天安艦 あっちのカキコを読む
3月27日朝大きなゲップ岩近海に浮び上がって消えた‘第3の船’の艦首]
当時はもちろん今でも多くの国民はこれを引き潮によって水の上に浮び上がった天安(チョナン)艦の艦首であるとは正しく知らない。軍と政府がそのように発表したためだ。しかしこの船は天安(チョナン)艦でない。艦首左側最後の端の部分(青い色でひいた四角の中の部分)をつくづくと見よ.
http://file.agora.media.daum.net/pcp_download.php?fhandle=OEtlaWNAZmlsZS5hZ29yYS5tZWRpYS5kYXVtLm5ldDovRDAwMy8wLzc3LmpwZw==&filename=독고탁함수.jpghttp://file.agora.media.daum.net/pcp_download.php?fhandle=OEtlaWNAZmlsZS5hZ29yYS5tZWRpYS5kYXVtLm5ldDovRDAwMy8wLzY5LmpwZw==&filename=pyh2010032701960001300_p2_32ghdah.jpg [写真説明:これは‘第3の船’の艦首部分写真だ。 第一の下写真は左側最後の端の部分がグラフィック処理で操作されたのだ。 上の二つの写真と比較してみなさい。 この部分を天安(チョナン)艦の艦首部分とだますために第一の下側写真の左側最後の端の部分の形を操作した。 しかし急に操作するのに手法が荒くて第一の下のことが上の二と違うということをすぐ知るようになることができる。 大きさも天安(チョナン)艦のように大きく見えるように操作される。 ‘サプライズ’シン・サンチョル氏が撮影者から直接伝達されたという中で写真は写真属性がそのまま残っているが、他の二の写真は写真の属性が消えてない。加工されたという話だ。] [グラフィック処理で操作された艦首写真(真上のこと)と引き揚げされた直後の天安(チョナン)艦の艦首(下写真二)との比較] http://file.agora.media.daum.net/pcp_download.php?fhandle=OEtlaWNAZmlsZS5hZ29yYS5tZWRpYS5kYXVtLm5ldDovRDAwMy8wLzcyLmpwZw==&filename=함수2.jpg [上は正面側から見たもので下は左舷側から見たものだ。艦首最後の端の部分にある半円格好の輪を見ます。そしてこれを前で調べたグラフィック処理した写真の艦首最後の端の部分と比較してみます。グラフィック処理された写真では半円格好の輪が艦首最後の端の部分全体にかける形に間違って(?)描いている] 大きなゲップ岩の前に浮び上がった‘第3の船’が天安(チョナン)艦ではないということは去る4月24日関数が引き揚げされながら明確になった。それでその‘第3の腹(船,梨)’は何か?その付近海域で天安(チョナン)艦と衝突/沈没した腹(船,梨)ではなくては別に想像しにくい。そのような船ではどんなものがあることができるだろうか?哨戒艦であろうか?哨戒艦である可能性も排除できないが、少し前に一緒に調べた<国防日報>報道を見るならば高速艇である可能性がさらに多い。 高速艇は事故直後天安(チョナン)艦にホッチュルを売高救助活動を試みたし、その過程で将校ひとりが海に墜落したし、大波波である種の危険性があってホッチュルを解いて救助活動を中断した。そのように救助活動を中断する時にはそれなりの理由があっただろう。単純に“艦艇の揺れるということとシル族の危険を考慮して”そのようにしたのだろうか? 一方軍の報告で235高速艇編隊の数字がずっと2隻から3隻に一進一退した。それで全体的に構造に参加した高速艇数が四隻から五隻に一進一退した。事故後初期には群島国会報告で四隻の高速艇が救助活動に参加したと報告した。 利器式合同参謀情報作戦処長は3月27日国会国防委員会報告で“高速艇4隻が何時に到着したのか?”というキム・ドンソン議員の質問に対して“21時58分に高速艇が2隻が到着した”と報告した。 ところで3月29日国会国防委追加報告の時にキム・テヨン国防部長官は“高速艇5隻と海上警察500t級1隻、それで主に6隻が中心的にその仕事をした”と報告する。しかし4月2日臨時国会緊急懸案質問では“一番最初に2隻その次にすぐに後に2隻して4隻がそこから出たし、それからおよそ30~40分後に仁川(インチョン)海上警察から連絡がついたのが...501ハム、すなわち500t級の警察艇が出てきました。”と報告する。 そうするうちに4月7日合同調査団報告では235編隊が21時58分に3隻がきて続けて22時10分に233編隊2隻がきてして都合5隻が構造に参加したことで整理する。しかし具体的にあるある船なのかは明らかにしない。(唯一軍が公開した船は235編隊のチャムスリ322号だ。) これに比べて人命救助を直接担当した海上警察は事故直後報道資料で“海上警察旧調整が事故現場に到着した午後10時20分ぐらい事故海域にはすでに海軍所属艦艇4隻が到着していた。だが、艦艇らが天安(チョナン)艦に近付くことができなくてサーチライトを照らしていた。”と伝えた。この事実は海上警察501ハムが30日午前1時頃仁川(インチョン)港を通じて復帰した直後持ったコ・ヨンジェ艦長の記者会見でも再度確認された。 それなら果たして救助活動に動員された高速艇は五隻なのか四隻なのか?五隻が参加したが一隻は沈没して四隻が参加したと隠してきて、そのような場合、235編隊の三隻の中で一隻がどこへ行ったかという疑惑が提起されることがあるので五隻で発表を統一させたのではないだろうか? これと関連して乗務補助員救助活動にも疑わしい点がまたある。もし高速艇が天安(チョナン)艦と衝突、沈没したとすればその乗務補助員らはどうなったのだろうか?天安(チョナン)艦乗務補助員らと共に全員が皆救助されたのだろうか?一部は救助されたが一部は遠い海に流されて失踪したり沈没する船から抜け出すことができなくて死亡したことはなかったのだろうか? クン(煮込んで‘軍官’合同調査団)は23時13分に天安(チョナン)艦乗務補助員救助が終わったと報告した。“23時13分以後最後に艦長、部長、通信長が、救命艇とRIBを利用して海上警察501号艇に移動した”と報告した。 しかし<聯合ニュース> 3月 28日付で “海上警察は午後 10時 43分高速短艇 1, 2号が各々天安(チョナン)艦乗務補助員 12人人を救助したのを始め午後 11時 2分高速断定 1号が 12人を 救助したし、 午後 11時 20分に天安(チョナン)号が完全に沈没すること 直前(23時 13分艦長を含んだ 12人を 救助した。 天安(チョナン)艦が完全に沈没した 23時 20分後 15分目の午後 11時 35分には救命イカダで海域を漂流 中だった12人の天安(チョナン)艦乗務補助員を最後に 救助、 現場到着 52分目に銃 56人を救助するのに 成功した。”と報道した。 それでなぜ軍は乗務補助員らが全員救助された23時35分を救助完了時点で発表しないで天安(チョナン)艦艦長がこの船のおよそ23時13分を構造完了時点で捉えるのか?なぜ23時35分に救助された乗務補助員らに対して軍と合同調査団は言及を回避するのか?最後の順序で救助されたこの乗務補助員らはひょっとして天安(チョナン)艦の乗務補助員らでなく‘第3の船’の乗務補助員らだから隠そうとするのではないだろうか? こういう疑惑らを解こうとするならクンと政府は大きなゲップ岩近海に浮び上がった‘第3の船’の正体を事実通り国民に知らせなければならない。それを天安(チョナン)含意関数と偽り発表してだましたことに対して謝って正さなければならない。そしてその船が何の船なのか事実通り告げなければならない。そして構造に参加した高速艇の数字発表がなぜ四隻から五隻に丁寧に上手く変わったのかも事実通り話さなければならない。 もう一つ言ってみれば大きなゲップ岩近海に姿を表わした配意艦首の姿は哨戒艦のことでないという事実だ。いくら見てもそれはチャムスリ高速艇の姿だ。この船は天安(チョナン)ハムを救助しようと試みて事故に遭って沈没した高速艇だと推定される。 まず腹の頭の部分の曲線の部分がチャムスリのそれを非常に似ていた。哨戒艦の該当の部分はそのような姿でない。チャムスリのそれは角度もあまり急でなくて形も流線型だ。それに比べて哨戒艦のそれは角度もさらに急で形もさらに各イ負けている。 [写真:引き揚げ中であるチャムスリと大きなゲップ岩‘第3の船’艦首部分の姿一致] http://file.agora.media.daum.net/pcp_download.php?fhandle=OEtlaWNAZmlsZS5hZ29yYS5tZWRpYS5kYXVtLm5ldDovRDAwMy8wLzc0LmpwZw==&filename=외곽선-3.jpg [写真:上の写真は3月27日大きなゲップ岩近海に浮び上がった‘第3の船’の艦首、艦首部分に赤い線で外側の線をひいて模範としてまねた。 下写真は赤い色で模範としてまねた外側の線を135度ほど時計方向で回転させて延坪(ヨンピョン)海戦の時沈没したチャムスリ357号の関数と合わせてみたのだ。驚くべきことに正確に一致した。] http://file.agora.media.daum.net/pcp_download.php?fhandle=OEtlaWNAZmlsZS5hZ29yYS5tZWRpYS5kYXVtLm5ldDovRDAwMy8wLzc4LmpwZw==&filename=천안함과-제3의-함수-합체전.jpg [写真:‘第3の船’の艦首の部分で模範としてまねた外側の線を天安(チョナン)艦の大きさに合うように調整して天安(チョナン)艦艦首と対照してみた。天安(チョナン)艦の艦首が‘第3の船’に比べて角度がはるかに急で隅形もさらに各イ負けている。] 進んで北朝鮮制魚雷スクリューが出てきたと操作した蓮花里(ヨヌヮリ)/蓮池洞(ヨンジドン)近海でなくこの場村入り江/大きなゲップ岩近海がすぐに事故発生海域であることが確認される。そして蓮花里(ヨヌヮリ)/蓮池洞(ヨンジドン)近海で取り出したという魚雷の破片は純然なねつ造であることが確認される。そして場村入り江/大きなゲップ岩近海で米軍潜水艦と同じ外部の物理的衝撃に天安(チョナン)艦が衝突/半破されて46人の貴重な命らが倒れていったことが確認される。 しかし事故後初期対応がうまくいったという話は産痛がこわれる。それでもそのみすぼらしいぶち壊すまいと、この重要な真実を最後まで隠蔽操作しようとするのか? [天安(チョナン)艦艦首と高速艇が同時に水に浸っている姿] |