンバク政府が交渉の詳しい事項を言論に公開した疑惑を捕らえるために大々的な保安監査に着手した。 名分が何だっただろうが会談決裂に対する責任を問うということだった。 なぜイ・ミョンバク政府は会談決裂の責任を会談参加者らそして会談をモニタリングした国防部、統一部関係者たちに尋ねようと思うのか。
信じられる消息筋によれば軍事実務会談決裂以後イ・ミョンバク大統領が震怒したという。 会談決裂の責任が結局南側に転嫁されるのではないかという憂慮のためだった。 この部分だけはイ・ミョンバク大統領の分析は卓越した。 北側は会談決裂すぐ次の日"わが軍隊と人民はこれ以上(南側当局を)共存する必要を感じない"と警告した。 このような警告は南側政府を相手にしたことだったが事実これは米国と中国に対するメッセージであった。
すなわち北側自身は南北軍事会談まで提案しながら緊張緩和すなわち米中首脳が合意した韓半島平和と安定のためにこのように努力しているのに南側がこれを受け入れないでいるという事実を米中両政府に公開したのだ。 これによりカードは南側でなく北側が持つようになった。 北側が緊張緩和に逆行する行動をするといってもその名分を南側による対話拒否にあると主張できる名分を持つようになったのだ。
 
 
続く・・・
 
(翻訳:みそっち)