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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

和式農業用語を韓国語の農業用語に変えるさ




'稲が倒伏'はどういうこと?…難しい農業用語をやさしい韓国語に変えよう
今年のハングルの日には”和式農業用語”を純韓国語農業用語にするよ


イメージ 2[ハングルミーナ]農林畜産食品部は第569周年のハングルの日を迎え、漢字語、日本式表現など、困難な農業用語をハングルに切り替えて使うようにすると7日明らかにした。

これまで農村振興庁を中心に農業用語をハングルに変えていく努力が行われていたが、まだ公文書や研究機関発行資料をはじめ、農業現場で、韓国語の農業用語の使いが活発ではない状況だ。

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▲施肥が是非と似ている(韓国人には是非とは争いの意味)これを肥料週期みたいに変えるらしい 


農食品部は今回のハングルの日を記念して農村振興庁と協議を通じて現場でよく使われる農業用語のうち、109つを選んで優先的に国語純化することにした。 選択と集中を通じて、実際に韓国語農業用語の使用を増やしていくという計画だ。

また、毎月'今月の純韓国語農業用語'を5つずつ選定し、該当単語を積極的に広報する予定であり、まず10月にはよく使われる言葉と重なり、農業用語だと考えることが難しい漢字語5単語(問題、水道、偽造、道着、喘息)を選択して集中的に広報する方針だ。
農食品部の国民と疎通する農業用語109個及び'今月の純韓国語農業用語'は農食品部をはじめ農村振興庁、韓国農漁村公社、農林水産食品教育文化情報院のホームページで確認できる。


(翻訳:みそっち)



言葉の解説:施肥 水稲 萎凋 倒伏 浅植 ←これが、問題、水道、偽造、道着、喘息と区別ができないらしい

ニホンの民衆に朝鮮のようすが伝わったのは西郷隆盛が生きていたころの征韓論と前後した頃になります、朝鮮の開港が1875年(明治8年)ですが、それ以前から釜山などにはニホン人商人なども常駐していたりして朝鮮人が大したことのない奴らだということはわかっていました。とくに朝鮮人と商売をしていくなかで朝鮮の国内には金銀銅貨が無かったことで綿糸と人参以外に利用価値の無い国だということはよく知られていて、明治初期のニホンからの輸出品がいくらでも売れそうな文明遅隔地としての認識が広まっていました。
当時の朝鮮を訪問したニホン人によれば、土地は荒れ、用水は整備されず稲は直播きで収穫量はニホンの半分程度といういくらでも改善の余地があるような状態でした、
朝鮮の食べ物は雑穀が主で白い飯などは漢城まで行っても食べることができない有様だったと言われています。とくにニホン人が驚いたのは常民とよばれる平民と支配階級の両班のほかにかなり多くの奴婢の身分がいたことでした。

つまり農業の分野では中世以前の竪穴式時代にも似た水準だったわけです。そうなれば新しい技術としてニホン式の農業の普及が急がれたのも当然のことでした。その結果、朝鮮でのコメの収穫量は開国から20年後にはおよそ2倍となり、ニホン統治時代になるとさらに2倍以上になるということになりました。朝鮮時代にはコメで年貢を納めるということはなく、賦役を務めたり布を税金がわりに納めるなどの租税方式だったので国中に金がなく遅かれ早かれ国の財政が破綻してゆくことは目に見えていたのです。そんな国をまるごとニホンに譲ってしまえと考えたのが当時の開明派だった朝鮮帝国のお役人たちでした。

そんな国にニホン式の近代農業といっしょにニホンの言葉が伝わったのも当然のことでした。

ノーベル症のあとにはハングルの日(10月9日)があるというのが韓国の歳時記ですから話題としてハングル純化のために韓国式表現への回帰が叫ばれるわけです、そして”純韓国語農業用語'”にしようってことですね、コメは直播きでしたからニホン式の水稲という表現があまりにも斬新だったのかもしれません。


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