新たに普及される戦闘帽のデザイン
陸軍戦闘帽 '円筒型'に交代有力
来年からベレー帽と混用
米軍'パトロール・キャップ'に類似 顔型に関係なく似合う
活動性・利便性・プライドの向上で精神戦力強化期待
[国防ミーナ]50万陸軍が来年からベレー帽・戦闘帽混合の着用を始める。 新たに普及される戦闘帽のデザイン最終試案がいくつも出た。
陸軍は休暇や外出・外泊、公式行事ではベレー帽を着用し、普段や訓練では戦闘帽をかぶる混用方式を導入する計画だ。
◇新型戦闘帽のデザイン=数種類の試案のうち、最も有力な代案は円筒形である。 陸軍が去る1984年からベレー帽を導入した2011年まで27年間着用した野球帽型戦闘帽と明らかに区分される。 海軍と空軍が依然として戦闘帽で使われている野球帽型が再び採択されるだろうという見通しもあったが、早くから排除された。
米軍が1960年から1985年まで着用した野球帽型は顔面型が長く、面長の欧米人に似合うが、東洋人の平たい顔型と太った人には似合わないという評価を受けた。
軍が最終候補に確定段階の新しい戦闘帽は、あえて言うなら、野球帽型は創軍初期の戦闘帽と似ている。 米軍の現用戦闘帽パトロール・キャップとも似ている。 頭上と関係なしに大部分の顔型にふさわしいデザインという評価を受けている。 先端繊維素材を使用し、品質は過去と比べものにならない。
※大部分の顔型という表現が痛ましい
◇創軍70年、七回目の変化模索=今回の決定は、創軍以来70年間、七番目の変化に該当する。 国軍創設以前の朝鮮警備隊時代から軍は米軍の1943年型野戦帽(field cap)を模した戦闘帽(当時の名称は作業帽)を着用してきた。 その後、後ろがやや高い円筒型になり、朝鮮戦争以降、将校たちを中心に上縁に針金を入れてごわごわしそうな変形が流行して1962年からは正式に認可まで受けた。
小幅改良された、二番目の戦闘帽は1970年まで使った。 1971年になると韓国型戦闘帽が出た。 前面を3等分に分割してボンジョプと裏面は円筒形に包んだ三番目の戦闘帽は、わが国固有の冠帽(かんぼう)の紗帽でイメージを取ったが、将兵たちの支持は得られなかった。
四番目の野球帽型戦闘帽は三角形の生地6個を上段中央で縫合した形だった。 五番目の戦闘帽は、色が無文様から迷彩柄の偽装色に変わった。 六番目がベレー帽の採用、今回の七番目がベレー帽・戦闘帽併用だ。
※帽子をポケットに入れるため芯の無いものも存在する
◇'米軍と似ている'=米軍に真似ているたのではないかという議論が今回も再燃する見通しだ。 韓国が野球帽型戦闘帽やベレー帽を導入するたびに、あいにくにも、米軍は戦闘帽のデザインを変えてきた。 野球帽型戦闘帽、ベレー帽も韓国軍が採択するやいなや、米軍は捨てた。 今回はその可能性が極めて低い。 米軍はしばらくパトロール・キャップを交替する計画がないという。 しかし、新たに開発した戦闘帽が米軍と似ているという指摘は避けられない見通しだ。 円筒型のデザインが米軍の現用パトロール・キャップと似ている点が多いからだ。 それなら、陸軍は、今回も米国をコピーしたのだろうか。 一般足りなければ、種類とデザインが多いが、用途が明らかな軍用戦闘帽はデザイン自体が大同小異だ。 選択肢が多くなく、似ているのが極めて正常だ。
(国防ミーナ)
下駄顔とかエラ顔に分類される韓国顔ですが、1988年頃のソウルオリンピックの頃になると国家広報次元で芸能兵などが輩出されます。それまでのエラ顔や下駄顔とは違った顔がもてはやされるようになると、軍隊の帽子も何度も変わってきました。
旧ニホン軍の備蓄していた軍服や装備ではじまった朝鮮国防警備隊(韓国軍の前身)では旧ニホン軍装備そのままでしたが、とくに軍帽は仁川被服廠に残されていたものが大量にあったため創軍初期の韓国軍では長いこと使われていました。
朝鮮戦争が始まってソウル放棄した頃の韓国軍がほとんどそんな格好をしていたわけです。
特に人気が高かったのが朴正煕絶壁頭によく似合う針金入り帽子で、キューバのカストロ帽型として記憶されています。これは韓国で縫製された韓国製で針金を抜き取ってジャクったスタイルが一般兵に流行ったりしながらやがて野球帽型に変わります。
八角帽子:ニホンでは調理のひとがかぶる帽子のイメージのもの(写真参照)