韓国はアジアカップの呪い
アジアカップの呪い…韓国は なぜ優勝できないか
忘れられた金メダル事件として記憶されている韓国主催の第2回大会の鉛メダル事件
100年恨んでやる 1回2回連続優勝の韓国が絶対に優勝できないのには理由があった
[スポーツミーナ]4年に1度行われるサッカーアジアカップは今回も韓国代表チームは決勝リーグに進出できず、1960年の第2回大会以来一度も優勝できずにいる。
理由の一つに 'アジアカップの呪い' が挙げられて、話題になっている。
'アジアカップの呪い'というのは'鉛のメダルの呪い'と'孝昌(ヒョチャン)運動場の惨事の呪い' の2つだ。
'鉛のメダルの呪い'とは、1960年の第2回大会を優勝した韓国代表チームが鉛のメダルを受けたために次の大会からは決勝にも上がらないようになったということだ。
1960年のアジアカップ第2回大会は韓国が最初に誘致した国際大会だった。 出場国は第1回と同じ僅か4か国だったし、この頃、李承晩大統領弾劾の時期と重なり、すったもんだの挙句、開催国というには恥ずかしいレベルの競技場も、たった4ヶ月で完成され即席で作られた観客席が体裁だけは整えた。(観客席崩壊もこの時)
審判はすべて韓国側で用意したし、遠征してくる相手チーム関係者を接待することも忘れなかった。それで韓国代表チームは優勝カップを獲得することができた。
▲第1回大会は香港で行われた 優勝後の記念写真
しかし、気が付いてみると最大のスポンサーであった李承晩大統領は国を去り、大韓サッカー協会内部では内紛が続いていた。
当時の大韓サッカー協会にはサッカーのルールを知る理事はいなかったし、大人の球蹴りは ”蹴球” と呼ばれていた時代だ。
代表チームの主将ムンチョンシク前サッカー協会副会長の回顧によると "金メダルを手にし、選手たちに配っていたが、二日後にチェ・ジョンミン(1983年死亡)が訪れた。 直ちに、'兄貴っこれは偽物だ' と壁にメダルをこすりつけると、その中に漆喰塗りをしたかのように、白いろが明らかになった。本当に純金メダルを与えるものと思っていた純真な選手らは怒りを耐え切れず、ついにメダルをいずれもサッカー協会に返却した。" と話す。
このため、大韓サッカー協会は本当に金メダルを作ってあげると約束したが、結局うやむやにして約束を守らず、全国民がサッカーに熱狂した2002年ワールドカップ時代、大韓サッカー協会長だった鄭夢準(チョン・モンジュン)も金メダルを作ってあげるとしたが、これもうやむやになった。
優勝当時、20代の青年だった選手たちの多くは鬼籍に入った。
先にサッカー協会は、新しい金を作って与えなければならないというサッカー界元老たちの要求に応じて、50余年が過ぎた2014年23個の金メダルを再作成したが、当時の連絡が届いた6人だけ渡している
アジアカップ優勝の見返りと鉛メダルをプレゼントした祖国のいたずらが '鉛メダルの呪い' に戻ったのだ。
'孝昌(ヒョチャン)運動場の呪い'も60年2回大会と関連したものだ。
▲孝昌運動場の現在の座席数は15,000ほどだが30,000人もの観客が押し寄せた
なにしろ国内最初の国際大会だったうえ、張勉副大統領(当時大統領代行)をはじめとする国民が祖国の決勝進出に浮かれて孝昌(ヒョチャン)運動場は満席である25,000席余りが試合開始のはるかに前に埋め尽くされたりした。
まだ観衆文化が成熟しなかったためだったか、そうでなければ目の前で祖国の代表チームより、ずば抜けた技量を披露したイスラエルの善戦のためだったのか観衆たちは興奮し始めた。 入場できなかった観衆を防ぐため、出入り口を閉鎖したのが前哨戦だった。
彼らは競技場の中に入るために阻止していた警官を押しのけてドアを壊し始めた。
やがてドアが叩き壊されて観衆が押されて乱入して混乱が起きてしまった。 興奮した観客らは結局、惨事を生み出したのだ。
まるで2007年のロッテワールド無料開場の時に押し寄せた愚衆のように将棋倒しになり、結局、重傷8人と30人余りの観衆が試合中に病院に運ばれたのだ。
当時の惨事は結局、'孝昌(ヒョチャン)運動場の惨事'と呼ばれ、多くのネタになり、イスラエルはこのような興奮した観衆の勢いに押されて連続3ゴールを受け入れられて韓国代表チームに優勝カップを譲るようになった。
(ソウル/みそっち)
実はもうひとつアジアカップの呪いがあるのだ
大韓サッカー協会は1956年第1回アジアカップを優勝したが、その優勝トロフィーを失ってしまったことがある。 1990年代後半から大々的な捜索作業をしながら長い間探し続けてきた。調べてみたら大韓体育会が運営する韓国体育博物館に12年間も展示されていたのだ。
優勝トロフィーを持て余した大韓サッカー協会は、1985年に大韓体育会にトロフィーを寄贈したが、それを忘れて。2000年からトロフィーを展示した大韓体育会も何のトロフィーであるのかの説明文を書かないままガラスケースの保管された姿で優勝トロフィーだけが一気に展示されていた。
そもそも博物館側ではそのみすぼらしいトロフィーがどのような価値を持っているのかを十分に把握していなかったようだ。
今は登録文化財にもなり,保存処理を終えてこの写真にも出てくるように本来の銀色を取り戻した。
というわけですが、韓国は最多準優勝国(4回)なんですね。
いえいえ あの そんなことは 全然っ