minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

'旧石器時代のバーベキュー'体験しよう


'旧石器時代のバーベキュー'体験する?

今日から8日まで京畿道漣川郡全谷邑で待望の旧石器フェスティバル開催
でもさあ、外華内貧の地域祭りってみんな赤字なんでしょ


イメージ 1[今夜もミーナ]先史時代の生活ぶりを間接体験できる'第24回全谷里旧石器祭り 'が5日開幕し、8日まで京畿道漣川郡全谷邑邑全谷里先史遺跡地一帯で継続される。  

漣川郡が主催する今回の祝祭は、四日間'全石リアン(全谷里+旧石器人類)の帰還'というテーマで飾られている。 http://festival.goosukgi.org/

祭りのハイライトは'世界の旧石器体験村'だ。 ドイツ・オーストリア・フランス・日本・台湾など5カ国から10個の先史体験や文化・博物館関連機関が参加して先史文化体験行事を行う。 ここでは、各国の原始・古代の民俗体験と考古学体験、先史生活体験等を行う。    


イメージ 3
イメージ 4


握斧など石器を製作して直接肉を切って、原始的に焼いて食べる旧石器時代のバーベキュー(火食)体験も異彩だ。 500人余りが同時に巻いて座ることのできる大型かまどで木に挿した肉を火に焼いて食べる体験をすることになる。

動物が描かれた標的に向かって弓を射ることや槍投げを通じた原始的な狩り体験も可能だ。 祭りを闊歩する先史時代に全谷里に住んでいたホモ・エレクトス'全石リアン'と原始人の扮装をしても一緒に過ごせる。 石器を持って闊歩する旧石器人たちと写真を撮って、旧石器時代の家を造る体験もできる。
 

イメージ 2

2015年5月に開催された'第23回漣川旧石器祭り'


文化行事も多彩に開かれている。 7080ギター音楽会と漣川(ヨンチョン)キャンプ・フェスティバル祝賀公演が行われて、5日と8日夜には花火が行われる。 子供のど自慢・全石リアンファッション王選抜大会・家族運動会など参加型のステージも用意される。
'漣川の庭'では漣川の農・特産物販売・農耕生活体験・地域文化展示など道漣川郡(キョンギド・ヨンチョングン)のさまざまな生活の現場を経験することができる。 祭り場の隣の全曲先史博物館では'教科書の中の先史文化'をテーマに企画展が開かれていて、全谷里先史遺跡発掘の窪みも展示されている。

全谷里先史遺跡地は1978年の東アジアで初めて'アシューリアン型握斧'が発掘され、世界的な旧石器時代の遺跡地として注目を集めている。 ここでは現在まで握斧など旧石器時代の遺物8500点あまりが出土された。
※朝鮮時代まで動物の皮剥ぎは石の剥片で行われていました

漣川全谷里旧石器時代の祝祭推進委員長のキム・ギュソン漣川(ヨンチョン)郡守は"家族が一緒に旧石器文化を楽しめるように学習型体験イベントを増やした"、"入場料は無料であり、一部体験イベントは3000~5000ウォンを払えば参加できる"と話した。



(翻訳:みそっち)



ふぅ~~ん、石斧で村おこしなんですね。 ちなみに村の特設会場には”K-Pop”のスターがやってきて歌ってくれるそうですよ。 ”漣川旧石器祭り”で動画検索してもよくわからない整形済が出てくるばかりです。


そんななかにこんなのがありました


イメージ 5
イメージ 6

前回は、はるばるニホンから東北ゲイジュチュ工科大学の歴史遺産学科の方々が参加したようです。

場所はキタ朝鮮国境に近い韓国の最奥地の漣川郡です、開戦となれば戦車が10分で到着するようなところですが、仁川空港からでもクルマで2時間半くらいですね。


◇ ◇ ◇


石器? そういえばこんな記事もありました

先史時代の生活必需品だった石斧、朝鮮時代の王進上品なった理由

'神の品物'と考え…の万能薬とされて 近代学問入り、人工物に徐々に認識変わって


イメージ 7イメージ 8ソウルミーナ]先史時代の生活必需品だった石斧、しかし、石斧が先史時代の生活道具だったというのは19世紀近代学問体系を備えた考古学が導入された後に明らかにされ始めた。 これにこのような事実を知らなかった時代には石斧が空から落ちた'神の品物'として考えられることもした。

これは朝鮮時代雷の神を描いた絵によく現れている。
朝鮮時代の画家キムドクソン(1729~1797年)が描いた'雷公も(雷公圖)'では手に剣をにぎった雷神(雷神)が太鼓と大木槌を背負っている。▶

国立中央博物館によると、朝鮮時代の人たちは石斧を雷神の物だと思った。 また、石斧を五行説など様々な方法で説明しようと試みた。

興味深いのは朝鮮時代に雷が落ちた所から発見した石斧を雷斧と呼んだという点だ。
雷斧は、空から雷と稲妻を治める神の斧とされた。 これに悪いものを追い払う神妙な薬効がある'万病に効く薬'と呼ばれ、王様に進上品として掲載されたりもした。 このような内容は朝鮮時代のいろいろな文献に記録されている。

代表的な例として、朝鮮王朝実録には雷斧と関連された記録が世宗23年(1441年)を皮切りに、光海君14年(1622年)に至るまで約180年間7番が出ている。

このように、偶然発見された過去の遺物と遺跡は当代の自然観や宗教観によって自然的な産物と解釈された。
雷斧は韓国に徐々に性理学的な社会秩序が定着しながら神の物ではなく自然的な氣が団結して作られたものと説明され始める。 そうするうちに西欧の考古学が入ってきた20世紀初めからは雷斧を人が作った人工物と認識し始めた。


◇ ◇ ◇



まぁ何でも薬効があるというのが朝鮮脳の特徴なんですが

いえね、竪穴式住居にこの間まで住んでたでしょ、焼畑農法は1980年代までやってたでしょ。写真や記録がたくさん残っているんですよ。
銀塩写真の南大門の前にあったのは19世紀末の竪穴式住居ですよね。


イメージ 9

旧石器時代新石器時代青銅器時代>>>>すっとこのへんのままだったでしょ。農機具に鉄が使われるようになったのはニホンと国交を結んだ頃だったじゃないですか。

イメージ 10
イメージ 12





イメージ 11