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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦 7分間のミステリー 全4回 ②

先に天安(チョナン)ハム事故で亡くなった故ナム・キフン副士官と故キム・テソク副士官、救助作業中に殉職した故万年准尉、捜索作業を助けて失踪、死亡したクムヨン号船員らの冥福を祈ります。そして44人の失踪者らが奇跡的に生還してくるのを最後まで祈ってみます。死亡者と失踪者、そして故万年准尉とクムヨン号失踪/死亡者家族方々にも慰労の言葉を上げます。
 
本文は言論に公開された情報を土台に天安(チョナン)ハム事故(思考)の前後過程を推論してみたことで実際事実と違うこともできます。 そしてこの事故と関連したどこの誰の名誉を傷つけようと思う意図は毛頭ないということをあらかじめ明らかにします。
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つづきですょ
 
海上警察の最初の公式発表によれば、海軍から救助協力の要請受けた時を9時15分といったし救助要請地域も天安(チョナン)艦が切断事故に遭った地点と9km南側にある所だった。 海上警察はその見解と救助要請地域座標を状況日誌に記録したという話なのにこれが可能な話か?そして海上警察も公式発表当時すでにペクリョン島海兵隊から9時15分に騒音があったという情報を入手したので錯覚をして救助要請受付時間を9時15分で発表したという話なのか?いっそ9時22分に天安(チョナン)艦が事故が起きることを予想した脳内妄想海底人が海上警察に9時15分にあらかじめ知らせたと話すほうが良い。

4/7国防部は三回に分けてTOD撮影分を追加公開した。天安(チョナン)艦が正常に移動する場面(午後9時4分6~9秒、3秒間)と艦首と艦尾が分離して艦尾が沈む場面(午後9時24分18秒~25分19秒、1分1秒間)が含んでいる。最初場面には天安(チョナン)艦がペクリョン島南側海域で東南側で6.3ノット速度で移動していた。
ところで国防部はなぜ9時4分9秒から9時24分17秒の間の場面を見せないのか?その時間帯には特異事項がなくてTOD観測兵が他の所を撮影していたと国防部は弁解する。これだけだからこれを信じろという。何故天安(チョナン)艦の切断事故の原因の秘密を持っているこの時間帯の撮影分だけないことであろうか?これを偶然だと受け入れることができるだろうか?
 
観測地域に敵艦でも味方の艦艇でも運航中にあるのにこれを観測しないで他の所を撮影したと?それも哨戒艦が正常航路を離脱して海岸で急速に近づいているという話だ。もしその艦艇が敵艦だったらどのようにしようと視野(TOD)でそれをのがすということか? それなら天安(チョナン)艦を撮影する代わりに撮影したというその時間帯の撮影分映像を公開してみろ。TODの運用目的が何であり、軍のTODマニュアルはどうなっているのか?TODが観測しなければならない地域は決まっていることであり、常にその地域は特異事項があってもなくても観測しなければならないことで、これを怠った警戒兵(観測兵)は営倉に行かなければならない。  ※四角い丸太を10と5本のあれですね

国防部と海軍は9時15分発生した最初天安(チョナン)艦の緊急状況(船体亀裂と浸水が始まったものと推定)を徹底して隠そうとしている。
これは前でも話したが9時22分に発生した天安(チョナン)艦疲労破壊(船体真っ二つになったこと)の原因を前の9時15分緊急状況が説明するためで、緊急状況(9時15分)の発生原因が船体老朽化、修理不良、艦艇運用誤りとあらわれることを海軍が恐れるためだ。
特に9時15分緊急状況に誤って対処して結局9時22分船体切断の結果を招いたという非難を免れ難い点も艦長と軍(第2艦隊司令部、海軍作戦司令部、合同参謀)が9時15分~22分状況を最後まで隠そうとする理由だ。 もし9時15分緊急状況が発生した時、ペクリョン島側に帰港のために全速前進せずに乗務補助員全員に“総員退艦準備 退避セヨ”ということ命令を下して救命艇に移して乗るようにして救助を待つようにしたら全員の生命は保全できただろう。 そして天安(チョナン)艦は曵いて修理を受けるようにしたならばどうしたか考えてみる。 もちろん艦長や海軍立場でまさか船体が真っ二つになることだと想像はできなかったこととは認められるが結果的に最悪の状況をむかえたことに対する責任は免れ難いだろう。

3.天安(チョナン)艦はいつ事故で二つ折れしたのか

これは論議の余地がないようだ。国防部や海軍も9時22分頃だと最終確認したし、これを証明する色々な事実が出てきた。
地震波が感知された時点もこの時であり、天安(チョナン)艦がKNTDSから消えて衛星通信体系に信号が捕えられなかった時点もこの時であった。TODに真っ二つになった映像が捕えられた時間を見る時も船体が真っ二つになったことは9時22分頃が確実なようだ。
船体が真っ二つになった事故時点が9時22分頃というものには誰も疑問を提起しないのにかかわらず、海軍と国防部はあたかもこの時間が核心であり、事件は9時22分に起きたこと(船体切断)他にないという点をずっと強調している。私たちは9時22分の船体切断事故前に天安(チョナン)艦にどんなことが起きたのかが気になるのにね。

* 地震波は多少論議の余地がある。 S波が小さいといって人工地震波で見たが、海洋ではS波がなくて、短い距離ではS波が捕えられないという話もあってこれが爆発時(あるいは船体切断や暗礁にあたる時出た)人工地震波ではないとの反論もある。 そして韓国では2.0程度の地震は一日に一回程度起きるから3/26ペクリョン島で観測された地震波が特異だと見ることもできないという。 1次地震波以後31秒の後に2次地震波が現れたがこれを1次は船体切断あるいは魚雷爆発の時、2次は艦尾が海底に沈没する時起きたと見た。だがTOD撮影分を見れば船体が関数と艦尾で切断された以後3分越えた後に艦尾が沈んだのを見ればこのような解釈も合わない。 また地震観測所が一ヶ所だけであることで正確な方角と距離を算出することができないのも問題だ。

4.緊急状況が発生した位置と船体が真っ二つになった位置は?

海軍から救助要請を受けた海上警察の最初の発表を見れば天安(チョナン)艦が異常が生じた位置は緯度37度50,傾倒124度36であり、軍当局が発表した事故位置は緯度37度55,傾倒124度37で緊急状況発生地点と事故発生地点が9km程の距離がある。 天安(チョナン)艦が9時15分~ 9時22分間7分で9kmを移動したのだ。何と時速77km/hの最高速力で航行したことになる。天安(チョナン)艦の最高速度は32ノット(59km/h)であり、平常時には5ノット(9.3km/h),作戦時には12ノット(22.2km/h)で運航する時はディーゼルエンジンだけ使って、全速で運航する時はガスタービンを稼動するという。
天安(チョナン)艦の航跡を追跡してみれば9時15分頃以上が発生したし、それに対する対策でガスタービンを稼動して全速力をつくしてペクリョン島海岸に向けて全速航海したことを類推することができる。ペクリョン島海兵哨兵が聞いたという轟音がこのガスタービンが稼動する時出たことと推測される。

* 追加(4/7):4/7艦尾の切断面機関調整室でキム・テソク上士の死体が発見された。キム上士は艦艇のガスタービン整備および保守維持を担当する先任副士官で発見当時上下とも迷彩海軍作業服(聯合ニュース朝鮮日報は戦闘服というということ)を着ていたという。
事故当時ガスタービン担当副士官が作業服(戦闘服)を着て機関調整室にあったとのことは何を意味するだろうか?国防部発表のように事故当時天安(チョナン)艦が6.3ノットで運航中だったら艦艇はディーゼルエンジンだけ稼動してガスタービンを稼動しなかっただろう。 ガスタービンは艦艇が全速力を出す時に稼動するということだ。 通常9時22分頃は当直員の他に他の乗務補助員は就寝や休み時間だったということで、しかもガスタービンが稼動しなかった状況ならばガスタービン担当のキム上士は就寝でも休息を取る確率が高かっただろう。 ところがキム上士は事故当時作業服(戦闘服)を着て機関調整室にいて被害に遭った。 果たしてキム上士はその時そこで何をしていたのだろうか? もちろんその時間に当直を立つこともできるだろうが、確率的にはガスタービン稼動をしていたと見るのが妥当でないだろうか?

5.天安(チョナン)艦はなぜペクリョン島1.8kmまで近接運航をしたのだろうか?

天安(チョナン)艦の事故がおきた地点はペクリョン島で1.8km離れた所で通常的に1,200トンの哨戒艦が運航しない所だ。白昼真昼間でも運航しない所を天安(チョナン)艦艦長はな暗い夜中にここを運航したのだろうか?それも全速でという話だ。 暗礁による座礁の危険を押し切っても運航しなければならない何か避けられない事情があったということだろうか。その事情が何だったのだろう?北朝鮮の艦艇、潜水艦(本当に)を追撃しに?9時15分に攻撃されて回避機動してペクリョン島に向けて??


6.7分間天安(チョナン)艦ではどんなことが広がったのだろうか

(この部分は筆者の想像力に依存したことであり実際事実と違える。小説で見てあげるように願うということ)
天安(チョナン)艦は9時15分頃緊急状況が発生したし、それの対策で急にペクリョン島へ全速で航行し9時22分頃船体が真っ二つになる事故に遭う。果たしてこの7分の間天安(チョナン)艦にはどんなことが広がったことだろうか?

9時15分:老朽化した天安(チョナン)艦船体に亀裂ができて船底操舵室に浸水が発生.
艦長は将校と副士官らを艦首に呼んで対策会議をして、艦隊司令部に緊急状況を見て、救助を要請する。天安(チョナン)艦から状況を報告受けた海軍は直ちに海上警察に救助要請をする。

9時15分~9時22分:全将兵に非常状況を知らせて、後部操舵室を浸水を防ぎに5人の将兵を送る。全将兵らは敵の攻撃でなく船体緊急時に伴った非常状況であるので戦闘態勢でない緊急状況発生時点の服装で対処する。 艦橋無線室は艦隊司令部とずっと交信しながら対策を協議する。艦長はペクリョン島への帰港ということで決定(近い大青島(テチョンド)には1,200トン級船舶が接岸できる施設がないことで考えられるということ-筆者考え),ガスタービンを稼動して全速で航進、後部操舵室のを浸水が激しくなって艦尾に水が満ちてくると艦首部分と船尾の均衡が破られるということになり、亀裂が始まった船体は艦艇の加速によりますます疲労度が激しくなる。   ペクリョン島まで あと1.8km

9時22分:高い波高と大波、急な潮流で疲労限界に至った船体はこれ以上支えることができなくて真っ二つになる。あるいは全速で航行した艦艇が暗礁にあたって、その衝撃で船体が真っ二つになる。
 
 
やっと半分かなぁ  4月のカキコでしょ  よく書けてるですね