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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

戦艦大和 100のトリビア発売中♥

 
 
 

世界最大最強の戦艦大和──。そのハードとしての攻撃力,防御力から日々の艦内生活に至るまで,大和型戦艦の全容に迫った決定版! 著者に日本海軍研究の第一人者である雨倉孝之氏と,大和ミュージアム館長の戸髙一成氏を迎え,多彩な写真とCGで,100のトリビアを多角的に解説。シップ・マイスターを目指すWeb上のSHIP検定用4択クイズ100問も収録した。  ※世界の艦船っていう会社みたいですね

定価1980円(税込)〒200円
B5判158頁,折込1葉

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 調理設備と給食(PDFファイル)
イメージ 1 日本海軍では,通常勤務の兵員1日あたりの必要カロリーは2,500 ~ 2,600キロカロリーと定められていた。
主食は麦飯。5分づきの米7~6に対し,麦3~4を混ぜてあった。ご飯の量は1日6合(180ml ×6),副食とする肉,魚,野菜もそれぞれ基準量が決められていた。
 標準的には,朝が和食で味噌汁と漬物。昼は魚料理が多く,牛・豚料理も出された。夕食は和食のほかに洋食系統,時には中華系の食べ物も出たり,いろいろだった。
 作家の辺見じゅん氏の調査によると,ある日の献立は,
朝:味噌汁(玉ねぎ,白菜),付け合せ(昆布,佃煮),漬物(大根の新漬)
昼:照り煮(ぶり),煮豆(うずら豆),澄まし汁(ぶり,玉ねぎ,白菜),漬物(なす)
夕:ハムサラダ(ハム,馬鈴薯,にんじん,玉ねぎ,グリーンピース,みかん缶詰),果物,漬物(キャベツ)
 となっている。
 兵員用の食器は飯椀,汁椀,おかず皿,湯のみの4個で,ホーロー鉄器かアルミ製であった。
 焼き魚はこしらえるのに手間がかかるので,煮魚が中心になっている。晩飯には,天ぷらとかカレー,八方菜なんぞが作られたりもした。
 この食事の量と質は,その頃内地で暮らしていた一般国民からすれば,十分以上にして涎の出るようなスバラ
シイご馳走である。食べ盛りの青少年ですら,配給される主食の量は1 日わずか2合1勺,おかずも" 欲しがり
ません勝つまでは"を標語に,ロクな物は食っていなかったのだ。
 大和は時おり陸軍部隊を輸送したことがある。便乗した陸軍兵は「毎日,こんなふうに肉や魚が出るンですか?」と,不思議そうに乗員に聞いたそうだが,サモアラン。
 2,000 人以上の乗員の食事を用意する兵員烹炊所は,なかなか近代化された設備を整えていた。他の軍艦に比べればはるかに広く,さすがに連合艦隊旗艦である(であった)本艦のそこには,汚れは微塵も見当たらない。場所は上甲板中部右舷,所属は主計科・第22分隊。掌衣糧長の監督下にあり,調理は烹炊員長(主計科上級下士官)の直接指揮,指導で行なわれる。烹炊員たちの動作はキビキビと申し分なかった。
 
イメージ 2
▲ヤマト型戦艦の上甲板中央部平面図。網をかけた部分が烹炊室である ※副砲ってあの横っちょに付いていたりするあれですか アレの真下にあったんですね。
 
 「洗米機」が2基据えつけられ,「6斗炊き蒸気釜」6台で飯を炊き上げる。副食物を作るのにも「合成調理機」という便利な器械が2台置かれ,大根の千切りから芋の皮むき,肉のミンチ作製などが自動で出来るようになっていた。
 大小あわせて5基もある「電気万能烹炊器」は,炊飯はもちろん,煮物,揚げ
物,焼き物など何でもござれのスグレ物であった。ほかに「蒸気保温棚」1式,「大型食器消毒器」3個も設備されていた。
 必要な糧食は上,中,下,最下甲板の各所,計40余カ所に設けられた貯糧品倉庫にしまわれていた。米,麦,
味噌,醤油,砂糖,缶詰類等その量およそ3カ月分になんなんとする。獣肉,魚,ハム,野菜などは第2船艙甲
板の冷蔵庫に保存されており,リフトで上甲板へと揚げられてきた。
 この冷蔵庫はすこぶる大きく,長門のそれの約2倍半以上もの容積を持っていた。これを乗員一人当たりに直
すと1.5倍になる。おかげで“豊かな生活” が期待できたのだ。しかし,それらを調理する烹炊員の作業はまさ
に“戦闘” であった。
 烹炊員は10 名前後ずつ,4個班に分かれる。“本直”という炊飯,副食づくりに当たった班,たとえば第1班は小出し倉庫から米袋,野菜袋を担ぎ出し,それを洗う。
「配置につけ」「米,入れ」「ムギ,入れ」,と下士官の矢次ばやの号令で,汗をかきかき高温多湿のタイル張り室
内を走りまわる。噴出する蒸気で軽い火傷をするのは毎度のこと。
 朝から烹炊作業を始めて昼食,夕食と休みなく走り続ける。夕食が天ぷらの日などは騒動だ。なにせ2,000人
分である。昼食の準備が終わると,休む間もなくその支度にかかり,シャニムニ揚げ続けなければならない。
 一方,第2班は糧食庫の整理。第3班は洗米や副食物の下拵えをやる。出来上がった飯,おかず,汁物など
を食缶に入れて,各分隊の食卓番に配食する。そして第4班は,自分たち主計科分隊の居住区と食卓の清掃
だ。
 「盛ンナル調理報国ノ精神」をもって「厳正ナル調・理・軍・紀・」のもと,食事を拵えるのである。
さすがは海軍,だ。「親切丁寧ナル」仕事をモットーとする本直は,4日に1回まわってくる。
 烹炊員たちは,ある日は汗まみれになって1日中調理に追われ,ある日は倉庫のなかで埃をかぶって汚れる,整理作業。3K労働を強いられる勤務だったが,反面役得もあった。ウマイものが食えたのだ。牛肉は上等のロースやヒレの部分,ご飯もよく炊けたところをコッソリ,堂々と食べていた。
 大和士官室用の烹炊所は左舷側にあった。士官室と1次室烹炊所が一緒,2次室と准士官室烹炊所が一緒
になっていた。といってもそれぞれは同じ区画内にあり,ただ別仕切りになっていただけなのだ。士官用の調理は主計兵の烹炊員ではなく,雇い入れた軍属のコックが賄いをやっていた。
 時間になると,従兵が受け取りに行き,いったん各室の食器室へ運び込む。それから盛り付けて,士官室
あるいは次室の真っ白なクロスのかけられたテーブルに配膳する。大体メンバーが揃ったところで食事を始
めるわけであった。士官室では副長が,ガンルームではケプガンが最上席にすわり,楽しく歓談のうちにフ
ォークが動き,箸が進んだのであった。
 
 
男たちの大和 見る?   ほらぁ  反町隆史(森脇庄八二等主計兵曹) のいたところですよ、当時は電子レンジなんか無かったし直火も使えない戦艦のなかだと蒸気で炊飯していたんです。
http://stagevu.com/video/cnmcawmqnugr  ← ここで見られます  ハッ 内緒でしたっけ?
 
蒸気ですから アノ調理器 ウォーターオーブン/ヘルシオ+延長保証+標準配送設置サービス セット
※商品・サービスの価格及び内容については、下記の「さらに詳しい情報はこちら」と「必ずお読みください」をご確認ください。     違うんですけどネ ¥59,800ですって ほしいな。
 
 
大和の厨房
アゴスチーニの1/250ヤマトのファンの人のサイトのようです
当時最高の設備   http://yossie.jp/senkanyamato/index.php?%C2%E7%CF%C2%A4%CE%BF%DF%CB%BC
 大和に乗り込んでいた2,000人を超える乗員たちの食事を支える厨房設備とは、どのようなものだったのだろうか。
 海軍の厨房は烹炊所(ほうすいじょ)と呼ばれたが、大和の烹炊所は、当時の軍艦で最大の規模を持つと同時に最高性能のものでもあった。兵員用だけでも、ボイラーの蒸気を使って一度に米飯を600合も炊ける炊飯釜が、なんと6基あったという。もちろん大和の調理設備はそれだけではなく、蒸気を使うものでは炊飯釜と同サイズの菜釜が2基、傷病者用の粥を作る200合用の粥釜が1基あり、これ以外に電気調理器として万能煮炊き機が15キロワット3基、25キロワット2基あった。それでも、一度の食事で一人に飯2合を出す事を考えると、2,000人以上の兵員の食事を作るのは限界ぎりぎりだったといってよい。
 これらの調理器は主としてボイラーの蒸気を使用し、調理中は温度と湿度が上昇するので、烹炊所で働く炊事要員は汗まみれだったという。それでも新鋭艦だけあって調理設備も進歩していたので、大和の炊事担当の主計兵はそれまでの戦艦よりは恵まれていたといえる。大根の千切り、芋の皮むき、挽肉などの下ごしらえも2基の合成調理器で行えた。しかも大型食器洗浄消毒器や電気保温庫、電気冷蔵庫などまであった。
 大和は当時の日本で最高ランクの厨房設備を持っていたといってもよい。
 
 
▲ご飯は特盛り決定!!  お茶碗にしっかり指をかけて手から離さずに食べるのです。
被災地の皆さんも食べられる時は普段以上に召し上がってくださいね。
 
元気が出て食欲の増す日記でした。   負けないでニッポン♪