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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

アジアカップ第2回大会の鉛メダル事件


アジアカップの呪い…韓国は、なぜ優勝できないか。

忘れられた金メダル事件として記憶されている韓国主催の第2回大会の鉛メダル事件


イメージ 1[スポーツミーナ]アジアカップの決勝を控えて韓国代表チームが55年間優勝できなかった理由の一つに'アジアカップの呪い'が挙げられて、話題になっている。

'アジアカップの呪い'という'鉛のメダルの呪い''孝昌(ヒョチャン)運動場の惨事の呪い'だ。
'鉛のメダルの呪い'とは、過去60年、2回大会を優勝した韓国代表チームが鉛のメダルを受けたために次の大会からは決勝にも上がらないようになったということだ。

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▲第2回アジアカップサッカー大会、韓国-ベトナム第1戦 参加国は4つ


60年の第2回大会は韓国で最初に誘致した国際大会だった。 それで韓国代表チームは歯を食いしばって祖国に栄光を捧げるために最善を尽くし、その結果優勝カップを獲得することができた。
しかし、アジアサッカー連盟(AFC)から大会開催を委任された大韓サッカー協会は金ではなく金色を塗った'鉛メダル'を選手たちに与えた。

当時、代表チームの主将ムンチョンシク前サッカー協会副会長の回顧によると"金メダルを手にし、選手たちに配っていたが、二日後にチェ・ジョンミン(1983年死亡)が訪れた。 直ちに、'兄貴っこれは偽物だ'と壁にメダルをこすりつけると、その中に漆喰塗りをしたかのように、白いろが明らかになった。

本当に純金メダルを与えるものと思っていた純真な選手らは怒りを耐え切れず、ついにメダルをいずれもサッカー協会に返却した。"と話した。

このため、大韓サッカー協会は本当に金メダルを作ってあげると約束したが、結局うやむやにして約束を守らず、全国民がサッカーに熱狂した2002年ワールドカップ時代、大韓サッカー協会長だった鄭夢準(チョン・モンジュン)も金メダルを作ってあげるとしたが、これもうやむやになった。

優勝当時、20代の青年だった選手たちはもう70を超えてしまった。
アジアカップ優勝の見返りと鉛メダルをプレゼントした祖国のいたずらが'鉛メダルの呪い'に戻ったのだ。


'孝昌(ヒョチャン)運動場の呪い'も60年2回大会と関連したものだ。
孝昌(ヒョチャン)運動場は、アジア杯を誘致するため、韓国に初めて建てられた国際規格のサッカー場だった。韓国代表チームは好プレーをして決勝に上がり、相手チームはまだアジアに属していたイスラエルだった。



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▲孝昌運動場の現在の座席数は15,000ほどだが30,000人もの観客が押し寄せた

なにしろ国内最初の国際大会だったうえ、李承晩大統領をはじめとする国民が祖国の決勝進出に浮かれて孝昌(ヒョチャン)運動場は満席である25,000席余りが試合開始のはるかに前に埋め尽くされたりした。

まだ観衆文化が成熟しなかったためだったか、そうでなければ目の前で祖国の代表チームより、ずば抜けた技量を披露したイスラエルの善戦のためだったのか観衆たちは興奮し始めた。 入場できなかった観衆を防ぐため、出入り口を閉鎖したのが前哨戦だった。
彼らは競技場の中に入るために阻止していた警官を押しのけてドアを壊し始めた。
やがてドアが叩き壊されて観衆が押されて乱入して混乱が起きてしまった。 興奮した観客らは結局、惨事を生み出したのだ。

結局、重傷8人と30人余りの観衆が試合中に病院に運ばれた。
まるで89年、英国FAコプ準決勝リバプールノッティンガムの試合があったヒルスブロの惨事を連想させた。
当時の惨事は結局、'孝昌(ヒョチャン)運動場の惨事'と呼ばれ、多くのネタになり、イスラエルはこのような興奮した観衆の勢いに押されて連続3ゴールを受け入れられて韓国代表チームに優勝カップを譲るようになった。
60年韓国で行われたアジアカップで韓国代表チームにあった二つの出来事が'アジアカップの呪い'になって55年間、韓国が優勝どころか決勝戦にも上がらないように作ったものではないだろうか。


(翻訳:みそっち)



そういうことともあったんですね ふふふっ



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