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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓國人90%が嘘の名前・偽系図




韓國人90%が嘘の名前・偽系図。...知らなかった苗字話

えっ? 全部ニセモノでしょ 知っててもそれは他人事で済ませる韓国人気質
族譜商売は今も残っています。”独立有効者”の子孫になりすましてみたり


アンカー
先日、統計庁が2015年人口住宅総調査の結果を発表しました。 韓国で人口数が最も多い姓は依然として金、李、朴、崔氏の順で現れました。
この4つの姓を全て合計すれば、韓国人口の半分近くにもなります。 先祖を称える民族最大の名節秋夕を迎えて韓國でいつから苗字を使い始めたのか、また私たち民族の系譜についてもいろいろな話を交わして見たいと思います。 パクホンガプ歴史学者に来ていただきました。 先生、こんにちは。




■パクホンガプ/歴史学者
こんにちは

[インタビュー]
先生は三番目に多い姓です、朴氏。私は金さんです。

■パクホンガプ/歴史学者
その中でも密陽(ミリャン)朴氏が310万くらいになります。

[インタビュー]
金、李、朴さんが多いが、また、どんな姓がたくさんありますか。

■パクホンガプ/歴史学者
金、李、朴のほかに5大苗字に入った崔氏、鄭氏、そして韓国10大苗字に持っているカン氏、趙氏、尹氏、チャン氏、イム氏が10大苗字に入るが、この10大の姓分布を見ると、約63.9%、64%に該当します、全人口の。

[インタビュー]
今グラフィックが出ていますが、今さっき金さんのような場合には20%以上を占めているんですよ。 そして李氏が14%ほどになり、朴氏が8%このような分布を見せていますね。

■パクホンガプ/歴史学者
朝鮮後期からほとんどこのような分布を示します。

[インタビュー]
ほとんど変化がないというお話であるのです。 このように変化がない理由はどうしてそんなのですか。

■パクホンガプ/歴史学者
私たちの苗字が本貫と姓を両親から、祖先から継承するために本貫が一度決まったら変わらないからです。
中国のような場合は、もしかに移住を実施しているそれでは本貫が変わるようになるけど、韓国のような場合には始祖の本貫が後世子孫たちまで続きます。


いつから私たちの国の人たちが苗字を持つようになったのですか。

■パクホンガプ/歴史学者
朝鮮時代17世紀末までは、苗字を持っていたことを戸籍調査を通じてみると、約55%しかなりません。 それでは朝鮮後期まで45%は苗字がなかったということです。
もちろんこれは戸籍調査に出てくる数字ですから、当時の人口の半数を占めていた本来の戸籍のない奴婢・白丁はふくまれていません。
戸籍のない奴婢・白丁は人口比で70%ぐらいいた

そして、朝鮮後期になると教科書にも出ていますが、両班(ヤンバン)が急増する。このようなことを学びました。 その時に君も私も苗字を持ち始めて最終的に1909年に民族法が作られます。
それとともに、その当時に残りの苗字がなかった人たちもみんな苗字を持つようになって1909年以降では、大韓民国、だから、韓半島に住んでいる人だと、全ての人が苗字、本貫をすべて持つようになったんです。

[インタビュー]
さっき名跡をどのように付与をしたのか説明するとき高麗時代、地域別に支配勢力に付与をし,また地域によって何の金さんこのように。

■パクホンガプ/歴史学者
慶州に住む金さん、慶州(キョンジュ)に住む薛氏、慶州(キョンジュ)に住むペ氏、慶州(キョンジュ)に住むソンさんこのように。

[インタビュー]
それが本貫になったんですか?

■パクホンガプ/歴史学者
そうですね。

アンカー
それが光山金氏なんです。 それではその地域で高麗時代の祖先が居住していたということですか。

■パクホンガプ/歴史学者
だから光山金氏は光州(クァンジュ)じゃないですか。 光州(クァンジュ)に様々な勢力が暮らしていますよね。 それでは太祖王建が光州(クァンジュ)地域の金氏、光州(クァンジュ)地域の何らかの苗字このようにして苗字を指定をしてくれました。

アンカー
それでは本貫の話が出てする話ですけど、よく金氏だそれでは金海金氏、朴氏だれそれでは密陽朴氏、このようなやり方で比重が大きい、人が多くない本貫らがいるんじゃないですか どうなるのか知りたいですね。

■パクホンガプ/歴史学者
大体私たちの先祖たちを見ると、始祖は有名な人物しかいないですね。 ところで疑問を持つぶりにも拘らず誰も疑問を持ちません。 当然視します。

アンカー
朴赫居世(パク・ヒョッコセ)のお話ですね。
新羅の始祖(BC 69~AD 4、在位BC 57~AD 4)2.王号は居西干であり、朴氏の始祖
13歳で王位に就いた 国の名は、ソナボル(徐那伐) 

■パクホンガプ/歴史学者
私たちの苗字の傾向を見ると、生物学的な系譜というよりは、社会、文化的よりこんなに理解をしなければなりません。
もう一度言うと、系図がなかった時代がずっと続き、族譜をいつからか作り始めたり、17世紀、18世紀に行って族譜をたくさん作り始めます。20世紀になってその時から作り始めからその中間に様々な系譜的な資料がないですね。 それで朴氏らは全部ヒョッコセに行って連結したりこうしてみたら全部が王子の子孫、王子しかないような結果が出ます。

アンカー
だからさっき両班の話もしましたけど族譜をみれば、韓国の人たちの多くが両班の子孫だこのように話をしたりするんですよ。 そんな理由は何ですか?

■パクホンガプ/歴史学者
韓国人たちは全部両班という意識を持っているんですよ。 特に、朝鮮時代は、両班(ヤンバン)社会であったために両班であれ非両班であれ、とりあえず両班になるために努力をしました。 だから姓がない人たちも名字を作って入れながら両班族譜に編入がなるから。
 
アンカー
だから族譜を後で作ってみたという?。

■パクホンガプ/歴史学者
自然的に私も両班出身だと思い込んでいる意識ができるようになり。

アンカー
そして族譜を後で作ってみると、似たような本貫にまたたくさん出来る場合もあり、一部の本貫の姓が多くの比重を占めるようになった場合もあるということですね。

■パクホンガプ/歴史学者
そう見たらいいです。

 
名字も系図も全部デタラメだとわかっているのに

アンカー
そうすると現在の系図が90%以上は偽の名字と偽系図だと、こんなふうに話している場合も生ずるのではないかと思います。

■パクホンガプ/歴史学者
90%以上が偽系図でしょう、このように認識をたくさんしながらも個々には自分の族譜のハナシではないという考えを持っています。 これが私たち族譜の二重性だが、両班志向性によって族譜に対する愛着や大切さをかなり持っているとともにまた違った裏面では族譜に対する信頼を持てない。
私たちの族譜は、他の系図に割り込みをしたりそれとも様々な不正な方法で族譜に入ったりこのようなつぎはぎをしているのです。
だから感性的な考えして理性的な判断し、これが混在になっているために90%以上の系図が偽物だこんな思いを持つのではないかとそんな気がしますね。

アンカー
そうするから、最近にも族譜詐欺事件があると聞きました。

■パクホンガプ/歴史学者
族譜詐欺事件はとても多いです。 詐欺事件が多いのはなぜ多いかというと族譜をすごく重要視したために、このような話だが、例えば、たとえば、独立有功者の中で廃絶した人たち、この人たちは、子孫らが明確しないでしょう。
ところが、族譜というのが証拠資料じゃないでしょう。 証拠資料とならないから結局はそれを子孫に偽造をして証拠資料を提出して独立有功者の恩恵を受けるとか、それとも長く放置された土地や財産など相続に関連して文中の土地でなければそのままうやむやに降りてくる地がとても多いんですね。
そんな土地を系図を偽造をしてそこの主人だったこのように証拠資料を提出したりする最近の現象もそのようなこと、これは昔も同じです。 昔も族譜があれば、科挙試験を受験をすることができます。
族譜に自分のお父さん,おじいさん、ひいおじいさん、ひいひいおじいさん、こんなに証明できる資料が系図でなければ戸籍装飾して、だから、そんなことは明らかに提出することで、科挙の受験資格が与えられるのです。
それで昔も今も自分の族譜というのは極めて個人的で宗家として私的な資料であることにもかかわらず朝鮮時代後期も今や公的な資料と代替されたために偽造もなって様々な詐欺事件も登場してそんなことになったのです。

アンカー
だから、過去のような場合には、身分制が重要位置していた時代には科挙の試験に受験をするとかまた、両班と認められるためにそのような族譜を重要な考え方をしたなら、今、現代社会にも独立有功者の子孫であることを掲げて恩恵を受けたとか、このような方向に系図が活用がされて、このような事実は初めて聞きました。 外国にも系図があるのか知りたいんですよ。

■パクホンガプ/歴史学者
外国の族譜と私たちの族譜の違いを先に話さなければならないけど、外国でも族譜を多く見ることができます。 なぜなら、西欧社会で見れば、自分の根を取るのは自分のアイデンティティを確認するために。
ところで私たちの場合は、たとえたとえば、金海金氏が440万人だ、密陽朴氏が310万だ、全(チョン)氏が260万だ、慶州金氏が180万だ言ったときにこの人たちを全部合わせると1200万だけがさらに超えます。
この人たちは全部王族ではないですか。 だから王族の子孫がこれほど多いわけがないのです。 それでこのような系譜は再び考えをしてみて、外国から根探しは何かというと、小学校に入れば自分が母、父が誰か。 母の父、母が誰か、父の父親が誰かこのようなやり方でしきりにさかのぼります。
ところが私たちは族譜をする時は始祖から自分を探して、欧米では本人を基点として探してみる、そのようなことです。

アンカー
つまり自分のルーツを探しているが、そのような過程がないかと思います。 それで自分のルーツを探し、そして祖先に感謝の気持ちを持って、また自分のアイデンティティを確認するような過程ではないかなと思いますが。
秋夕を迎えて、苗字について話を交わして見たが結局祖先に感謝の気持ちを持つのが重要ではないかこのような気がしますね。 今日歴史学者パクホンガプ先生と話をしてみました。 今日お話ありがとうございます。


(翻訳:2ちゃん番長)



秋夕という先祖の墓参りのシーズンですよね。草刈り機を駆使して蛇に噛まれたりハチに刺されたりするニュースも聞こえてきます。
それ以外の季節は草ぼうぼうなんですが、こうした墓が作られるようになったのは1970年代からでしょうか。それ以前は墓なんてものの考え方は無くて自由に山に埋めに行っていたようです。 ※古墳のような王族の墓はある
ニホン統治時代に埋葬法が制定されていたりしましたが、独立と前後して旧来の埋め方に戻ったのですね。やがて野原が次々と分譲されると改葬便乗商法が出てきたりして1990年代になると墓も火葬が増えてきて2005年の法改正で納骨堂だけの現代風なものに変わってゆきました。

それでも秋夕の季節の草刈りの需要をまかなうだけの墓地が韓国中に散らばっているというのは滑稽でもあります。※墓標は無い

さてシンちゃんちなんかでは先祖の墓なんてあるでしょうか、あるでしょうね。しかしたぶん想像ですが、シンちゃんちではおじいさんの骨なんかどこに埋まってるか全然わかんないと思いますよ。おじいさんのその前となるとどこに住んでたのかもわからないでしょう。
なにしろ韓国には”100年前からそこでお百姓をやっている”という人が一人もいないのです。国民の半数以上が王族を始祖に持つ族譜を持っている国なんですから100年前のご先祖さまは相応な”お仕事”をしていた気でいるのです。

ニホンなんかだと ”家康公入府のころより苗字帯刀を許され...”、みたいなお百姓さんちはいくらでもありますが韓国では三代続いたお百姓さえいないのです。

ニホン統治時代になるちょっと前だったでしょうか、朝鮮人のあいだで”民族改造”というのが流行りました。朝鮮民族の改造なんですが、彼らが信じてやまない族譜というものの弊害が分かってきました。その一方で当時の朝鮮人の愛してやまない族譜を利用した民族統治も試みられたようです。創氏改名というのがいきなり始まったわけではありません。
それ以前にも朝鮮末期の混乱で作られた族譜信仰をやめて新しくなんとかしちゃおうという動きが朝鮮人の間からもあったのです。

たとえば当時流行っていたキリスト教(食べ物を恵んでくれるので人気があった)風にヨハネとかペテロみたいなニックネームをつけちゃおうという人ですね。
そういうわけですから韓国人は今でも外国に行くと名前の途中に外人名を入れますよね。そういうことです。

そういえばシンちゃんも変な名前でしょ、でも当人はなんとも思ってないですよね。
そんな二重性を持ち続けているのが韓国人なのです。




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