minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安(チョナン)艦を採点すると①

'天安(チョナン)艦を採点すると   1年MB損益計算‘大損害’
真実埋められて対北朝鮮強硬策地方選挙ブーメラン悪材料、今は薬効消えて 
3月26日ならば天安(チョナン)艦事件が発生して1年になる。 去年3月26日以後天安(チョナン)艦は南北関係で第1の論争の種であった。 去年11月発生した延坪島ヨンピョンド)事件やはり天安(チョナン)艦事件で絡まった南北関係悪化の極端結果だったといっても過言ではない。
去る2月開催された南北軍事実務会談でも断然天安(チョナン)艦が核心だった。 南側は‘まず天安(チョナン)艦’すなわち天安(チョナン)艦襲撃に対する北側の謝罪なしでは南北対話は一歩も進展できないという立場を守った。 結局南北軍事実務会談は決裂した。 ※このまま唯一の南北首脳会談をしなかった大統領かな?
去る1年の間天安(チョナン)艦が南北関係の全てのものが飲み込んだとしても過言ではない。 しかし天安(チョナン)艦の真実は埋められてしまった。 たとえそれが天安(チョナン)艦の疑惑を提起する側でも天安(チョナン)艦襲撃に対する北側の責任を提起する側でも、天安(チョナン)艦問題を必ず確かめて行かなければならないという主張はもう現実性を失ってしまった。
もう必要なことは天安(チョナン)艦を迂回することだ。 それが天安(チョナン)艦事件発生1年が経過した今日の宿題だ。 韓半島の平和をいうならば話だ。 そのような点でイ・ミョンバク大統領の3.1節祝辞は示唆するところが大きい。 天安(チョナン)艦に対する具体的な言及が消えたためだ。 天安(チョナン)艦を迂回しようと思うのではないかという一抹の期待を持つようにするためだ。
しかし速断することは早い。 イ・ミョンバク大統領の一進一退発言がどこ今回の一度だけなのか。 もう少し見守らなければならない。 ところで北米の間に薫風が吹いている雰囲気が感知されている。 これはもう少し大きい期待を持つようにする。 北米の間の薫風が一進一退するMBの対北朝鮮政策をもう少し前向きで作ることができる効果まで勘案すれば北米薫風にかける期待はより一層大きい。
イ・ミョンバク政府に天安(チョナン)艦は花見は終わった。 しかし逆説的にも11月延坪島ヨンピョンド)砲撃事件以後花見割った天安(チョナン)艦がイ・ミョンバク政府に深刻な問題になった。 飲み込むには熱くて捨てるには惜しいジャガイモ話だ。 より一層天安(チョナン)艦が深刻な問題になってイ・ミョンバク政府に帰ってきた。
イ・ミョンバク政府は天安(チョナン)艦を迂回するだろうか。 あるいはイ・ミョンバク政府でとって天安(チョナン)艦を迂回することにする外部的力が作動するだろうか。 すぐにこの点が2011年3月の危機を免除できるキーポイントということができる。
 
天安(チョナン)艦操作は韓国側の南北関係を悪化させる勢力の仕業
天安(チョナン)艦事件が発生する直前まで韓半島に薫風が吹いていた。 中国は北側と協議した後‘北米追加的両者会談→6者会談首席代表会合→6者会談本会談開催’という3段階解決法を提示した状況であったし、米国がそれに同意して2次ボズワース-キム・ケグァン会合を準備していた。
そして2次北米両者会談が6者会談につながらなければならないという前提を付けて韓国政府に対する説得にも成功した。 北米両者会談の技術的な困難を提供したキム・ケグァン北側外務省副相のビザ問題も解決された。 中国が提案した6者会談3段階解決法の初めての段階が始まろうとした瞬間だった。
そのような渦中に3月26日天安(チョナン)艦が沈没する事件が発生した。 時点が絶妙だった。 6者会談が再開になろうとする時点に6者会談は話す必要もなくて南北関係も沈没させることができるメガトン級雷管が爆発したのだ。 初めからそんなことではなかった。 国防部では連日‘北朝鮮の仕業の可能性’を強調していたがイ・ミョンバク大統領の初期認識はそうではなかった。
“私が船を作ってみて分かるのに波にもそうなることができる”という4月2日イ・ミョンバク大統領の発言、やはり同日国会でキム・テヨン国防部長官の‘北朝鮮仕業’発言に対して“返事が‘魚雷’側に傾いているような感を感じた”、“どちら側にも偏らないとおっしゃってくれ”といういわゆるVIPメモなどが代表的事例だ。 これは米国も同じだった。 3月29日米国務部は“私が分かることではそれ(北側の介入)が事故原因だと信じたり憂慮する理由はない”と断言した。
しかし4月中旬をたどりながら雰囲気が変わることになる。 “北朝鮮の仕業とあらわれればまず考えることができるのは国連安保理にこの問題を提起することがありえる”(4月18日ユ・ミョンファン外交部長官),“(北朝鮮仕業という)物証が全くないことではない”(4月19日キム・テヨン国防部長官),“すぐに近くに北朝鮮が、最も好戦的な勢力があるということを一度悟る機会になれば犠牲になった人に対する恩返しもなること”(4月21日イ・ミョンバク大統領)という発言らが続いた。
韓国政府のこのような気流変化の中で米国の立場も変わっていった。 4月26日カート キャンベル次官補は“天安(チョナン)艦事件の状況進展により中国が責任ある役割をしてくれることを要請した”とすることでMB政府との協力を強化していることを示唆したし、そのような気流を感知したことなのかボズワース対北朝鮮特別代表は4月23日“私たちは短期的に不確実性に直面している”として韓半島情勢進展の困難を吐露したことがある。
決定的な契機は4月25日だった。 政府は天安(チョナン)艦犠牲者らに‘花郎ファラン)戦闘功労勲章’を授けた。 叙勲法13条によれば武功勲章は“戦死(犬死)または、これに準ずる非常事態で戦闘に参加して明確な武功をたてた者に授与”とする。 天安(チョナン)艦合同調査団の発表が出てくる前に天安(チョナン)艦犠牲者らを戦死者と規定したのだ。
 
事故で沈没⇒死者に補償金出ない⇒戦死認定⇒原因は交戦だったことに⇒魚雷部品捏造⇒報告書発刊
 
結局4月25日花郎ファラン)戦闘功労勲章の授与は合同調査団と政府官僚らに‘天安(チョナン)艦が戦闘中に沈没した’という証拠を探せとの強力な注文になった。 したがって5月25日合調団調査発表はすでに4月25日でその内容が決まったといっても過言ではない。
4月中下旬をたどりながら天安(チョナン)艦事件は名実が一致するように韓半島情勢の雷管であり核心的な懸案になった。 国連安保理で議論が始まったし、北側の激しい反応が続いた。 合調団が北側仕業におりた根拠に対する常識的なあるいは科学的な問題提起も全く通じなかった。
問題提起をした人々は告発措置にあうことになったし、参加連帯のようなところはほとんど‘利敵団体’に規定された。 天安(チョナン)艦は反北朝鮮対決政策で一貫したイ・ミョンバク政府に花見割ったのだ。 イ・ミョンバク政府はこの横断幕を振り回して北側を国際社会で孤立させて国内では自身の反北朝鮮対決政策の正当性を広めるために注力した。
その代表的な事例が5月24日イ・ミョンバク大統領の対国民談話であった。 談話文でイ・ミョンバク大統領は“北朝鮮の奇襲的な魚雷攻撃”で天安(チョナン)艦が沈没したとし、北側が“前に私たちの領海、領空、領土を武力侵犯するならば直ちに自衛権を発動”することになると断言した。
 
ブーメランに戻った天安(チョナン)艦、意地で持ちこたえるMB政府
しかしこれがイ・ミョンバク政府には敗着だった。 5月24日イ・ミョンバクが天安(チョナン)艦事件を契機に投げた対北朝鮮強硬政策は6月地方選挙でブーメランになってイ・ミョンバク政権とハンナラ党を打撃した。 戦争危機を感知した有権者らは対北朝鮮強硬論を強調するハンナラ党より韓半島平和を力説した野党圏にさらに多い票を与えた。
7月には天安(チョナン)艦関連国連議長声明が採択された。 韓米両国が好機あるように天安(チョナン)艦問題を国連安保理に提起したが、結果は‘残念な’ことだった。 議長声明にはたとえ‘攻撃’と‘糾弾する’という内容が明示されてたが天安(チョナン)艦撃沈対象として‘北朝鮮(DPRK)’が明示されなかった。
声明は9項で“韓半島東北アジア全体で平和と安定を維持すること”の重要性を言及したし、10項では“停戦協定の完全な遵守を促して、紛争を回避して状況悪化を防止するための目的で適切な経路を通じて直接対話と交渉をできるだけ早く再開するために平和的手段で韓半島の懸案らを解決することを推奨”した。
韓半島の平和と安定’という議長声明の文句はイ・ミョンバク大統領の5.24談話文と正面から置き換えるということだった。 したがって議長声明は北側を糾弾することが主な内容でなく韓半島で高まる武力衝突を防止することが主な目的だった。 自衛権発動を云々して戦争も辞さないを叫んだイ・ミョンバク政府の対北朝鮮強硬政策に鎖をはめる効果がより大きかった。
イ・ミョンバク政府としては北側との対話に着手することで議長声明を遵守する政策で切り替えることかでなければ既存の強硬政策を固守するのかの選択の岐路に置かれることになった。 しかしイ・ミョンバク政府は後者を選択した。 恐らく自信の表現であっただろう。 また、熱心に確保された捏造証拠を投げたくなかっただろう。 米韓同盟を強調するオバマ行政府が韓国政府の意向に反する対北朝鮮対話に出ないという判断をしただろう。
事実国連安保理議長声明採択以後米国は韓国政府と距離を置きながら対北朝鮮接近を模索したものとみられる。 5月北側がビル・リチャードスン ニューメキシコ州知事の北朝鮮訪問を要請したことがあったが、天安(チョナン)艦局面が真っ最中だった当時米行政府は韓国政府の反対などを理由でリチャードソンの北朝鮮訪問を保留していた。 そのような米行政府が7月になるとリチャードソンの北朝鮮訪問を推進し始めたのだ。
しかしイ・ミョンバク政府は“天安(チョナン)艦事態に対する議論をしている状況で米国高位要人らの北朝鮮訪問は時期などを含んで慎重に検討されなければならない”という外交通商部論評を通じてリチャードソン北朝鮮訪問を公式に反対した。
北朝鮮が先に国際社会により責任ある態度と姿勢を見せてくれることが必要だ”と付け加えた。 天安(チョナン)艦をすべての事態進展の前提としたのだ。 6者会談も、南北関係も、北米両者対話も天安(チョナン)ハム問題が解決されなければならないということを明確にしたのだ。 イ・ミョンバク政府の天安(チョナン)艦の意地を張る一年が始まる瞬間だった。
続く・・・・・