minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国人にとって 捨てる って どいうこと?



憩いの場・休憩所の家庭ごみ'こっそり'…良心を投げる

ゴミ民族だから道でも道路でも(いっしょだ)かまわず捨てる
家で捨てられないキムチなどもわざわざ運んできて捨てる

 
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[ハンドルミーナ]こんなに高速道路で車が渋滞する時は、サービスエリアや憩いの場のが見えれば本当に嬉しいです。 ここに家庭ゴミまで持ってきてしまっている人々があります。

良心が捨てられた現場を韓国人の記者が取材しました。

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<記者> 京畿道のある高速道路休憩所。 不法投棄や分離回収違反を厳しく管理するごみ箱周辺は比較的よく管理されています。
ところで休憩所周辺の目によく見えない空間には密かに捨てたゴミの山天地です。

車両の出入りを防ぐための円筒型バリケードには、割れたすき間にさっと入れたごみがいっぱいです。
旅行中に発生したごみだけでなく、はなはだしきは家から出たゴミを持って来てしまうこともあります。

[チェ・ビョンギュ/休憩所環境美化員 : 家からキムチのような食べ物を凍らせ、ビニール袋を二重三重に持って(来て)を捨てます。]

しばらく車を止めて疲れを解消するための憩いの場のの状況はさらに深刻です。
常駐しながら管理する人材がないため、あちこちごみが散らばっています。


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茂みの間では捨てられた缶とペットボトルが絶えず出ます。
昨年、高速道路に捨てられたごみは4千6百トンあまりに達して、特に秋夕連休には、普段の倍以上の1日平均30トン水準でした。

韓国道路公社は、4月から高速道路でゴミを捨てる人を通報すれば、20万ウォンの報奨金を支給する制度を施行しています。
しかし、ごみとともに、市民意識までしまう非良心を防ぐに力不足という評価です。
 
 
(ソウル/みそっち)
 

 
 
あの小説、『吾輩ハ猫デアル』に出てくる珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ):センセのモデルとなった小説家(筆者名を失念)の書いた『三四郎』って本に、上京する汽車の窓(車窓)からゴミを捨てる描写があります。 そうしてみるとその頃はそういうものだったなと思うわけです。キャンプに行ってゴミを埋めてくるなんていう描写は1980年代ころまでの小説にはいくらでも出てきますね。
そう考えれば韓国人にモラルが欠けているのじゃなくて、数十年遅れて進化してるのだと見ることも出来そうです。 (そいじゃいつかモラルが身に付くのか?)


◇ ◇ 



さて、明治期に朝鮮を訪問したニホンのひとが朝鮮の有様をみて〝まるで平安時代のようだ〟と言ったことがあるというのを目にした方もいらっしゃるかと思います。 見るからに平安時代だったんでしょうね。  

《古代に固定されていた李氏朝鮮》  ← ここだ
明治時代の経済学者・福田徳三は李氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだと言った。土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。
ww.sankei.com/column/news/150415/clm1504150001-n1.html

それがどの辺を示すのかというと漢城の町並みがそうだった なんて勘違いしそうですよね。 でも実際にみたのは竪穴式住居でくらしていた乞食同然の朝鮮人の姿でした。 
それはたとえば加藤清正の見たまま300年放置されて崩れないで残っていた崇礼門を見て思ったのかもしれません。  あれっ? それって平安時代じゃないし、いにしえの羅生門(羅城門だけどな)とか・・・・・・・  というわけで、どこのところが平安時代だったのかというと。


平安の都って京都ですよね、京都っていうと京都のイメージですが(なんだ)京都にはあんまりしたくないようなところでもあります

鳥辺野、化野、蓮台野・・・昔の葬送の地 京都の地名で「※※野」がついている名称は、かつて風葬の地だった場所紫野は、むかし死体をそのまま捨てていた。掘り返すと骨出てきたりする。 鴨川自体死体を捨てまくっていた(飢饉とかのとき) ...
https://matome.naver.jp/odai/2140769406417519401

ええとですね、朝鮮時代には仏教が弾圧されていましたから、それが宗家信仰(先祖だけを信仰する独特のもの)という独特の信仰がありました。 ところがそうした信仰も全国民のうちで王族や平民たちだけだったわけです(両班は職業) これが全人口の5%~20%程度ということになります。 
ニホンでは豪農~本百姓と水のみ百姓もひっくるめて全部が年貢の義務のある農民と言う身分でした。  そのいっぽうで無宿人(国定忠治みたいな)は、そこにいるだけで捕まる犯罪者ということになります。  これね朝鮮とは比較にならないんですよ。奴婢っていうのはニホンにははるか昔に居なくなっていたのです。

その奴婢って死んでもお葬式なんてやらないですね、死骸を道端に投げ捨てておくのが普通でした。 まぁとにかく つい最近まで死んだら山に埋めに行くのが韓国だったんですよ。 

んでも、とにかく信仰文化風習があったのは身分的に常民、あるいは平民と呼ばれる身分までだったんですね。 そしてそれ以下の身分のひと、こちらには納税の義務も兵役の義務もありませんでした その方たちが家畜のように売り買いされる奴婢という方々ですね。

祭礼じゃなし葬式みたいな、そういう何となく現代の韓国人がモノマネしている朝鮮時代っていうのがあるじゃないですか。 ところが朝鮮時代って言うのは人口比でみると奴婢が70%もいた時代が長く続いたのです。  (両班から身を持ち崩すのも多い)
そいうわけですからそのままニホン統治時代になって身分解放なんてことになるのを大反対したひとがいたのも納得ですね。 

そいでね 山に埋めに行く そうじゃないのはそこいらに置いておくんです。 草むらの陰でもどこでも置いてきちゃう んでも記録を残すような身分の人から見ればそういうのは家畜の死体のようなものですから気にすることも無いんですね。  その一方で家畜のひとのほうもそれが当然だと思っていたわけです。

それを 明治期のニホン人は見ちゃったわけですよ。 それこそ そこらじゅうにゴロゴロしてるところですよ。   それをね平安時代のようじゃあ〟と感心したわけです。  もちろん総監府~総督府ではきちんと埋めるように何度も何度も伺度も何度も何度も強制したのです。 それがやがて山に埋めに行くってあたりと統合されたんでしょうね。

ニホンだと江戸時代の墓石なんて礎石にするほど(スルナヨ)ゴロゴロしてますが、韓国には死体を埋めた場所に残すしるしは 王族の墓しかありません まぁ何とか陵みたいな古墳のようなものしかないわけです。
そいでも平民で家系図が続いているような家にはそこそこの墓場があったりします。 そこにニホン統治時代に身分解放しちゃったせいで、すべての奴婢がどこかの先祖の族譜の末端が自分であるという勘違いの朝鮮人が大量に沸き出たことでめちゃくちゃになっちゃうのですね。  
彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない。自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴーストなのである。
http://www.sankei.com/column/news/150415/clm1504150001-n3.htm
完全に自分の祖先すらわからなかった奴婢らが急に信仰のまねごとをはじめたのでした
もともと埋める習慣も無かったのですが、今度はどこでもかまわず埋めたのでとんでもないことになったのにあわてたのが総督府政府だったことは容易に想像が付くでしょう。

朴正煕の時代になりようやくそれを時限つきで禁止したために公園墓地がたくさん作られたんですね。(最近では管理費を払わないので荒れ果てている)
そうじゃないのは山の中にもっこり作ってそこを墓だ>>っと言い張っていれば他人の所有地でも墓に認めるなんていう法律が現在でもあるのです。

 
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▲こんな山の中でもすべての土地は誰かのものだが、こんなふくらみの1つ1つが墓だ、しかも地主の知らないうちに埋めてくるのが一般的だ

たとえば青瓦台でも景福宮でも、そのどっかにちょっと牛乳瓶に野の花を挿すなんてことを10年続ければそこが墳墓だと認められるんですね。(ホントカ)

関連過去カキコ:韓国の墳墓事情

信仰がなかったからキリスト教もすぐに広まったし(ウリスト教になったけど)仏教(イム教)寺院も朝鮮時代には城壁の中には一つも無かったのがいつのまにか出来ちゃったし。

半世紀前に急にはじめた祭祀
戦争で荒廃した韓国と言う国を建て直すこと。まず、国民全部が親を大切にするという教育をしなきゃなりませんでした。それが朴正煕の時代だったわけです。彼が強制したことは、休日の制定と先祖の祭祀の復活でしたね。
ちなみに、李承晩という初代大統領になったのがいますが、彼が韓国に帰ってきたときには彼の縁者は誰一人として名乗り出てきませんでした。(現在の韓国では考えられないよね) ※取り巻きのせがれを養子にしてみたりしてましたからね。
彼は先祖の祭祀を捨ててアメリカに行ったひとですから、ウリスチャンの彼にとって系譜なんて物への信仰心はどーでもイイという程度だったハズですよ、韓国でキリスト教が流行る理由は先祖崇拝だの祭壇だのに否定的なところですからね。
 
そいじゃぁ国民全部が貧しかった開国前の朝鮮はどうだったのか? というと。祭祀だけに特化した両班という身分があったわけですよ(人口比で5%以下)。ところが朝鮮末期までの混乱からニホン統治時代までに奴婢も白丁も常民もみんな〝両班〟の子孫を名乗るようになっちゃったですよね。 ※これもあまり正しくないかもしれない、その時期の混乱で身分洗濯したけど、身分の解放って感じ。
 
どこかの馬の骨かも知らないのが家系図の上の方のどこかの他人の子孫を自称してみたというしわ寄せがすぐにやってきているのです。 
お金が少しあるうちはイイんですよ。あるいは少しばかり生活水準が向上して貧しくても総中流化したと思い込んだ時(1970~90年代頃)でしょうか。 んでもいまどきの体感青年失業率40%というのはもう確実に貧困層転落決定ですからね、親の面倒をみる余裕なんか無いでしょ。そういうのの親だってどれだけ財産があるか分からないですよ。むしろ、住んでいる高層アパートだって、再開発でもなければ今さら売れないというスラム化が目の前までやってきてるってことが心配なだけです。
 
そういうわけですから 孝だの徳だのというのは韓国人にはまるっきり付け焼刃なんですよ。3代前の墓も何処だかわからないというのが彼らなんです。

っとまあニホンではお寺さんに墓地がありますが、 これってニホンが特異なんでしょうけど。 朝鮮にはそういうことが無かったわけです とにかく明治期にニホン人が朝鮮に行って一番驚いたのは 死んだらそこの先に捨てに行くだけ っという平安時代も真っ青な文化だったというおハナシでした。



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モラルって 3回言ってみて