新コロ無償給食所閉鎖に困るホームレス
避難所に入れない大邱のホームレス
50以上もあった無料給食所が1箇所だけになって
自己隔離はこうしているしかない
大邱市内に50以上もあった無償給食などの配給所は感染リスク回避のためにそのほとんどが閉まっているという。
事情がこうだからもっとほかのところに行きたいが、それさえもどこに行っても同じような状況だ。温かくして、マスクも新しくしたいが、ホームレスはいつでも弱者だ。
大邱で唯一見かけた無料食堂も持ち帰り式の無償弁当に切り替えた。
無料配食もお弁当に変わりました。
"(これを受け取りなさい)はい。"
「用意した分は昼の分だけです、これもいつまで続けられるか…..」
大邱ヨセフの家 無料給食ボランティア:「今は中でご飯ができません。 コロナのため それで弁当を直接作って直接配っています」
無料給食利用者:「ここは院長が良いひとだから(給食を)できずに心が痛いからお弁当でこのようにくれます」
大邱では昨日1日だけでも500人以上のコロナ確診者が出た。街からは人通りが消えたが、行き場所のない生活脆弱層へのコロナ支援は手つかずのままだ。
(翻訳/みそっち)
連載:韓国人を理解する⑦
朝鮮時代の良民というのは田畑を持ち定住していたひとたちです。それ以外に農業などを手伝って暮らしていた分類のよくわからない人たちが大勢いました。
魯迅の「阿Q正伝」に出てくる主人公のようなひとを想像してみてください。中国清の末期のころが舞台になってます。
ここで読める ⇒ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1243655
彼は納税も兵役も何の義務もなくその日暮らしで暮らしていて、生い立ちもよく分かんないひとですね。阿Qは家がなくて土穀祠に住んでますが、姓はわかりません。普段は趙大人の家で農業を手伝ったり粉を挽いたりしています。
これとは別に朝鮮時代には奴婢という身分がありました。どこかの家の持ち物のように取引されたと説明されがちですが、実は奴婢というのは職業です。すくなくとも雇用されていて、食べるものと寝るところがある人です。雇用とは何らかの技能があってその対価を受け取っていたようなものです。ところが阿Qには趙大人との間に雇用関係がありません。気が向けばどこかに行ってしまいます。
そいじゃ阿Qは何に分類されるのか? まぁ彼とは言葉が通じますから、なんでもお手伝いできるけど、彼を強いて分類するとすれば 「野良」って感じでしょうか。
話は変わって、現代の韓国人は韓国人が好んで蔑む「身分の最下層」のことを奴婢、あるいは白丁だったと教えています。これもアメリカ式の奴隷とかヨーロッパ式の農奴とかそいう分類しますよね
ところが実は奴婢や奴隷には雇用関係があって、勝手気ままに他所に行くことがありません。それでも寝るところと食べるものが保証されているという「飼い犬」みたいなものと見ることができます。
そんな例えはかなり乱暴ですが、朝鮮時代にはそのどちらにも納税や兵役の義務はありませんでした。兵役があるのは良民だけです。
※韓国では給与所得者の半分が所得税を払わない免除者 過去カキコ ここ
朝鮮時代の奴婢は「子守ができる」「機織りもできる」「歌舞音曲ができる」などがありました。まぁ実際には農業のお手伝いがほとんどでしょう。そういう奴婢は重宝ですからお金で取引きされるんですね。
そして朝鮮時代には野良のひとが非常に多かったのです。それでも耕すひとのいなくなったところに勝手に住み着いたりしていましたから、日常は良民と似たようなものだけど、納税兵役したくないっていう野良身分のひとばかりだったわけです。
朝鮮時代に農業が発達しなかった理由がまさにそれです。田畑を持てば付いてくる納税の義務が嫌だから自分から野良生活者というわけです。
そして朝鮮末期からニホン統治期になると身分制が壊れる>>>>>というよりも、身分を登録することを強要される時代になりました。
そうなってくると韓国人の先祖の多くが野良を先祖に持てば両班の末裔のフリをしたくなるし、奴婢・白丁を蔑むことぐらいしか生きがいがありません。
これを現代に当てはめてみると、まず韓国人の出自のほとんどがウソです (過去カキコ:韓國人90%が嘘の名前・偽系図)そして、朝鮮時代の伝統儀式みたいなものも、朴正煕の時代に国民に強制したものでした。 老いた母が死んだら山の方に背負って行って埋めてくるひとたちなら帰ってくる家もあったでしょうけど、野良暮らしにはそいう習慣でさえ無かったわけです。だから韓国の3代前のひとにはお墓なんて無いでしょ。
それでいいわけですから、立派な分譲の公園墓地なんてものは韓国では誰も見向きもしません。むしろきちんと埋めてくれる国立墓地が一番のあこがれだったりするのです。
そんな過去を持つ人が今日もそこに暮らしているということを理解すると、どのような考え方で韓国人っていう訳の分からないもの成り立ってくるのかを理解することができます。ウソが正義だったりテロリストが英雄だったり泥棒に理があったり、それでいて成功者が失敗すると嬉しそうに謝罪するところを喜ぶというアレですよ。
野良の子の成りすましが、自分らの都合のイイ社会をつくるとそうなるってことです。