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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

朝鮮時代の王室文化遺物はニホン製

銀製李花文花甁 文化財から抹消

2009年に文化財登録された朝鮮王室の花瓶…実は「ニホン製」
同じころに指定された国家登録文化財を見れば一目で違いが分かる

 

[NEWSミーナ] 朝鮮時代の王室文化を垣間見ることができる資料とされていた銀工芸品が、実はニホンの有名時計店で製作されていたことが確認された。

韓国文化財庁は今月初め、国家登録文化財「銀製李花文花甁」の登録を抹消すると官報で告示していたことが7日、分かった

文化財庁はこの日、「この遺物の底面に写っている『小林』(小林)押印が日本東京の時計店で美術品製作所の小林時計店のものであることが確認され、登録を抹消する」と告示した。

 

▲最近、国の登録文化財から抹消された「銀製李花文花甁」 [写真=韓国文化財庁]

 

    

▲同じころ登録文化財に指定された銀製品など4種、乾漆盤、銀製の花文湯器、銀製の李花文花甁、乳製花型燭台などの近代工芸遺物4件が2010.10.20指定登録文化財として登録された。※乾漆盤は、韓国から初めて東京美術学校の工芸分野でニホン留学したカン・チャンギュ(1906-1977)の1933年作品だ。

 

銀製李花文花甁は164㎜x302㎜の大きさで首の部分が長く、胴体に行くほど広くなる形をしている。

2009年、文化財庁はこの花瓶を文化財に審査し「表面光沢が明るく大韓帝国皇室紋章であるスモモの花を貼り付けた点など近代的要素を探すことができる。 大韓帝国王室工芸品を製作するために設立された李王職御用達美術品製作所で1910年代に製作したもの」と断定してきた。

 

近代工芸遺物文化財登録調査を経て2009年に登録文化財となったが、花瓶の底面に「小林」という押印が押されており、ニホンの時計店として有名な美術品製作所である小林時計店で製作した作品ではないかという主張が絶えず提起されてきた。 これに対し、関係専門家の現地調査などを実施して登録抹消可否を審議し、11人の出席委員全員が登録解除に同意して可決された。多くの専門家らは、「これまでスモモの花が刻まれた工芸品を、無条件に李王職美術品製作所で作った銘品」と判断する点を批判した。

 

 

      

▲「銀製梨花文花瓶」の底面に写された純銀・小林の押印。 [写真=韓国文化財庁]

 

結局、昨年12月、文化財庁はこの花瓶に対する再調査を実施し、李王職美術品製作所ではなく小林時計店で製作した工芸品だという結論が出た。

文化財庁の関係者はこれに対し、「当時、文化財委員などが登録過程で工芸品を細かくチェックできなかったようだ」と明らかにした。

銀製梨花文花瓶は文化財登録は抹消されたが、国立故宮博物館で引き続き管理する予定だという。国立故宮博物館では収蔵品の底面を点検することにした。

 

 

(ソウル/みそっち)

 


 

李王職というのは総督府の下の方に位置する官庁で、朝鮮の宮殿が間もなく動物園になったためその動物の世話をする役目と朝鮮の儀式なんかを残すために1911年に作られた機関です。まぁニホンの宮内庁の傘下なんですが、すでに朝鮮王朝は総督府が継承していましたから、銀製品をどこどこで買った。ビール何本いついつ買ったなんていう記録がすっかり残っているはずなんですね。しかしそういう記録が無いので、韓国の文化財庁では李王職の成立を1909年ということにして、ニホン総督府以前に李王職が御用達美術品製作所に命じて銀製梨花文花瓶を作らせたことにしてきたようです。※李王職御用達美術品製作所とは、単なる出入りの工芸品製作所だったようで、それ以前に存在した漢城美術品製作所(1908~11)と呼ばれた工房だったと主張されてきたが、多くの美術館の収蔵品の中に漢城美術品製作所の製品は確認されていない。また李王職御用達美術品製作所謹製という表現はこの花瓶以外に存在しないことから、小林時計店謹製の出来を見て、2009年の登録文化財指定時に御用達美術品製作所という分類を作ったものと考えられる。

 

ええ、もちろん朝鮮王朝が末期になると金欠だったことはよく知られていますね。そいうところに朝鮮の儀式を継承する部署が新設されたなんてすばらしいじゃないですか。でも残念だったのはニホンがつくった機関だったのです。

銀製品なんてものはそれが入る丁度イイ桐箱なんかがついているのが常識ですが、展示しているときは木箱をべつのところに保管しておきますね。すると由来が分からなくなっちゃうのです。ほら、古美術品は箱書きが重要って偉いセンセも言ってるでしょ。ところが朝鮮戦争の前後でもアメリカから要人がやってくると李承晩はうれしそうにニホンが保管しておいた美術品なんかを記念館の棚から景気よく配ったんだそうですよ。そういうお土産与える習慣は朴正煕の時代のあとにも継承されていて、韓国を訪問した軍人などは就任祝いに、青瓦台で銀製の壺や煙草入れなんかの贈呈を受けたなんてことがよくあったそうです。※ここでよく登場するのがアンチモン製の銀細工古色仕上げ製品(煙草入れ)です。小さなお土産サイズの銀製品で、仁寺洞の古美術品屋さんで騙されて買っちゃうニホン人も多いですよ。書画も多いけど下手な絵ばかりです。

朝鮮時代の美術工芸品について研究したハングル記事などをいくつか見ると「銀は融点が低く鍋などで容易に融かすことが出来た」とあります。しかしおよそ900度以上が必要なので朝鮮時代の燃料では融かすことが出来なかったことが明らかです。文明や技術の発展とは無縁だった朝鮮時代にもそういう技術があったと考えたい今世紀の朝鮮実学研究家たちは未知の技術を使って私たちの想像をはるかに超えた素晴らしい美術品をつぎつぎと作り出していたことにしたいと願っている部分は涙ぐましさすら感じさせる解釈を生み出したりするのです。