minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

最近の韓国伝統包丁 写真有りマス

 
 
ペンキ除去の李将軍長刀、18世紀に作られたという主張
 
いえいえ1955年に発見されたんです、それまじ? ドラマの小道具じゃないけどね あの超時空将軍の刀にヘムん僧侶が異議有り
 
 
イメージ 1[今日のミーナ]忠清南道牙山・顯忠祠に所蔵された宝物326号忠武公の長剣に化学顔料である赤ペンキが塗られていた事実が30余年ぶりに明らかになった。
 
忠武公の長剣は1594年4月に製作され、文禄・慶長の役当時、李舜臣将軍が使用していた刃物で民族を生かした'救国の刀'と伝えられている。”一揮掃蕩血染山河”-という文字が刻まれている。
市民団体文化財の在り処探し(代表へムン僧侶)などは、ここ21日、文化財庁に忠武公長刀のヒョルチョ(血抜き)部分と文様部分に赤いペンキが塗られたことに対する陳情書を提出、化学顔料の除去を求めた。
 
へムン僧侶は"朝鮮時代の刀剣に赤い色が塗られた例を探して見ることができず、現在の赤い色は伝統の顔料と違うペンキと同じ化学顔料が塗られたものとみられる"、"優先的に化学顔料を取り除いたあと、原型を訪れ、考証する必要があると見られる"と要請した。
また、1955年に顯忠祠に所蔵されていた忠武公の刀剣にサビを除去し、考証されないまま、任意に赤ペンキが塗られたのではないかという疑惑も提起された。
当時の京郷新聞記事は"子孫たちによって忠武公の旧宅に保管されていた李舜臣将軍のさびた長剣を3人の刀剣関係者らが新たに研磨した"と報道している。
また、へムン僧侶は"1955年という時代的状況を考慮すれば、李舜臣長剣の原型に対する忠実な考証と研究に基づいて進められたと見ることは難しいことで、刀のサビを除去しながら、たぶんもヒョルチョ部分に任意で赤い色化学顔料を塗った可能性が大きい"と主張した。
これに対して祠の側は"2011年、国立文化財研究所の科学的成分の調査結果、李舜臣長剣の赤い色は化学顔料と判明し、多分、正確な時期はわからないが、1970年代に塗られたことが確認された"、"特別展展示が終わり次第、化学顔料を除去する計画"と明らかにした。
 
(ここまでが今年8月の記事)
 
 
 
李舜臣長剣赤いペンキ除去、70年代に塗布したこと…"急になぜ?"

嘘を100回言えば真実になる?そのカタナ100年前にはどこにありましたか?
 

イメージ 2イメージ 3[今日のミーナ]'李舜臣長剣赤いペンキ除去'が話題になっている。
忠武公李舜臣将軍が使用していた長剣に塗られた赤いペンキが除去される。
文化財庁によると、李舜臣長剣刃ヒョルチョ部分(刃の重さを減らすため、ホームを掘っておいた部分)に塗られた合成樹脂塗料(ペンキ)を除去した後、伝統の顔料で、該当部分を塗り直した計画案が確定された。
しかし、既存の顔料が確認されない場合、考証を通じ、元の伝統の顔料を確認できるまで合成樹脂塗料を取り除いた後、保存処理する予定だと明らかにしたりもした。
李舜臣長剣のヒョルチョ部位に塗られた合成樹脂塗料は1969~1970年当時、既存の寂れた顔料を除去して塗布したという。
顕忠祠管理所は李舜臣長剣の赤いペンキを除去してヒョルチョの復元をするために、伝統刀剣、金属保存、化学顔料など分野別専門家諮問会議を2度行った。
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
超時空李舜臣将軍の刀は顕忠祠ってところにあるんですね、写真によると2本並んでいますから”双剣”と伝えられていますよ。長さが197cmだそうですから鞘から抜くのにも一苦労しそうでしょ ※李将軍推定150cmだけどね
 
このじつぶつは牙山顯忠祠ってところで展示しています、宝物326号だそうですから初期の登録文化財ではないですよ、片っ端からお宝認定していた頃のものです。しかも個人の所蔵品がいきなり現れたんです、持ち主は超時空将軍の子孫を名乗りました。経歴詐称は国技ですから一度主張した宗家という主張はいつの間にか真実になっちゃいますよ
 
顕忠祠のあやふやな由来の雙長剣(2本の長剣)
朝鮮粛宗 32年(1706)に粛宗の御名で今の場所に廟を建てた。
1863年 、興宣大院君が王の摂政をしながら下った全国の書院撤廃令をしたときに存廃の危機に処し。最終的に興宣大院君の人に廃止された。
1910年日帝時代時は朝鮮総督府の圧迫にも一度存廃の危機と受難をされたりし、ここに日本人が忠武公の墓所と顕忠祠を委託管理していることが知られ、1932年、東亜日報社主催で開かれた顕忠祠復元募金運動時集めた寄付で現在の姿に再建して忠武公の遺影を納め、解放後の1963年には、朴正煕大統領の指示に基づいて顕忠祠のエリアを拡大し、粛宗のとき立てた昔の本殿の代わりに新しい本殿を新築して忠武公の遺影を移した
双長剣がいつからそこにあるのかは伝えられていない。1706年には廟であり宝物はなかった。1863年に廃止された時の記録にも宝物は出てこない。ニホン統治時代の記録には全く資料が残っていない。
 
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イメージ 6◀これはドラマの小道具につかわれたもののようです。
 
さてこんな超時空将軍のお宝ですがニホン統治時代には全く知られていませんでした。こんなお宝があったらとっくにニホンに持ち去られていただろうさえ言われています。
ところが突如として歴史に現れた謎の長剣 じつはインチキですよ。
 
 
じつはこれが本物なんだけど 無くしました
 
宝物326号に指定された李将軍の刀は、その名門でも有名である。三尺誓天山河動色一揮掃蕩血染山河)。解いてみれば「三尺建てナイフ空に誓ったら傘下が震え、一度振り回して敵を一掃しまうと傘下の疲労染まる」
しかしこの刃物はその長さや重さ、撃剣痕が
見えないと見る時、実際の戦闘で使われた刃物と見るには難しい。 1594年製作されたもので推定されて長さは197.5 Cmだ。 製作者はテグィリョンとイムセンリョだ。
ところでこの放送では李舜臣将軍が直接戦場で使った刃物で記録に残っている'サンニョンゴム'二袋と外国、特にアメリカで搬出された私たちの文化財に対する追跡を描いている。
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 "双長剣'に対する最初の記録(1825年)は朝鮮後期の戊申であり学者であるパク・チュンギョンの試問集である敦岩(トンアム)集に出てくる。 以後1910年朝鮮美術大観という我が国最初の近代的美術概論書に同じ刃物がその写真と共に記録されている。 その所蔵先はまさに宮内部(大韓帝国皇室)博物館だった。
以後'双長剣'は失踪した。
最初でこの'双長剣'の失踪に対する最初の疑いは当然日帝だ。
そして以後6.25の混乱の中でアメリカ兵によってアメリカで搬出されたという疑いを追跡する。 その根拠に米国務部の文化財担当顧問であるアデルリホールという女性の記録'アデルリアホール レコード'を持って、この文書を入手してその内容を追跡する。
もちろん現在までこの刃物の行方は明らかにならなかった。
 以来、「双剣」は、行方不明になった。
 
顕忠祠に所蔵されている宝物第326号李忠武公(李忠武公)ソードは朝鮮式サンスド(雙手刀)に属し、<武芸図譜通志」によると「ソード。龍剣。ピョンゴムとも呼ばれ、刃の長さ5尺、(同好1隻)、袋1隻5村。7隻ものも見ることができる。」と定義されている。ところが、この剣は実戦用ではなく専用の剣なので、長さが1メートル97センチ、鞘に入れたときは、2メートルを超える大きさである。
 
包丁さえ無かった朝鮮時代
イメージ 4刃物は料理の始まりで終わりだ。 そういえば私たちは永らく刃物を無視してきた。 鍛冶屋はあったがそちらでは農機具を作った。 包丁はおまけだった。 西洋で種類別に多様な刃物を作っている時私たちは包丁一袋で屈せず持ちこたえてきた。 刃物一袋で野菜も切って、肉も切って、魚も切って屈せず持ちこたえてきた。 それが私たちの生活だったから誤ったということはできない。 韓国料理は刃物を主に使う食べ物ではなかった。 私たちは主に手を利用して食べ物を作った。
 
▶朝鮮時代の包丁、柄が差し込み式なのが特徴
 
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▲最近の韓国伝統包丁、柄は差し込み式
 
 
 
 
 
 
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李将軍の末裔って年中詐欺で捕まってるよね