minaQのつぶやき 네토미나

慰安婦像の首が落ちる日を待っていてくださいな

シンちゃんが書けなかった石仏の謎




 
ひな祭りが理解できない韓国人
 
 
ひな祭りと言えばどこのうちでも押し入れを占領しているアレを思い出します。広げると邪魔だったり片付けるのが面倒だったりします。よほど見たことのないひとでもお友達の家にお呼ばれした時に見たことがあるんじゃないでしょうか。  きょうはそんなお話です。



韓国では真似のできない雛祭りの伝統がくやしくて悔しくて
 
1 探求テーマ:ひなまつりVS韓国の子供の日
ニホンのひな祭りの起源についてはココ

2 探求を通じて調べたい点
上記のトピックを調査することにより、韓国の子供の日と同様のニホンにあるひな祭りという行事、そのひな祭りとイベントがどんなイベントなのか調査することにより、子供の日との比較をしてどのような点が似ていてどのような点が違うのか、そして日本にこんな文化がったんだということを確かに知って新たに知って知らない人に教えてあげたい。
※韓国のこどもの日は、単にお菓子を買い与え、お小遣いをあげるだけの日である。ニホン統治時代に始まった。
 
3 探求の内容
ひなまつりとは、毎年3月3日の日に女の子の成長と幸せを祈願する行事として、
端午の節句」というものもあります。 
端午の節句」とひなまつりとはの別の名前で3月3日の日の祝日です。
旧暦で桃の花が咲く季節の行事に由来した言葉で、日本の五祝日の一つでもあり、人形を飾り、甘酒を飲みながら女の子たちの成長を祝う行事です。
女の子がいる家庭の多くはひな人形を飾って、桃の花や糖蜜を埋め込まれたトィバプ餅、白酒などを雛人形と一緒に飾って供養します。
「ひなまつり」は春を表す季節ちょっと祈っています。
 
ここで女の子が生まれて初めて持つひなまつりは節句も呼ばれます
男の子のお祝いは、5月5日の端午の節句に、男の子には、その日の初節句でもあって

雛人形とは?
雛人形は、男の人形がお内裏様、女の子の人形がお雛様であり、十二単(じゅうにひとえ)を着ています。最も豪華な雛人形は7段であり、かつては花嫁のツールの一つでした。 
 
雛人形は女の子の代わりに、事故や病気から守ってくれて子供の健康と幸せな成長を祝うために飾ります。姉妹がいる場合は、雛人形も2つずつ別々に飾るために必要されますが、当然それは難しいことなので、女の子がいる家庭では雛人形は一つずつはいるのが一般的です。 
※韓国には雛人形にかわる人形が存在しない、ニホン統治時代に流入した数多くのニホン文化の中でもこのように根付かなかった文化はきわめて珍しい
 
ひな祭りの起源?
ひな祭りの起源は、体の汚れや災いを人形に移し、川に流して厄を追ったこと、中国の風習にあります。これが日本に伝わると、女性の妻の人形遊びと合わさって、江戸時代からひな祭りに行われるようになりました。
 
なぜ3月3日?
3月3日と定められたのは室町時代といわれます。当時の貴族の女の子たちが雛遊びという遊びをしました。雛遊びはこの頃言い方にすれば'ママごと遊び'で、紙などで作った人形や家、周辺道具をまねたおもちゃで遊ぶ遊びです。そこから、その人形を「ひな人形」と呼ぶようになりました
 
 
ひなまつりに食べる3つの食べ物!
 
最初のちらし寿司
ちらし寿司の中に入る具のエビは「長寿」レンコンは「覆うことなく、遠くまでよく見える「豆は「健康に着実に働くことができること」を表しているとします。  ※完全におせちと間違えている
 
 二番目の雛あられ
雛あられは、屋外でのひな遊びを楽しむときに持って行くための携帯食料で
由来しています。
 
 第三のヒシモチ
ヒシモチの3つの色はピンクが「桃」白は「目」緑は「フル」を示しており、3月という季節の情緒を表現しています。 
 
 
従来の7段飾り
→1段:お内裏様。左は男の人形、右は女の子の人形。
→2段:宮女の姿をした三人形。左右の女官は、立っていて中の女官は、座っている。
→3段:五人の奏者。男の子の人形、謡(うたい)・笛・小鼓・大鼓(おおつづみ)・太鼓を有している。
 →4段 :左大神うふ。両者の間には、ヒシモチ(菱形の形で赤、白、緑の餅)と食卓が並べられている。
→5段:みかんの木と桜。左は桜の花、右はキツ。その間に始まりウ(昔の役所の用務)がある。
→6段:ツール。単相、倉庫、寛大、台座、ヒャンデなど
→7段:乗り物。牛車、窯など
ひなまつりと韓国の子供の日の類似点と相違点
韓国の子供の日の5月5日、日本では、韓国の子供の日の5月5日は逆に人の子供の日鯉のぼり[こいのぼり]とする。
類似:子供、子供のための日
違い:ひなまつりは女の子の成長と幸せを祈願する行事で、子供の日は、女の子、男の子を問わない。
 
それ以外に伝わる風習
祭り当日になれば娘を置いた家庭では家族皆が集まって食べ物を分けて、祭りが終わればひな壇を片づけることになるが、この日食べ物を分けなかったり、祭りが終わったのにひな壇を片づけなければ自身の娘が遅く結婚したり最初から結婚をできないという風習が伝えられる。
 
 
4 探索結果
ひなまつりは女の子の成長と幸せを祈願する特別なイベントであり、ほとんどの家庭では、この日になると、ひな人形を家に加え、飾ってトィバプ餅白酒などを雛人形と一緒に供養し
雛人形は7段飾りやされ、韓国の子供の日とは、子供のための日という共通点があった
ひなまつりは女の子のためだけの日というのが、韓国の子供の日との違いを知ることができる。
 
5 知り合った点(まとめとコメント)
ひなまつりとイベントが日本のどんな楽しいイベントだということは聞いたことがある女の子がウイン日というのは、また改めて知るされて女の子の日ということについて人女性は別にするがいると言う不思議し、特に7段にもなるひな人形ということを前提に設置するというのが本当に不思議に感じられたひなまつりとはこのように大きく、楽しいイベントだと改めて悟るようになった
後でカーソル日本を行って必ずひなま​​つりにこれらのものを楽しみたい 。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
 
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▲韓国型祭壇にはニホンの文化を取り入れた部分が散見できる、真ん中に見えるのはまぎれもなくである
 
 
お土産として今に伝わる韓国人形
 
韓国には人形の文化がありません、それこそ全く存在しません、髪の毛の伸びる市松人形というホラーも理解できないほど縁がありません。近年になって輸入された、りかちゃん人形(バービー人形よりも安価)などの着せ替え人形が出回るまでは何も無かったことになります。
 
韓国のお人形事情はここが詳しいです 遠くのサイト
 
ニホンの江戸時代の庶民がひな人形を並べていたのかどうかは知りませんがあるところにはあったわけです。その一方で韓国では朝鮮時代から人形の文化が全く存在しなかったというのが驚きでした。
 
たぶんあったのでしょうけどみんな首を抜いて燃やしちゃったんだと思います。
 
 
 
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貴族のあそびを貴族になりたくて真似をしたんだろうだって





みそっち歴史散歩道 石仏を見る ⑨

【石蓋仏】復元の過程で敷石を石仏の上に載せた韓国だけにある意匠のこと、復元資料なども無いまま再現されたといわれる


イメージ 9[歴史ミーナ] 古くはインドに起源を求めることのできる仏教が伝播する過程でさまざまな土地風習と融合し各地で独特の文化を形成してきたことは明らかである。

韓国に残る仏像は多くがが朝鮮李朝時代の儒教による廃仏攻撃で跡形も無く破壊されて来た歴史の紹介とともに韓国で再現された仏教文化の素晴らしさを紹介しよう。


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▲現在、京畿道有形文化財第37号に指定がされているメサンリ石仏立像は、高麗初期の祖先の石仏立像と推定する。 狭い肩と比例に合わない造形、頭に置いた宝蓋などに見高麗初期の石仏フォームを示しているからだ。

 

宝蓋とは元来仏舎利などを収める石塔の上部に位置する蓋のこと、韓国では破壊された仏教寺院の仏像の復元のさいに石仏のうえに置いたことから石蓋仏という世にもまれな造形が生まれた

 

 

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▲利川市郷土遺跡第10号に指定されたソンウブリ石仏立像、近所の小川に打ち捨てられていた石仏を掘り起こし現在の位置に安置したもの。

 

※破壊された部分は石像の上部であり、後年になって遺跡物の指定を受ける時にこの造形が生まれた

 

 

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▲このすぐれた意匠を持つ石仏は発見されたときには石像上部は毀損しておりその後、推定と歴史的見地から復元がなされた。 石仏の上部はコンクリート製であり復元には細心の注意が払われ史実に基づいた忠実な再現であると解説には書いてある。

 
 

 

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▲京畿道利川市ジャンホウォンウプオソクリの高麗前期の仏像。 高さ4.32m


京畿道利川市ジャンホウォンウプオソクリ村真ん中にあるこの石仏は、上·下2枚の大きな石で構成されている。 頭にドルガトを書いていて四角い胴体の上に四角い頭を上げて、まるで4角の石柱のようだ。

 

※こちらも発見時には頭部がなく付近の山に打ち捨てられていたものを復元している、頭部に載せられた石蓋は石材の材質も違う上にその意匠は歴史的に見ても500年程度あたらしい時代のものだという指摘がなされている

もちろん石仏の頭部に石蓋が載っていたという伝承は残っていない

 
頭の上の天盖を除佛身は、太ももを中心にして上下2つの石で構成されている。 新羅法興王15年(528年)に与え李(イ某)が調整の命を受けて5ヶ月がかかって彫刻したと知られています。 しかし、実際に仏像の様式は、それよりもはるかに遅い高麗時代前期の様式を示している。

平面的な顔の目鼻立ちが形式的である。 適当な長さの目は左右に伸びていて、小さな鼻の穴がある鼻は眉と号線(弧线:滑らか形に曲がった線)を描いてつながっている。 そして口は細やかである。 両耳は長く伸びて肩に触れていて、首には深さが浅い三道(三道)が回されている。
 

国立慶州博物館には"首無し地蔵"がいっぱい



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▲慶州の国立考古博物館には頭部の欠けた仏像が大量にコレクションされている、この多くは蒙古軍の進入や倭乱などにより毀損されたと解説版には書いてある。

状態の悪いものや歴史的価値のないものも大量に保管されている。

※慶長朝鮮出兵のさいの記録によれば"朝鮮国仏像悉く頭無く寺院荒れ果てり"との記述にもあるように16世紀の朝鮮時代に禁教となっていた仏教寺院はこのような有様だったと考えられます。



◆  



これが韓国の五重塔


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▲比較的原型を復元した"石造り五重の塔"、この復元には慶州大学考古学部による綿密な調査が行われ建立当時の荘厳な雰囲気を忠実に再現している


五重の塔なのにもかかわらず周辺には"余った石材"が散乱したままになっている、これは五重の塔である、余ったパーツは仏像の頭の上に安置するというのが"韓国型近代式仏像復元術"なのだ。


 
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日帝時代にはちゃんとしてたのに(1936東亜日報



 

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▲近年になって再現された石仏には石蓋は付属していない、韓国だけに存在する石蓋仏という概念も近世になって疑問視する声も出て来ている。

 


わりとたくさんある"汁をながす石仏像"、ただしその頭部はすべて近年になって創作されたもの
 
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2004.04.13
 
イメージ 10忠清北道忠州市相貌とミルクリ中原彌勒寺址内弥勒石仏立像の左側頭部から目の上の部分まで5日目汗(?)が流れて神秘感を与えている、国難のたびに汁を流す石仏としては有名である。
 
1987年7月18日史跡第317号されたが1970年の発見当時には石仏は横倒しになり、5つのパーツに分かれて周囲に散乱していた、石仏頂部の石傘も世界的に類を見ることのできない奇抜な装飾として設置されたし周囲から発見されなかった頭部は近年になってコンクリートで再現されたものである。 頭部の傘は礎石として使われていたものだという主張もある。
宝物96号として認定されるために性急な改修が行われたという良い見本だ。
 
 
 
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宝物:96号:所在地:忠清北道(チュンチョンブクド)忠州市(チュンジュシ)サンモミョン弥勒里(ミルンニ)
 
 
 
 
 
こちら 今日話題の"半島災難汗を流す石仏(生物)"
 
ものすごくへんな顔してるのには理由があります
 
 
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三韓高麗百済な時代の建立だとするには理由と根拠が見当たらない、朝鮮時代の廃仏によって無くなったものを見なおすといった"歴史の創作"という政策によって1997年に予算化され喪失していた頭部は歴史的考証と正確な検証を経て忠実に再現された (専門家の手による復元が・・・) 
 
プロローグ
韓国の仏像には必ず首がない、朝鮮時代に仏教が排斥され仏教寺院が破壊された時に首が全部落とされたと伝えられている。
その後、仏教は禁教となり偶像崇拝の異端視とともに僅かにあったとされる
”宮廷人形文化”も完全に歴史の淵から消え去った。
 
宮廷人形文化の存在は疑問視されている、朝鮮半島では人形文化の主人公となる女性の地位が無かったためそういう文化が根付かなかったと考えられている。
 
 
 
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百済の時代のものと推定される石仏、顔面がセメントで復元されているが、"周囲を圧倒する存在感とおだやかな表情"が親近感を与えている。
 
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 あの顔に似ているっ
 韓国で復元された石仏はまるで"中世から伝わるフレスコ画のような温和な顔をしている" らしい
 
 
 
 
 
 
 
2013-02-02
 
イメージ 9"国家災難予告する仏像?"益山石仏坐像汗を流して、国家の災難があるときは汗を流す全羅北道益山石仏寺の石ブルジョワサン(石佛坐像)が1日午後、また汗を流して世間の関心が集まっている。
この石仏坐像は1950年、韓国戦争と1997年のIMF通貨危機、2009年5月、盧武鉉前大統領の逝去も玉のような水滴が結ば流れる現象を見せ別名 "汗をかくの石仏"と呼ばれる。
専門家たちは、この現象を気候変動に伴う現象や左上自体の結露で見るなどの科学的な解明を試みているが、正確に明らかに地震なかった。
宝45号が席ブルジョワサンは百済時代の600年ごろに製作された。
頭の部分を除いた本体の高さは156㎝であり、光背高さ326㎝の花崗岩仏像の頭部は最近になって作られた
 
 
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▲半島型単一行動様式によって首の無い仏像が大量に量産された、国立慶州博物館雁鴨池館の裏側にはこのような首切られた仏像がたくさんある、ひとところにあつめて保存しているというがどこから発見されたのかといった資料が全く存在しないために歴史的背景ですら想像で説明するしかないのが実情のようだ。
 
 
 
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▲クビがあったらさぞかし"国宝級"だと言われる高麗三韓百済の時代の石仏群はこの程度のものでもたくさん放置されてきた。しかもお堂・伽藍といった宗教施設は何一つ残っていない"儒教朝鮮"の時代にすべてが塵灰と化していた。
(朝鮮征伐の記録でも"朝鮮の石仏はことごとく首がない"という記述がある)
 
 
 
 
 
 
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儒教朝鮮の時代には仏教は徹底的に排斥された、石仏の首を落として役所に届け出るべしというお達しがあったと"実録朝鮮実記"には記載されている。
朝鮮通信使らがニホン将軍に拝謁する道中でも随所にある仏像に首があることを見て驚いたという記録が残っている。
 
 
 
 
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▲朝鮮時代の古くから国難に際し石仏が汗を流す、あるいは涙を流すといった民間伝承はあとを絶たないがすべての石仏の首がなかった時代のうわさ話としてはいささかこじつけという風にしか見えない。(仏教は禁教だった李氏朝鮮
 
 
 
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▲最近になってつくられた仏像では頭上に設置された石盤の正当性を大衆にひろく知らしめる試みとして"世界にも類を見ない半島式石蓋石仏"がつくられたりしている
 
(翻訳:みそっち)
 

 
復元というのは元あったようにすることですが韓国の場合には世界的にも類を見ない石蓋石仏というものだったんですね。 首から上がないからコンクリで復元してみたり敷石を頭の上に乗せてみたりしているんです