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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国版の<岸信介と朴正煕>

 
 
 
奇態? 韓国人のほとんどが意味を理解出来ない難しいことばが検索ワードで上位に入ったりしながら混乱している、もちろん現代の韓国人には聞きなれない言葉である、似たような発音(表記)をするある野球チームの監督ですらその意味については初めて聞いたと述べるなど漢字離れが進む韓国ならではの状況になかでお互いが意味を解さない韓国人同士での中傷合戦はヒートアップするばかりのようだ。
 
 
 
たぶんこの本が出典
 
イメージ 1大日本・満州帝国の遺産 (興亡の世界史)

姜/尚中
1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学准教授を経て、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。専攻は政治学、政治思想史

玄/武岩
1969年生まれ、韓国済州島出身。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。同大学院情報学環助手を経て北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。専攻はメディア文化論、日韓関係論
 
韓国版の<岸信介と朴正煕>という本の内容
 
イメージ 4姜尚中·玄武岩著| 1万7000ウォン   公称発行部数600部 (書籍センター調べ)
 
  "1961年11月11日、岡本中尉は軍事クーデターを主導した国家再建最高会議議長、朴正煕として再び日本の地を踏むことになった。"
 
朴正熙が1961年に日本を訪問して会った人物の中に岸信介(1896〜1987)がある。  彼は朴正煕から聞いた言葉をこのように伝えた。  "私たちの若い軍隊の兵士が軍事革命に乗り出したのは救国の一念に火乗ったからだが、その時日本の明治維新志士たちを思い出した"ということです。" 本が述べた岡本稔(冈本实)は、朴正煕が高木正雄高木正雄)で日本色を加えて再度変えた名前である。
 
 著者である姜尚中東大教授と玄武岩北海道大学教授が紹介したエピソードは、当時、韓日の政治家の間の儀礼的な会合以上の点に意味がある。  2人の著者が注目したのは、 "極端な世紀にアジアでの"ニューアトランティス"のようにそびえていたが蜃気楼のように隠された帝国"満洲国""である。
 
 
著者らは、日本関東軍の傀儡政府に1932年3月から1945年8月までの15年間存在した満州国が二国のルーツともいうべき "共通の母胎"を持っていると言う。 著者らは朴正煕と岸二人を案内者として満州国と戦後日韓の歴史を探る。
姜教授は、 "何よりも岸信介と朴正煕という二人の人物を介して戦後の日本、そして解放後の韓国の連続性に着目した"と書いた。 岸は日本の政治エリートの家の子孫であり、朴正熙は、植民地の貧しい青年だったという点を除けば、二人の政治経歴は、満州国の共通分母に妙に似ている。
 
イメージ 3岸は満州国に赴任当時、革新官僚 "と呼ばれたテクノクラートであった。 第二次世界大戦が終わった後、東条英機A級戦犯として逮捕された。 極刑に処される運命だったが、周囲の官僚出身の釈放嘆願などにより無罪で釈放された。 その後、日本の高度成長を主導し、首相格まで上がった。
 
イメージ 2一方の朴正熙は "日本人として恥ずかしくないほどの精神と気迫で一死奉公の固い決意"を表明し、満州軍官学校の試験に合格した。 敗戦後、帰国した南労党活動をして捕らえられ、死刑宣告を受けたが、 "満州人脈"である白善燁の助けで釈放された。  5.16クーデターで執権した彼は、韓国の高度成長を主導した。
 
渦中の韓国戦争は、二人の戦犯と左翼という烙印を脱ぎ出す機会に近づいてきた。 著者らは "米国とソ連の対立と冷戦が岸に幽閉の日々から解放してくれた絶好の機会であったかのように朴正煕と冷戦と分断は、"親日派の兵士 "という自分の暗い過去をきれいに消してあげる"予想外の幸運 "だった"と述べている。
 
岸の孫の安倍晋三は2006〜2007年、日本の首相を務め、朴正煕の娘、朴槿恵セヌリ党の大統領候補選ばれたが、子孫が有力政治家という点も共通している。
※発刊当時は大統領候補者でした
 
日本での経験が朴正煕を作ったが、より具体的には、満州国の経験が朴正煕を作ったとすることができる。 岸は満州国の総務次長を務め、計画的かつ制御的な経済政策を実施したが、その名前は "経済開発5カ年計画"と似た "満洲国の産業開発5カ年計画"である。 岸は農業国だった満州の重化学工業の根を下すために腐心した。 著者は岸の実験は "韓国の開発独裁の影を落としている"とし、 "軍事政権による国家主導型の重化学工業化と軍需産業の育成は、満州国の岸など所蔵革新官僚がなかなか成就できなかった夢を実現した"と評する。 岸また、満州国を経験に '新·長期経済計画 "などを作って吉田政権以降、日本の経済の方向を決定した。
 
経済部門だけでなく、満州の政治制度も母体をなす。 満州は、表面上は清の最後の皇帝溥儀を立てた立憲共和国であったが、中には "帝国の政治的威力を植えて置く中央独裁"に準拠した国であった。 朴正煕は兵営国家的な国力培養と総力安保という '韓国的民主主義 "を掲げたが、著者らは満州国の遺産だと謂う。
 
朴正煕が試みた精神的な動員、つまり精神的な近代化の淵源も満州国である。 反共・滅共大会、学生弁論大会、再建体操などの円形の周のイベント·制度と接している。  "建設"と "再構築"、 "総力安保"、 "総動員"のような言葉も満州を模倣した。 著者らは "朴正煕政権は、近代化の論理として効率的な動員と労働、節約節約、集団主義、欲望の節制などを国民に要求した"とする。
 
著者は、国民教育憲章の制定に関与しているセマウル精神維新の精神を接続させたイソングンのような "満州人脈"の過去の歴史も大事にする。 イソングンもまた、満州国の動員機構であった協和会協議員だった。
著者たちの評価はこうだ。  "満州国の帝国軍人と協和会協議員が意気投合することにより、満洲国での"非合理的な精神主義 "が韓国社会にも蔓延することになる。"朴正煕政権で首相を務めた丁一権も満州国憲兵大尉の出身である。
 
韓日間の "満州人脈"も粘着性が続いた。 岸は "浦項総合製鉄所とソウル地下鉄建設、さらには日韓大陸棚石油共同開発など日韓の間で行われた巨大プロジェクトの利権に介入した"とする。 岸は1973年、金大中拉致事件訪韓して朴正煕と会談をした。 彼は1970年に朴正煕から現渡し勲章を受けた。
 
著者らは朴正煕と岸二人の作家の司馬遼太郎の造語を借りて "帝国主義の奇胎(鬼胎)"と言う。 奇胎は、絨毛組織がぶどうの房状に異常増殖することを指す医学用語ですが、 "生まれてはならない" "不吉な"のような否定的なニュアンスが入った言葉だ。 著者らは国や制御、計画化のような奇胎の遺産は、金融危機以降、再び注目される現在の成り行きも注目されている。
 
 
(翻訳:ネト ミナ)
 
ほとんどニホン語の書評を書き写したような韓国版の解説ですね
 


 
韓国の経済発展が満州國の経済政策を模倣した、あるいはお手本にしたというのは古くから誰もが主張してきているので皆さんよく知っていることだと思います、 とくにどちらもニホンという大国がバックについていたということは在日2世の東大教授でもわかってることですよね
たぶんそれが気に入らないってことと"書いてある内容を理解できない現代韓国人が意味をわからないまま発火している"ということじゃないかと思うんです、在日2世の東大教授がハングルで書くわけないですから翻訳も意味がワカンナイんじゃないかと思うデスネ  (司馬遼太郎がでてくるとワカンナクなっちゃう)
 
あのときクーデターがなかったら、もっとろくでもない国になっていたかなぁっと思うと少し残念な気もしてきます (ぁ 西サモアでも良かったかもね)