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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

農薬サイダーって苦いの?



'農薬サイダー'殺害事件の顛末

'真実攻防'2ラウンド…'直接証拠'要求されて 
警察"物証・情況証拠は十分"…容疑者確実視 
容疑者側"本当に知らないこと、誰か罪かぶせて" 
専門家"間接証拠に不足、直接証拠の提示すべき"


イメージ 1[事件ミーナ]慶尚北道尚州で発生した'農薬サイダー'殺害事件の実体が明らかになっていない中、警察と、容疑者間に'真実ゲーム'と突っ走る様子を示している。

警察は物証と情況証拠などをもとに容疑者を毒物殺人事件の真犯人と断定しているが、容疑者は犯行を否認して家族たちも"濡れ衣を着せられた"と反発している。
裁判所は容疑者に拘束令状を発行して警察に力を与えたが、事件の実体はまだ明らかになっていない。 警察は24日現在、起訴意見で検察に送致するという立場だが、検察で'真実'が明らかになるかは未知数だ。

一部では証拠不十分に警察の無理な捜査を指摘したこともあり、今回の事件がややすれば、2004年の大邱(テグ)'毒物ヨーグルト'事件、2007年、慶尚北道永川'農薬ドリンク'事件のように、迷宮に陥りかねないという指摘も出ている。
社会的波紋を呼んである尚州'農薬サイダー'殺人事件の顛末を追跡した。
 

パク家集まる村廃墟になる 
 夏の暑さが行われる最中だったが7月13日、尚州市錦渓1里村の人々は初伏を迎え、サムゲタンを分けて食べた。 村は42世帯に86人が住み、住民30%がパク氏の姓を持ったパク家集成村では、仲良く過ごしていたという。
 
ところがパーティー翌日の14日、町は廃墟となった。 前日、村の宴の際に飲んで残ったサイダーを飲んだおばあさん7人のうち6人が泡を吐いて倒れた。 このうちシン某さん(65)がめまいを訴えて公民館 の外に出て、容疑者のパク某さん(82)もシン氏を追いかけてドアの外に出た。 ちょうど村会館に入ってきた住民、パク某氏(63)がこれを発見して119に通報した。 国立科学捜査研究院はサイダーに毒性殺虫剤が入っていることを確認した。

翌日15日、金泉医療院 で治療を受けたチョン某(81)さんが死亡した。 警察は17日、農薬サイダーを飲まなかったパク氏を容疑者として逮捕して自宅を押収捜索した。
翌日、慶北大学病院 へ移送されて治療を受けていたラ某(89)さんが死亡し、残りの4人のうち3人は依然として重態だ。 
 
警察は18日、パク氏に対し、殺人容疑で拘束令状申請し、裁判所は20日、逃走および証拠隠滅の憂慮があるとして、逮捕状を発行した。

警察、パク某お婆さん容疑者とみなす
警察は事件初期、誰か人を害するため、サイダーに農薬を混ぜたものと把握し、部外者が目撃されたという証言がないことを根拠に、村の住民80人余りを容疑線上に載せた後、捜査を進めた。 そして、調査から四日目に事件現場にいたパク容疑者を有力な容疑者と特定して、拘束令状を請求した。

イメージ 3警察がパク氏を容疑者として特定したのは物証とパク氏の疑わしい歩みのためだ。
警察は17日、パク氏の自宅で殺虫剤が入った、ふたのないドリンク剤容器を発見し、パク氏を容疑者にみて、検挙した。
サイダーとドリンク剤の殺虫剤成分は同じものに確認された。 この殺虫剤は2012年販売が禁止された毒性農薬である。 事件現場では1.5ℓ入りペットボトルにドリンク剤キャップが入っていた。 また、殺虫剤が残ったドリンク剤とお祖母さんの家に保管されたドリンク剤の有効期間が同じことが明らかになった。

特に警察は押収捜索を通じてパク氏の家の裏庭の塀の付近で殺虫製剤が入った黒いビニール袋を探して決定的な証拠として押収した。 この農薬容器の表面には6人が飲んだものに入った殺虫剤と同じ製品の名称が書かれているという。
警察はまた、事件当日、パクさんが着た服と乗って通っていた電動スクーターの取っ手から、犯行に使用した殺虫剤と同じ成分が検出されたという国立科学捜査研究院の通報を受けた。

イメージ 4事件発生の後、パク氏の行動と供述などでも疑わしい点が多かったというのが、警察の説明だ。 警察は拘束令状を請求し、事件当時、パク氏の自宅前に設置されたCCTVと119救急車ブラックボックスの記録を有力な手掛かりとして提示した。
これによると、事件発生日の14日、パクさんは、老人用小型電動車に乗って、普段通っていた道ではない正反対方向の村の入口の方に移動する姿がCCTVに残った。 警察は、パク氏がアリバイを作ろうとわざわざ自分の姿をCCTVに入りに出したのではないかと疑っている。
また、救急車ブラックボックスに入った映像で、パク氏は、救急車が村の会館に入って、あるお婆さんを乗せて村を離れる時、会館前の階段に腰をかけて救急車反対の方遠くの山を眺めており、村会館にお婆さん5人が倒れているという事実を救助隊に知らせなかった。
警察は常識的に救急車が来た時、会館内の被害状況を積極的に知らせなければならないが、救急隊員らが去る前まで一度も目を合わせない、会館内にいていたおばあさんたちを放置したと明らかにした。
また、パクさんの服とスクーターの取っ手などから農薬成分が発見されたとした。 これについて、パク氏側は、被害者たちが口にしたあぶくや吐瀉物を拭うときに付いたと言うが、警察は、死亡したおばあさんの胃液、吐瀉物など唾液からは農薬成分が検出されなかったと伝えた。
農薬成分がついていたパクさんの服の部位もズボンのポケットの内側とズボンの裾、上着のボタン部分などと吐瀉物を磨いたところだと見るには大変な部分という立場だ。

容疑者のパクさん"憤懣、誰かが謀略"
容疑者のパク氏は"農薬は私が購入したことがなく、その農薬が何だかわからない。 誰かが持ってきたようだ"として、容疑を強く否定している。 パクさんの家族も、"一人で暮らしながら、庭先に小さな菜園を築き上げていますが、今年の粉除草剤を買ってあげたことがあるが、警察が発見したという殺虫剤は全く見たことがない"と話した。 また、"本当にそう(農薬サイダー製造)したとすれば、決定的証拠になるものをよく目につく家の周辺にそのまま置くか"と反問した。

イメージ 2パクさんの息子は、18日、家の庭の倉庫の隣で農薬容器農薬の粉が入ったビニール袋を発見して直接持ってきて申告をした。 パク氏側は誰か、バク容疑者の自宅に農薬袋を置き忘れたものと見られるとし、'第3の人物'に対する疑問を提起した。
また、被害者の一軒で犯行に使用されたのと同じ成分の毒性殺虫剤が発見されたことが確認され、パクさんの息子は、24日"殺虫剤が数ヶ所で発見されるほど、農家によく保管されているものだ。 したがって、母親の家で殺虫剤が発見された点を決定的な証拠と見ることができない"と主張した。

パク氏は服などから殺虫剤成分が出たことに対して"サイダーを飲んだたおばあさんの口から泡が出たために口をぬぐって、汚れているようだ"とした。 パク氏の話通りなら、農薬が付きにくい部位で発見されたのは説明しにくいという警察の主張について、パク氏側は、農薬が付くようになった経緯を説明できる、パク氏の言葉を警察が断定的に解釈した部分があると反論した。

CCTVと救急車ブラックボックスに入ったパク氏の行動に対しても、一部の弁護士は"それは間接証拠であるだけで、パク氏が普段と異なる振る舞いをしたのが、証拠を隠すためのものだというような直接証拠が必要だ"と話した。 ある弁護士は"救急車が来た際、パクさんの行動を問題視しているが、主観的判断と見られ、パクさんが自分の行動に合理的な理由を対面の責任を問い難い"とした。


住民の供述分かれて…直接証拠要求されて
容疑者のパク氏に対する住民の発言も食い違って捜査に困難が予想される。 サイダーを飲んで現在、重体に陥ったある被害者の息子は、"花札をしては、争ったという話を聞いた。 うちの母がお金をたくさん取る方だが、恨みを持つことができたかもしれないと思った"と話した。
しかし、被害者中で意識を回復したシン氏はあるマスコミとのインタビューで"パク氏は村にお嫁に来た後、70年一緒に暮した。 生え抜きて性格が穏やかだ。 間が悪いの全くなかった"と話した。 死亡したラ氏の息子も"パクさんは良い方だ。 母にもお兄さん、お兄さんしながら親しく過ごした"と話した。

村のある住民は“花札を打って言い争いするのはたびたびあることで何の問題か”としながら“点当たり10ウォンの花札を打ってかたき同志となることが何があるか”という反応を見せた。
専門家たちは捜査過程で直接証拠を提示することのできない場合、両側の真実攻防は続くものと展望した。



(翻訳:みそっち)



ようやく、良くまとまった記事があったのでそれを紹介しました

なんでも”早く早く”という韓国ですがこうした事件ではいつまでも結論が出ないでグダグダしちゃうことが多いようです。 ※迷宮入りも多いよ

ちなみに”早く早く”の国といわれる韓国ですが、ニホン統治以前の朝鮮時代はもちろんニホン統治時代でも”スローモーな朝鮮人”ということで作業水準が極めて低かったということがよく知られています。ではなぜ早く早く早くのひとになっちゃったのかというとこれはわずか3年ほどだけでしたがアメリカ軍政による影響が大きかったようです

”早く早く”は 韓国語でパリーパリー(빨리・pplari)といいます、これが英語だとハリーハリー( hurry)なんですね、はひふへほが破裂音のぱぷぴぷぺぽになっただけのことです。これは韓国の知識人の多くが認めたがらない事実ですが、アメリカ軍政期に米軍相手の雑用をしていた韓国人にむかって”はやくしろ、急げ、ぐずぐずするな”という言葉を日常的に使ったということや、빨리という単語が戦後生まれであることなどから徐々に知られてきているようです。



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