minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

米100㌧ 消えた?




農協倉庫のコメ100tが消える

水分が蒸発して減ることはある、責任者には弁済措置なのに”問題ない”?
運び出した形跡がない、在庫確認を帳簿上だけで済ませてきたのは慣例


イメージ 1[暮らしのミーナ]農協倉庫に保管されていた稲100トンが跡形もなく消えました。該当農協は稲が自然になくなったものだと主張しているんですが。事件に対する釈然としない釈明と措置のために疑惑はさらに膨らんでいます。

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全羅南道谷城にある米穀処理場です。
ここに保存されていた2013年の買い付け稲を昨年末、1年ぶりに確認してみたら100トンあまりが消えたことがわかりました。消えた稲100トンあまりは40キロの布袋2千3百余個分量で、時価では1億3千万ウォンに達します。
事件が発生した谷城農協は、米穀処理場の職員が棚おろしを適時に行わず、発生した過失と主張しています。

四半期ごとに自然減耗率を調査せず、生じたことだとし、米穀処理場所長など職員2人を懲戒し、弁償の処分まで下しました。

"1年間勤務をしたので4%の自然減耗率処理を行ったのです。 その時その時に棚おろしをしないなら、その前にある量は推定するだけで、正確性を認定をしないじゃないですか。"
農協側は四半期ごとに2.94%まで減耗率が適用される場合があるために考えてみれば百トンが消えていくのをまったく変なことではないと主張しています。

"先にちょっと対処をしなければならなかったが、日が暑くなったらサイロが暑くなったため、その分、稲が息をいっぱい休むんですよ。 腐らないように変質がつかないように水分をちょうど発散をします。"

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しかし、別の農協の役員や従業員らは、米穀処理場の稲2400トンのうち百トンが消えることは経験上、全く正常でないと明らかにしました。
該当農協と警察はそれぞれ稲を盗まれた根拠がない、告発や告訴が行なわれなかったとし、申告や捜査をしていません。
組合員たちは、米穀処理場の職員に減耗分を弁償することにして事件を終えることがしっぽを切りではないかと芳しくない視線を送っています。


(翻訳:みそっち)



有名な話 :「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

「100トンのコメも倉庫にしまっておけばたちまちなくなるが、ああ無情」

100tが倉庫から無くなるなんていうのは国技の一つとしてみていいでしょう
なにしろ外貨準備のお金がそっくり消えちゃったりするような国ですからね
農協のほか漁協・畜産協同組合や森林組合長の全国同時選挙が来月11日にあります、韓国では農協などの組織は組合員のために存在するのではなく組合長のために存在する組織なので不法選挙活動はすばらしいものがあります。
お金の入った封筒は飛び交うし対立候補襲撃なんかもちょくちょくあるようです。当落が決定したあとには落選者による訴訟合戦も行われ当選者共々逮捕されるなんてことがあります。それでも犯罪者国家ですから当選者の身分が保護されるんですね。


読み直しておきたい過去カキコ



イメージ 5朝鮮時代のコメの収穫量はニホン人が想像するよりもはるかに少ないものでした。なにしろ国中にコメがなかったのでニホンから運ぶことで利益が出たといいますからおどろきです。そんな開国から10年後には日清戦争がはじまるわけですが、その当時”ニホン式検地”を行ったところコメの収穫量が過度に少ないということでニホン式灌漑などが推し進められ、日韓併合から10年目の1920年にはコメの収穫量が5倍になるなど農業改革が行われました。
朝鮮人が当時何を主食にしていたのかは現在でも明らかになっていません

イメージ 4そんな貴重なコメでしたが朝鮮時代には地方の役人がコメを集めて中央政府に運ぶことで中央政府の財政が賄われていたようです。
当然のようにそこには不正やインチキやデタラメといった”朝鮮エッセンス”が充満していましたから収穫量のうち大部分は中央政府に届くことなく消えてゆき朝鮮王朝は収入もないまま開国を迎えるとその途端に出費がかさみ財政不良になっていったわけです。
ニホン統治時代に増えたコメの収穫量にあわせて人口も増えてしまったのは当時の明治政府の大失策であるとみる意見もありますが、”朝鮮米”というのは当時から人気がなく”当店では朝鮮米を使っておりません”というような貼り紙が市内の食堂など各所で見られたように二級品どころか三級品の扱いだったことはよく知られています。

韓国の農協のはじまり
朝鮮戦争後の疲弊から食料増産へと時代が移り変わってゆく中で自然発生的に農村部ではコメなどを扱う組織がつくられました。やがてこれは全国組織となり現在の韓国型農協の形を整えてゆきます。ただしニホンの農協が盛んにハワイ旅行などをしていた時期の韓国農協はようやく預金業務などにも手を出し始めたような初歩的なものでした。
また経営面でもニホンの農協のようには上手くいかず、”肥料を独占的に売り”、”農業機械を独占的に販売し”、”収穫物に独占的に値段を付ける”という韓国型農協へと変貌していく過程の中で農家の数が激減するなどニホンよりも遅く出来た組織が早く衰退していったことは興味深い事実でもあります。
現在では農協の名前を残しながら地方の農村部では農協の統廃合が進みましたが金融方面に力を入れており減ってきた銀行圏のなかで農協銀行はいくつかの銀行の中でも上位になるほどの隆盛を誇っています。
ニホンでは国鉄プロ野球球団を持っていたことがありましたが、韓国ではニホンよりはるかに遅れたプロ野球球団結成のうち”農協”が球団買収に乗り出したこともあるようななんとも不思議な光景があったことが記憶されています。  あっ ”農協大学”っていうのがあるんだよ ホント?



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鬼ころはコメからできているょ




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