minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦救助のあとの口封じ

天安艦救助活動の時にもう一隻沈んじゃった件についての
  もうちょっとだけ詳しい解説
 
天安艦事故現場に最初に到着していたのは海軍の船 第235高速艇船隊3隻です これはTOD画像に写っています でもあれって海上警察だったんじゃないの ううん国防部はあのTOD画像を見せながら21時56分に高速艇の第235高速艇船体が現場で人命救助活動を開始したって言ってますネ それを<聯合ニュース>もそのまま報道していました。TOD画像は知っての通り時差がありますから正しいかもしれない時間は21時58分だったかもしれません これは4月7日の合同調査団の発表を信じるかどうかってことですね
 
さてわかりやすいその時間帯の各部署の動きについてわかり易く時系列に沿って書いてあるのを見つけたのでそこから解説すると。
 
21:21:57 襲撃! KNTDS(韓国海軍状況図から消失?)
21:28    第二艦隊に救援要請
21:30   第二艦隊233・235号高速艇出動
21:31   第二艦隊から海上警察の出動要請
 
21:32   海上警察 501艇と1002艇の2隻を出動 
21:40   第二艦隊司令部から国防部に連絡  ※危機措置班招集と戦闘配置を意味する西風-1かな
21:47   海軍LINXヘリコプター出動 空軍にも連絡
21:56   海上警察現場到着救助活動開始  海軍235艇、他3隻で救助活動開始
21:57   第二艦隊“A”警報発令  
21:59   第二艦隊
22:07   第二艦隊 海上警察501号艇と1002号艇のRIBにて移乗開始 ※波があってゴムボートじゃない        と近づけなかった 
22:07   海軍233号艇救助活動が困難と判断
22:28   海軍235号艦に飛びうつろうとして航海長バクヨンス大尉水中に転落 322艇に救助される
22:41   海上警察501号艇 ゴムボート(RIB)2隻出す
22:50   海軍227号艦(仁川艦)2名ほどぺニョん島に後送
23:00   僚艦束草(チョクサ)艦 未詳の物体に76mm砲無許可発砲
23:13~翌日04:35捜索活動続行
 
さてこのとちゅうで海上警察501号艇に救助された生存者51名は 海軍233・235号高速艇に移乗します。
さらに城南(チョンナム)艦に乗り移って平沢(ピョンテク)基地まで夜通し運ばれちゃう。
艦長が天安艦を離れたのが23:13頃になっているようです、 つまり生存者の救助活動はそれまでだったと
ほらぁ“ 艦長は船と一緒に・・っとか 全員の無事を確認してからぁ” っとかあるじゃないですか これはこの時間で生存者だけはそこでおしまいして あとはゆっくりっと  あ 艦長さんとか数名は現場の船に残ってた?
生存者56人引くぺニョん島搬送2人  う~~ん 4人くらい現場に残ってたのかな?
  
海上警察が来るまでの間海軍がオタオタしていた画像】
 
[3月30日国防部スポークスマンウォンテジュのお話:国民日報]
 
画像見てみて 最初TOD画像21:33なのが カメラ横移動して戻ると 21:56になっちゃってるぉ  それでねこのように後ろに見える2隻くらいの海軍の船がいるんです 近寄らないっていうか もう救助活動終わっちゃったようにも見えます。
 
【救助活動70分の空白 一体何があったのか。】
<国防日報>の報道が偽りではないならば海軍は海上警察艦が到着する時まで手を離して待つだけでなくそれなりの救助活動をした。 ところが国防部長官は国会で事故後70分の間何をしたのかと議員らから追及にあいながらも軍がその時間の間次第で救助活動をしたという報告を一切しなかった。なぜその事実を隠したのだろうか?なぜ上の<国防日報>報道のように救命索を結束した後救助を試みたが大波波で不如意であきらめて救命索を解いたと説明しなかったのだろうか?
235高速艇編隊が事故直後事故現場にあったという事実でもそれなりの救助活動をしたという事実がなぜ隠蔽されなければならないことなのか?
235高速艇編隊が天安(チョナン)艦に救命索をつないで乗務補助員らを高速艇に移す過程で事故が発生したのではないだろうか?その事故の責任を隠すためにその事実を最初から隠したのではないだろうか?
天安(チョナン)艦作戦官バク・ヨンス大尉が高速艇編隊で跳び越えている間に落水したという事実も事故後初期には良く知られなかった。そうしている間4月7日合同調査団報告を通じて、海上警察が乗務補助員らを全部救助した反面軍はただ一人も人命救助をできなかったという批判を反論する次元で、“海軍も水に落ちた天安(チョナン)艦作戦官1人を救助した事実があるということを明らかにした。だが、それ以上の事実は知らされなかった。 ”
 明らかに高速艇一隻に何か問題があったと見ることが合理的な推論であろう。結論から言ってで高速艇一隻が天安(チョナン)艦に救命索を結んで救助する過程で天安(チョナン)艦と衝突して艦首部分がこわれてその過程で衝突/沈没した可能性が大きい。
ふぅ~~ん そうかなぁ
そこで過去記事にもした あの翌朝の浮上艦首部分につながるんです
 
▲よくあさ浮かび上がってきた艦首部分 その正体を国防部は天安艦だというが  実はこの写真も細工されて公開されたという経緯がある 手前の船と比較して大きく見えるようにいじってあるんだとか
手前を通る280t級の船と比較しても大差の無い大きさに見える やっぱり500tのチャムスル艦?
 
翌朝になって大きなゲップ岩の前に浮び上がった‘第3の船’が天安(チョナン)艦ではないということは去る4月24日天安艦艦首部分が引き揚げされながら明確になった。それでその‘第3の船’は何か?その付近海域で天安(チョナン)艦と衝突/沈没した船ではなくては別に想像しにくい。
そのような船ではどんなものがあることができるだろうか? 哨戒艦であろうか? 哨戒艦である可能性も排除できないが、少し前に一緒に調べた<国防日報>報道を見るならば高速艇である可能性がさらに多い。
 
高速艇は事故直後天安(チョナン)艦に救命索渡して救助活動を試みたし、その過程で将校ひとりが海に墜落したし、大波波である種の危険性があって救命索を解いて救助活動を中断した。そのように救助活動を中断する時にはそれなりの理由があっただろう。単純に“艦艇の揺れるということと自艦の危険を考慮して”そのようにしたのだろうか?
一方軍の報告で235高速艇編隊の数字がずっと2隻から3隻に一進一退した。それで全体的に救助活動に参加した高速艇数が四隻から五隻に一進一退した。事故後初期には国会報告で四隻の高速艇が救助活動に参加したと報告した。
リ・キシク合同参謀情報作戦所長は3月27日国会国防委員会報告で“高速艇4隻が何時に到着したのか?”というキム・ドンソン議員の質問に対して“21時58分に高速艇が2隻が到着した”と報告した。
ところが3月29日国会国防委追加報告の時にキム・テヨン国防部長官は“高速艇5隻と海上警察500t級1隻、それで主に6隻が中心的にその仕事をした”と報告する。しかし4月2日臨時国会緊急懸案質問では“一番最初に2隻その次にすぐに後に2隻して4隻がそこから出たし、それからおよそ30~40分後に仁川(インチョン)海上警察から連絡がついたのが...501ハム、すなわち500t級の警察艇が出てきました。”と報告する。
そうするうちに4月7日合同調査団報告では235編隊が21時58分に3隻がきて続けて22時10分に233編隊2隻がきてして都合5隻が救助活動に参加したことで整理する。しかし具体的にある、どの船なのかは明らかにしない。(唯一軍が公開した船は235編隊のチャムスリ322号だ。)
 
これに比べて人命救助を直接担当した海上警察は事故直後報道資料で“海上警察救助艇が事故現場に到着した午後10時20分ぐらい事故海域にはすでに海軍所属艦艇4隻が到着していた。だが、艦艇らが天安(チョナン)艦に近付くことができなくてサーチライトを照らしていた。”と伝えた。この事実は海上警察501号艇が30日午前1時頃仁川(インチョン)港を通じて復帰した直後持ったコ・ヨンジェ艦長の記者会見でも再度確認された。
それなら果たして救助活動に動員された高速艇は五隻なのか四隻なのか?五隻が参加したが一隻は沈没して四隻が参加したと隠してきて、そのような場合、235編隊の三隻の中で一隻がどこへ行ったかという疑惑が提起されることがあるので五隻で発表を統一させたのではないだろうか?
 
これと関連して乗務補助員救助活動にも疑わしい点がまたある。もし高速艇が天安(チョナン)艦と衝突、沈没したとすればその乗務補助員らはどうなったのだろうか?天安(チョナン)艦乗務補助員らと共に全員が皆救助されたのだろうか?一部は救助されたが一部は遠い海に流されて失踪したり沈没する船から抜け出すことができなくて死亡したことはなかったのだろうか?
軍は23時13分に天安(チョナン)艦乗務補助員救助が終わったと報告した。“23時13分以後最後に艦長、部長、通信長が、救命艇とRIBを利用して海上警察501号艇に移動した”と報告した。
 
救助活動終了は23:13 そのあとに救助された12人っていったい
 しかし<聯合ニュース> 3月 28日付で “海上警察は午後 10時 43分高速短艇 1, 2号が各々天安(チョナン)艦乗務補助員 12人、11時 2分高速短艇 1号が 12人を 救助したし、 午後 11時 20分に天安(チョナン)号が完全に沈没すること 直前(23時 13分12人を 救助した。 天安(チョナン)艦が完全に沈没した 23時 20分後 15分目の午後 11時 35分には救命具を導かれ生きて海域を漂流 中だった12人の天安(チョナン)艦乗務補助員を最後に 救助、 現場到着 52分目に全56人を救助するのに 成功した。”と報道した。
それでなぜ軍は乗務補助員らが全員救助された23時35分を救助完了時点で発表しないで天安(チョナン)艦 艦長がこのおよそ23時13分を救助完了時点で捉えるのか?なぜ23時35分に救助された乗務補助員らに対して軍と合同調査団は言及を回避するのか?最後の順序で救助されたこの乗務補助員らはひょっとして天安(チョナン)艦の乗務補助員らでなく‘第3の船’の乗務補助員らだから隠そうとするのではないだろうか?
 
海上警察501号艇の艦長が当局に連行されていく写真3月30日 これは聯合ニュースのインタビュー記事の出た翌日のことだった
 
こういう疑惑らを解こうとするなら軍と政府は大きなゲップ岩近海に浮び上がった‘第3の船’の正体を事実通り国民に知らせなければならない。それを天安(チョナン)艦の艦首と偽り発表してだましたことに対して謝って正さなければならない。そしてその船が何の船なのか事実通り告げなければならない。そして救助活動に参加した高速艇の数字発表がなぜ四隻から五隻に丁寧に上手く変わったのかも事実通り話さなければならない。
もう一つ言ってみれば大きなゲップ岩近海に姿を表わした船の艦首部分の姿は哨戒艦のことでないという事実だ。いくら見てもそれはチャムスリ高速艇の姿だ。この船は天安(チョナン)艦を救助しようと試みて事故に遭って沈没した高速艇だと推定される。 まず腹の頭の部分の曲線の部分がチャムスリのそれを非常に似ていた。哨戒艦の該当の部分はそのような姿でない。チャムスリのそれは角度もあまり急でなくて形も流線型だ。それに比べて哨戒艦のそれは角度もさらに急で形もさらに各イ負けている。
 
▲ずっと前の延坪海戦で沈没した韓国海軍のチャムスリ357艦の引き上げ写真 艦首部分に注目!
 
▲天安艦の艦首部分引き揚げのときの写真 見てのように艦底部分はカーブしていないのがわかる。