minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

キムチの缶詰開発秘話っ

 
 
キムチの缶詰といえば、”ははぁ~~ん、ベトナム戦争の時でしょ”、”破裂した元祖特定危険食品だよね”と思い出します。ではそのキムチ缶詰って一体いつのハナシなんでしょうか、じつは1967年のことらしいです、しかもそれは缶詰が破裂したハナシと一緒ですよ。
 
 
 
キムチの缶詰の秘話
 
 
イメージ 1[キムチミーナ]1960年代、韓国軍がベトナム戦争に参戦しているときの将兵たちは、米軍用Cレーションよりキムチとコチュジャンを一番食べたいと言った。しかし、駐越米軍司令部側では国防省兵站規定を挙げて反対して韓国軍司令官チェ・ミョンシン将軍と論議を呼んだ。
この頃国産キムチ缶詰め開発に参加したソウル大学チョン・ジェグン教授がこれに関する背景と秘話を紹介してくれた。
 
 
イメージ 3
 
 
朴大統領の指示で3人の教授が研究
  
チョン教授はこの2月8日、TV朝鮮で元海兵隊司令官コン・ジョンシク将軍のベトナム戦争参戦記を放送する時、日本産キムチ缶詰めを供給したという発言が飛び出し、国産キムチ缶詰製造過程を正確に明らかにしておきたい、情報提供すると述べた。TV朝鮮放送でベトナム戦争参戦初期キムチ缶詰めがハワイにある日本人の食品会社で生産した製品だという事実はほとんど知られていない。
これに対してチョン教授は1968年8月30日付のソウル大学農家大学ノンファハク誌に発表した'キムチ缶詰めの製造に関する研究'(Studies on the Manufacture of canned Kimchi)論文を提示した。しかし、この論文は当局の指示で研究から2年後に発表したと説明した。
研究者はイチュンヨン(李春寧)当時、ノンファハク課長、キム・ホシク農学部部長や大学院博士課程中に研究の実務を担当したチョンジェグンらの3人だ。
チョン教授は研究を主導したイチュンヨン教授は、年老いて隠遁しており、キム学長は、死亡し、大学院生だった自分は教授職37年を引退して今は名誉教授にあの時を回想すると述べた。
  
摂氏35度で5分間殺菌処理
  
ベトナム参戦将兵たちのためのキムチ缶詰め開発研究は、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、キム・ホシク農学部部長と家政学とキムブンオク教授に指示して農化学科発酵微生物研究室で遂行した。当局でも急務だと督促して夜を徹して、研究に没頭しなければならなかった。
 
研究チームは、国内で製造してベトナム戦場に送り、軍納すると、長期間、キムチの鮮度を保存して組織感(歯ごたえ)を維持するためには、防腐剤を使用しなければならないと判断した。しかし、長期服用による兵の健康を思って加熱殺菌方法に替え、開発目標を摂氏30度の高温で1ヵ月ほど鮮度を維持しなければならないという条件で、部分殺菌技術を適用した。
 
こんな風に製造したキムチ缶詰めを軍艦便で台湾海峡を通過する時に高温に露出されると、キムチの味が酸敗、缶詰の自体が膨張する問題が明らかになった。これに対して再び殺菌温度を35度に高めて5分間殺菌する方式を採択した。
この結果、戦場で缶詰を封切りする時キムチチゲのにおいがしたが、組織感はそのまま生きていたから将兵たちが満足した。
チョン教授は研究結果を実用化した過程にあった秘話も紹介してくれた。
初めて試験生産は米国の援助で建設した大学内の試作工場で成功し、本生産は仁川にある園芸協同組合の小規模工場が担当した。ここの工場は、朴大統領の”実のなる木”を植樹して食用に生産されたクリを加工生産する工場だった。缶詰生産設備は江原道にある水産物缶詰工場で借りてきて技術者らも一緒に動員した。この初のキムチ缶詰め工場の竣工式には商工部長官が出席して祝いするほど、国家的に重要な関心事項だった。
1960年代の国の状態がこの程度だったという事実を振り返ることある資料の一つだ。
 
 
イメージ 2
 
▲キムチ缶を開ける韓国兵、着ている軍服はニホン製だったりしたらしい
 
  
韓国軍はキムチ食べずに戦闘できない
  
ベトナム韓国軍司令官チェ・ミョンシン将軍の回顧録ベトナム戦争と私”(2006.6.パルボクウォン)に、参戦勇士らにキムチ缶詰めを供給する詳細な過程が出ている。
 
猛虎(メンホ)部隊がベトナム戦場に到着した初期3ヶ月間はテントで野営し、米軍用Cレーションが供給されると、将兵たちが”味噌、唐辛子味噌、キムチを食べたい”という、建議が掲載された。クラブ将軍が米軍司令官ウェストモールランド将軍に会って"私たち韓国軍はキムチ食べずには戦闘できない"と主張した。その後、米軍司令部兵站参謀部が韓国軍用K-レーションを持ってきたから試食してみなさいと勧めている。
 
イメージ 4
 
ご飯にキムチ缶詰めとサンマの缶詰が入っているのだから食べるに値した。しかし、知ってみると、ハワイにある日本人製造工場から供給したという事実が明らかになった。噂が広がり、将兵たちが"韓国人の口に合わない"と突っぱねことにした。その代わりに国防部に要請し、国産キムチ缶詰めを調達してくれるよう建議したところ、1ヵ月ぶりに到着した。
これを米軍司令部側に見せながら、国産缶詰に調達してほしいと要請したところ、関係規定によって国防性が反対すると通知した。当時、韓国は米国余剰農産物の国と兵站の規定上、援助国では食糧を調達しないように規定されているものとした。
 
米軍司令部としてもこのような規定を改正する権限も能力もなかったまま将軍が米軍当局と折衝の末に物々交換方式を工夫した。1,200万ドル相当の物品を納品してそれだけ他の物品を受け取ってくる方式だったと記述したが、具体的な内容は明確ではない。ただ、この時から国産キムチ缶詰めを、参戦勇士らに供給して郷愁をなだめながら、戦闘力を発揮できたのは全ての参戦勇士らの証言で確認される。
  
 
どうせなら戦闘服と軍靴も…   えっ靴も軍服もニホン製だったの?
  
チェ将軍の回顧録によれば、初期の国産キムチ缶詰めが急いで急いで製造するために日本産より味が落ちたのが事実だった。それでも、将兵たちは、困難に供給された過程を聞いて分かったに"やはりキムチは、国産が最高だ"とわめいたという。
キムチに続き、戦闘服と軍靴に目を向けてみると、やはり日本で調達した事実が明らかになった。すると将兵らが"ニホン産戦闘服でベトコンと、なんと戦うか"と愚痴をこぼし始めた。参戦勇士たちは戦場を訪問した米軍紙のスターアンドストライプス紙の記者の前に破れたニホン製軍服を見せたりもした。 このような過程を経て国産戦闘服と国産軍靴で着替えて履くことあったという話だ。
 
韓進(ハンジン)海運の軍需物資の運送委託にも米軍の運輸当局が物品盗難が頻繁とし、言いがかりをつけて解約方針を通報してきた。クラブ将軍が調べてみたら、米国側の用役会社の言いがかりだった。 
これで韓進海運と用役契約を取り消すと、"米軍用弾薬庫などの軍需施設を韓国軍が徹底して警戒しているのではない"と注意を与えたら米軍当局はドキッと驚いた。当時、韓進(ハンジン)海運は毎日数百台の貨物車をベトコン奇襲が頻繁なコースで運送した。これに米軍当局が手を挙げて解約通知をキャンセルしたのはもちろんだ。
現代建設をはじめ、韓国建設会社各社の建設工事の受注にもこのような現象が頻繁だった。その時ごとに駐ベトナム韓国軍司令部が米軍司令部と協力して問題を解くことができた。
ラーメンも韓国の三養ラーメンとニホンのラーメンと入札競争が深刻だった。納品価格と品質についての是非が要因だったが、駐ベトナム韓国軍司令部の間接介入で三養ラーメンが落札して参戦勇士らが国産ラーメンを一杯食べられたのだ。
韓国軍のベトナム戦争参戦が6.25を撃退させた在韓米軍の韓国戦参戦に対する報恩の性格としたが、国軍の現代化と経済開発に陰陽に大きく貢献した事実は疑いの余地がない、明白な事実と確認される。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
 
キムチ缶詰がニホン産だったのではなく、日系人の経営する缶詰工場がハワイにあってそこでキムチ缶詰をつくり”Kレーション”として米軍が配った、というところまでは米軍の資料からも確認できます。
しかし”Kレーション”の登場は1967年2月からのことなのでそれまでは米軍支給の”Cレーション”を食べていたのが真実のようですね。
 
ところでベトナム戦争に参加した韓国軍部隊のうち朝鮮戦争での実戦の経験者はどのくらいいたのかというとその間には10年という年月があって指揮官には朝鮮戦争参戦者もいましたが、一般の兵隊は”平均年齢が24歳だった”ということもあって朝鮮戦争当時に彼らが何をしていたのかというと全く記録にはのこっていません。
 
ベトナム参戦の前年に三養食品が韓国産インスタントラーメンを韓国で市販しています、文中ではベトナムにも運ばれたとしていますが、”ベトナム戦争の食料は米軍が支給する”というお約束があって、キムチさえも運べなかったことからラーメンが韓国人に食べられていたというのは疑問の残るところです。さらにヨタ話ではよくありがちな、”米軍兵士が韓国軍部隊のキムチやインスタントラーメンを欲しがった”という都市伝説については”軍部隊の展開が全く別のところ”だったりしているのでほとんどそーいった交流は無かったとみるのが自然ですね。
これはどちらかというと”食糧難の韓国内の米軍基地周辺で食べられていたブデチゲに後年になってインスタント麺を入れた”という話に後ろ足が生えて二足歩行したことが原因みたいです。
 
キムチを食べると凶暴化した韓国軍
これは興味ある内容ですが別の機会にまとめたいと思います。
 
イメージ 7
 
▲兵隊がキムチを漬けたのも懐かしい記憶になってきている、現在では
兵隊が食べるキムチは契約業者が一年を通じて中国産を安定供給している
 
 
イメージ 8
▲塩漬けハクサイを一度洗ってから調味液に漬けるのが作業手順となります
被っている軍帽から1970年代後半の時期と推定される写真、素足の川の水で白菜を洗っているらしい
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
キムチの国のおはなしでした。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6