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天安艦 あっちのニュースをみる 9.18かな?

天安(チョナン)ハム報告書、ペクリョン島哨兵陳述‘自分勝手に’解釈
閃光が水柱変身、目撃方位角操作、構造艦艇到着見解翻意
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2010年09月18日(土)16:37:41
 13日‘天安(チョナン)ハム、ミン.軍合同調査団’(合調団)の最終調査結果報告書はペクリョン島哨兵(警戒兵)の目撃陳述を合調団の結論に継ぎ合わせるためにわい曲して操作したことが明らかになった。
‘白いあかり’を‘水柱’でわい曲
B哨兵“水柱は見ることができませんでした”
先に合調団は天安(チョナン)ハムが北朝鮮魚雷爆発による衝撃波とバブルジェットによって沈没したという結論を後押しするために哨兵が目撃した‘白いあかり(白色閃光)’をバブルジェットによる‘水柱’に変身させるわい曲を最終報告書でもそのまま繰り返している。
合調団は“生存者らはほとんど同時に爆発音を1-2回聴取したし、衝撃で倒れた左舷キョン時病の顔に水が飛んだという陳述、ペクリョン島海岸哨兵が2-3秒の間高さ100mの白色閃光あかりを観測したという陳述などを分析した結果これは手中爆発で発生した水柱現象と一致した”と結論付けた。(報告書28ページ)去る5月20日中間調査結果発表時の主張そのままだ。

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▲ 4月4日付B哨兵自筆陳述書一部.水柱を見ることができなかったことを再確認している。[資料写真-統一ニュース]
*個人情報保護のためにB上等兵の名前は削除したし、無人は修正しました。

しかし去る6月22日<統一ニュース>は哨兵らの自筆陳述書を報道しながらB哨兵が4月4日付二番目陳述書で“水柱など違うものを見たかと尋ねる人はいたが水柱など違うものを見ることができなかったといった”と明確に述べたことを明らかにしたことがある。

その他にもA,B哨兵の陳述書には“白いあかりが”、“あかりは閃光のように見えたが”(以上A哨兵),“白い光が広がって消滅”、“光以外には他の物体を見ることができませんでした”、“水柱は見ることができませんでした”、“白い光を観測”、“光周辺が若干明るくなって消えました”、“水柱、 哨戒艦は目撃できませんでした”、“水柱など違うものを見たかと尋ねる人はいたが水柱など違うものを見ることができなかったといった”(以上B哨兵)で一貫して水柱を明確に否認して‘白いあかり’を目撃したことを反復的に指摘している。

それにもかかわらず、合調団は哨兵らが述べた‘白いあかり’または‘白色閃光’を‘水柱’が存在する根拠に最終報告書にもそのまま記述していて‘水柱’の実在可否に疑惑だけ育てている。

合調団、‘白色閃光’目撃方位角280°→270° 操作
合調団も爆発原点と‘白色閃光’目撃地点(支店)違うもの分かって

合調団はペクリョン島哨兵が‘白色閃光’を観測した地点が天安(チョナン)ハム沈没地点(支店)と違うという客観的事実を認知していながらも‘水柱’根拠に活用するためにこの二地点を同一視するために哨兵陳述一部を操作した。

哨兵らの陳述書には一貫して“000警戒所基準方位角∠280° 4km地点”(A哨兵),“二限りなく突出部側これであり2-3時方向”、“2-3時方向”(B哨兵)と記述している。

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▲ 000警戒所で白色閃光観測地点は北西方向で、合調団が発表した天安(チョナン)ハム爆発原点は南西側だ。[資料写真-チェ・ムンスン議員室]
* 軍事機密保護のために警戒所名は削除しました。

哨兵らが目撃した白色閃光発生地域は000警戒所北西側で天安(チョナン)ハム沈没原点の南西側とは方向が顕著に違う。チェ・ムンスン民主党議員は去る7月1日報道資料を通じて“ペクリョン島海岸哨兵らが観測した白色閃光は合同調査団が発表した事故発生地点(支店)とは方向が違ったことが確認された”と明らかにしたことがある。

去る13日天安(チョナン)ハム最終調査結果発表記者会見を終えた後合調団科学捜査チーム造営も中佐はペクリョン島哨兵の白色閃光目撃陳述に対して“合調団で発表した爆発原点と病死(兵士)が見たという白いあかり地点は位置は差がある”としながら“まだ疑問がある。 その部分明らかにすることは難しい”と認めながらも“見えない天気の中で(肉眼で)見ることよりはどうしてもKNTDS(海軍戦術指揮統制システム)さんや空中波、音波のような科学的データを優先で判断した”と話したことがある。

合調団は‘白色閃光’を‘水柱’に変身させたのに続き哨兵が述べた白色閃光目撃地点(支店)と天安(チョナン)ハム沈没原点が違うという事実をよく知っていながらも000警戒所基準おなら各∠280°, 2-3時方向、すなわちペクリョン島北西方向を沈没原点の南西方向と同じだと言い張っていることだ。

それだけでなく最終報告書には哨兵陳述内容を“海岸警戒所警戒勤務中、‘どしんと’という声を聞いて、海上前方約4km,方位角270°を見つめると白い閃光あかり(幅20-30m、高さ約100m)が見えて2-3秒後消滅されるということ(傷病)”と指摘した。(報告書128ページ)

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▲最も最初に作成された3月28日付A哨兵自筆陳述書一部.方位角と構造艦艇到着時間、'座礁'など重要な内容が含んでいる。[資料写真-統一ニュース]
* 軍事機密保護のために警戒所名6ヶ所を削除しました。その他四角形削除3ケ所は合調団側が削除した部分です。

しかし傷病のA哨兵は3月28日最初自筆陳述書で“勤務を遂行している間21:23分に落雷の声と似た声を聞いて‘どしんと’声とともに白いあかりが000警戒所基準方位角∠280° 4km地点で見えました”と少なかった。280°が270°で操作されたのだ。

合調団関係者は“海霧とか気象(機上、起床、奇想)によって正確な方向に錯誤がありえるのではないか”として“病死(兵士)はもちろんながくなっていたので方向は分かるというが、夜間状況で特に海霧がたくさん挟まって4,5百メーター是正しかならない”と哨兵の‘錯誤’起こるという論旨を咲いた。
しかしこのような合調団側主張は哨兵自筆陳述書を見れば現実性が殆どない。A哨兵は傷病で助長役割を受け持っていたし、白色閃光方位角他にも構造のために海軍艦艇3隻が来た方位角(170°), 救助ヘリが来た方位角(160°) などを正確に述べている。

B哨兵も傷病で“普段観測範囲であり二限りなく突出部側であったし2-3時方向で見ました”と明確に述べて情緒方向の270°よりは北側の北西方向であることを明確に述べた。

ささいな差のようだが270°は情緒方向で北西(280°) よりは南西方向と語感上近く感じられる素地がある。ノ鐘面‘言論3団体天安(チョナン)ハム検証委員会’検証委員は去る15日国会で開かれた討論会で“10度の差は大きいのだ。北西側を西の方に作ったこと”と指摘した。

構造艦艇到着見解21:30→21:50翻意
‘PCC(哨戒艦)座礁’陳述は無視


特に今回の最終報告書記者会見を契機に哨兵らが述べた最初構造艦艇到着見解9時30分を9時50分で翻意した。

最終報告書には“21:56に高速艇3隻が、22:10には高速艇2隻が天安(チョナン)ハムに到着して人命救助を始めた”と書いているけれど、A哨兵は3月28日初めての自筆陳述書に“その後の21:30分頃000警戒所基準方位角∠170° 2km地点で海軍艦艇3隻がきて救助しました”と述べたことがある。

造営も中佐は“報告を受けた状況日誌には50分と記されている”として“本人(哨兵)は3月28日初めての陳述する時30分で勘違いした”と解明した。

しかし緊迫した事故状況で20分蹴られるかなり重要で短くない時間だ。ある消息筋は“合調団が発表したグジョウシ点(店)以前にすでに艦艇らがきて状況を把握して撮影をしたと理解する”と証言した。

また、哨兵らの陳述書には天安(チョナン)含意事故(思考)が‘座礁’であることを示唆している。“海軍艦がずっときて座礁したPCCを救助したし”(A哨兵),“以後にPCC座礁認知後蓮花里(ヨヌヮリ)側に”(B哨兵)と述べて哨戒艦(PCC)の天安(チョナン)ハムが‘座礁’したと認識していることを明確に見せる。

しかし合調団最終報告書には損傷指標や肉眼検査、関連者証言などを土台に“座礁原因による損傷の可能性は排除した”と結論付けた。(報告書53ページ)

これは合調団が哨兵陳述他にも事件当日最初に21:28景天安(チョナン)ハム砲術長が2艦隊状況班長に“天安(チョナン)なのに沈没した。 座礁だ”と明確に報告したのをはじめとして21:30景天安(チョナン)ハム戦闘情報館が2艦隊指揮統制室にある党職士官(史観)に電話で“天安(チョナン)ハムがペクリョン島近海で‘座礁’なって艦艇が沈没しているとはやく志願兵力を送ってくれ”と救助を要請した事実など‘座礁’ 関連初期報告らに対して“状況発生初期天安(チョナン)ハム生存者一部が心の余裕がなくて‘座礁’、‘遭難’等正確な用語使用にならない状態で報告した事実を確認”したって(報告書127ページ)熱心に‘座礁’報告を無視したのと一脈相通じる。

今回の合調団の最終報告書はペクリョン島哨兵らの初期陳述を任意にわい曲して操作して合調団の結論に継ぎ合わせたと見なければならない要素が多くて合調団側のより正確で詳細な解明と哨兵らの言論インタビュー許容が必要だと見られる。