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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦 7分間のミステリー 全4回 ①

7分間のミステリー★天安艦ではどんなことがあったのか
 
天安(チョナン)艦事故の原因を糾明するところにあって大部分の人々が天安(チョナン)艦船体が真っ二つ折れたもの出た時点にだけ焦点を置いているが、事故原因の鍵は以前に天安(チョナン)艦に起きた状況が持っているということをのがしている。
4月3日MBC 9時ニュースで明らかにした状況報告書を見れば第2艦隊司令部が作戦司令部に天安(チョナン)艦の緊急状況を報告した時間は3月26日午後9時15分に出てくる。そして9時22分天安(チョナン)艦は船体が真っ二つになりながらKNTDSから消える。9時15分(緊急状況発生)で9時22分(船体真っ二つに損壊)まで天安(チョナン)艦にはどんなことがあったのだろうか?

1.天安(チョナン)艦に緊急状況が発生したのがいつであろうか?

天安(チョナン)艦は沈没(船体二つ切断)なる前にはいかなる問題もなかったし、9時22分突然瞬間的に事故(外部からの襲撃、内部爆発)を当てられたことだろうか?国防部や海軍はMBCニュースの内容を否認して9時19分に天安(チョナン)艦との交信で特異状況がなかったとして天安(チョナン)艦は沈没前はどんな緊急な状況も発生しなかったと主張するが。果たしてそうか?
海上警察の発表は国防部と全く違う。海上警察が初めて発表した内容を見れば海軍から救助要請を受けた時間は9時15分といったし、状況日誌にもそうなっている。
国防部も緊急状況発生時間を9時15分というものを見せる内容を本意と違って表わした。国防部が29ページにかけて公式立場を発表した文書の7ページを見れば緊急状況発生が9時15分であることを話す明白な証拠がある。

国防部発表文専門  ←はんぐるです
7枚目の“2.探索および救助隊現場到着および救助作業支援現況”を見よう。

“海難救助隊(71人)は状況発生40分ぶり21:55に非常招集されて3時間の間出動準備を実施した後バス2台に分乗して01:00に陸路で出発、平沢(ピョンテク)まで移動したし翌朝早くヘリコプターを利用してペクリョン島に10:00景到着、現場捜索および作業位置を選定後15:00から救助作業を始めたこと。”

状況発生40分ぶり21:55に非常招集したとすれば、状況発生時点は21:15分というものを逆算することができる。
国防部と海軍は事故原因と見解を隠そうと多くの努力をしたにもかかわらず、初期にはすべての状況を互いに合わせることができなくて多くの弱点を露出したのだ。

9時15分に天安(チョナン)艦に緊急状況が発生したと見られる情況らはこれでなくともまたある。
ペクリョン島の海兵6旅団33哨戒所対空監視哨兵は9時15分頃騒音を聞いたという報告をした。この騒音は天安艦が全速力を出すためにガスタービンを稼動し始める時出た音と推定される。
失踪者家族と恋人らは9時15~16分頃失踪者らが電話途中緊急状況が発生したとし電話を切ったり、文字メッセージをやり取りしている間突然文字が中断されてその後通話もならなかったと話した。これやはり天安(チョナン)艦に9時15分頃何か重大な状況が発生したことを傍証する。

海上警察の発表、国防部が隠すのに失敗して弱点を見せた海難救助隊非常召集時間、失踪者家族らの証言、ペクリョン島哨兵の騒音探知などを総合してみれば天安(チョナン)艦に緊急状況が発生した時間は9時15分が確実だと見ていいだろう。

2.国防部の最初緊急状況発生時点が9時15分でないという話は事実であろうか?

9時15分頃天安(チョナン)艦に異常が生じたのを証明する多くの証拠らがあらわれることにもなぜ国防部はこれを否認するだろうか?
国防部は天安(チョナン)艦が沈没する3分前(9時19分)に第2艦隊司令部と天安(チョナン)艦が一度交信があったが日常的で平凡な内容だから軍記録には残っていなかったし国際商船通信網に記録されていたという。そして天安(チョナン)艦に記録が残っていることができるが沈没した状況でゎ確認できないでいると話した。
第2艦隊司令部と天安(チョナン)艦が9時19分に交信したことは事実であろう。いや9時15分から9時22分まで途方もない量の交信をしただろう。 9時15分天安(チョナン)艦は異常が生じたし、それにともなう対策を協議して位置を確認しようとするなら普段より数十倍の交信をしただろう。国防部が話す9時19分交信があったという事実は天安(チョナン)艦が問題がなかったという証明が絶大になれない。9時19分交信内容を具体的に指摘して本当に平穏な内容であることを証明しない限り何の意味がない。

9時16分海兵6旅団防空陣地哨兵が騒音を聞いたという見ても国防部は哨兵が騒音聴取時間を10時16分であって間違えて報告したのを訂正しながら出てきたハプニングだけであると言い逃れる。ところで状況兵が報告した時間は9時45分だ。 すなわちその轟音は百回譲歩しても9時45分前にあったという話だ。 9時22分天安(チョナン)艦が真っ二つになった位置や時点の轟音でない。 この哨兵は天安(チョナン)艦事故地点と違った数Km離れたところで出た騒音を聴取して報告したのだ。
緊急状況発生時点から沈没時点の間に天安(チョナン)艦の事情を知っている唯一の民間人がいる。9時20分に失踪者少し足りなくて通話したお母様だ。もうひとりは9時16分まで恋人と文字メッセージをやり取りしてこれ以上応答をしなかったことでその人だ。 恋人と文字メッセージを中断して9時20分頃お母様と通話をした。 ところでこのお母様の身柄は政府が確保しているようだ。 政府がそのお母様と連絡していて、所在地も把握している。 この方は本人が責任意識があったためか公開的に話をすることを敬遠すると政府側は話す。(朝鮮日報4/5日付参照)事故遺族なお母様は失踪者家族と一緒にいるのではなく他の某所にあるということで、お言葉を敬遠するということは政府側が発表した内容と違った話を死亡者から聞いたという話となる。
 
天安(チョナン)艦事故地点がペクリョン島で1.8k mしか離れていないところなのになぜ海軍は鼻の先のペクリョン島海兵隊に救助要請をしなかったことだろうか?ペクリョン島海兵隊には海兵捜索隊があって救助要請直ちに10分ならば事故現場に到着できるという。1.8kmの距離ならば1分30秒ならば行くことができて出動準備時間を勘案しても10分ならば足りるとペクリョン島海兵捜索隊出身は話している。
海軍が海兵隊に救助要請をしなかった理由を筆者が察してみれば次のようでなかっただろうか考える。
9時15分天安(チョナン)ハムに緊急状況が発生した地点は大青島(テチョンド)近隣で、その時に海上警察1002号艇は大青島(テチョンド)南側に、海上警察501号艇は大青島(テチョンド)の南東の側に位置していた。 海上警察が海軍から救助要請を受ける時天安(チョナン)艦の位置はペクリョン島で約10km南側の緯度37度55,傾倒124度36だった。 緊急状況が発生した時点(9時15分)にはペクリョン島海兵隊よりは海上警察1002号艇と501号艇が救助するのにイイ位置だったことだと判断して海上警察に救助要請をしたと見られる。 事故が発生するやいなや海兵隊にも救助要請をしたならばさらに1人でも多くの失踪者もさらに救助できたのに.....

以上で調べた通り9時22分天安(チョナン)ハムが真っ二つになる前まで天安(チョナン)艦にはどんなことがなかったという政府の解明は説得力が全くない。

*追加(4/6):国防部は9時15分で9時20分間生存者中家族と通話した人が4~5人があるといいながらこれは9時22分事故直前まで天安(チョナン)艦には特異事項が発生しなかった証拠と話している。 事実有無を離れてその時間帯に通話した人がいるということが天安(チョナン)艦にどんなことがなかったという証拠はならない。 天安(チョナン)艦はその時間帯に敵軍の攻撃を受けたり敵艦を追跡する戦闘モードに突入したことでなく船体の欠陥のためであったので機関部を除いたパートは特別なすべき仕事がなくて家族と通話する時間があったことだけだ。
生存者らが失踪者らの位置をほとんど正確に描き出すことができたことも船体に異常が生じて艦長や副士官らが各自の任務を付与したし将兵らは与えられた位置で任務を遂行中だったことと見ていたので可能だったのだ。 そして失踪者の大部分が事故処理を担当する保守、内燃機関、タービン機関など機関部パート所属という点と生存者多数が作戦部と艦橋所属というものも非常状況が戦闘モードでなく船体の異常で発生したという反証になる。生存者らの救助当時の服装が戦闘服だけでなくふだん着、運動服、下着だったことも非常状況が戦闘とは関係がないということで類推することができる。

もし9時15分から9時22分までの間天安(チョナン)艦が何のことなしで安らかな状態ならば生存者らが後部操舵室に5人がいることだと、そしてその5人の名前も正確に話せなかっただろう。 その時間帯は将兵らが休息を取ったり就寝に入る時点で天安(チョナン)艦が平穏な状態ならば決して後部操舵室にあった将兵数とその名前が分からない。それも機関部所属の人々の位置を艦橋作戦部所属の生存者らが分かることは最もないと見る。9時22分急に船尾が離れて行ったとすれば艦首の生存者らが艦尾の失踪者らの位置を分かるということは不可能だからだ。
失踪者らの位置が分かったことは船内にどんなことが起きたことなのに艦長が対処するために乗務補助員各自に任務と位置を付与したので可能になることだ。

天安(チョナン)艦が緊急状況が発生して乗務補助員が各自の任務と位置を与えられて行動していたというもう一つの証拠がある。
天安(チョナン)艦の艦首にあった将兵らの救助を終えながら“もうこれ以上の救助が必要な人があるのか”海上警察501艦長が天安(チョナン)艦艦長に尋ねた時、チェ・ウォンイル艦長が話した部分だ。
“もうできたようだ。私が最後であるようだ。”
チェ艦長が乗務補助員らが船体が真っ二つになる時点に艦首と艦尾のどこに位置したのか正確に知らなくてはできない言葉だ。すなわちチェ艦長は船体が真っ二つになる前に非常状況が発生して乗務補助員に任務と位置を付与してすでに乗務補助員の位置を把握していたという意味だ。

*追加(4/7):国防部が事件発生1週間後の4月1日国会に提出した言論争点対応報告書によれば合同参謀本部、海軍作戦司令部、第2艦隊司令部などの状況日誌に事件発生時間は全3月26日午後9時15分で記録されている。 海上警察が発表したことでその時間だ。 しかし国防部は4月7日に“去る26日午後9時16分ペクリョン島防空陣地で聴取された未詳の大きい騒音を海軍作戦司令部は天安(チョナン)艦と関連したと推定して状況発生時間を午後9時15分で報告した”とし、”その騒音は天安(チョナン)艦と関連したのではなかったと発表した。 合同参謀と海作司、第2艦隊司令部が事件発生1週間後報告では9時15分といってまた、6日が去る4/7にこれを否認して9時22分といったのだ。(東亜日報4/8 A2面参照)
 KNTDSに天安(チョナン)艦が9時22分まで正常に現れていたことで、衛星通信体系に信号が捕えられたとのことをよく知っていたし、ペクリョン島のTOD撮影分にも現れたことで、9時19分に交信もしたとして事故発生時間を9時15分で知っていたと? さらにお話にならないことがチェ・ウォンイル艦長をはじめとする生存者が58人が堂々といるのにこれらに尋ねても一気に知ることが出来るのを事故発生1週間の後にも9時15分だと正しく知らなかったと詐欺を働くとは....これを私たちを見て信じろというか?
 つづく