minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

天安艦、潜水艦衝突説では説明出来ない時間差

本日は読者さんが韓国哨戒艦“天安”の沈没事故について最低限の知識があるかminaQカキコを隅々まで読んでいるということを前提にお話がいきなり飛び出しますよ
手始めにキタ朝鮮による“魚雷攻撃”については、韓国がウソを練り上げたものだと断定した上でお楽しみください。
 
衝突したのは米原潜~イスラエルの潜水艦??
それとも行方のしれない韓国海軍の214型潜水艦?
 
潜水艦衝突説の場合艦長以下生存者に口裏を合わせる時間があったか
天安艦に異変が起きたとみる時間は乗組員の通話の切れた9時14分よりも後だと見ることができます
それから大雑把に言って船が横倒しになるまでの間に天安艦と海軍第二艦隊司令部との間にどんな会話がなされたかは公開されていません。
 
潜水艦衝突だとしたら?
ゴツンときて 座礁?何かにぶつかった? とりあえず救援要請だ・・・  無線に出た海軍第二艦隊司令部やその上部組織である国防部に “潜水艦衝突”という 潜水艦運用側からの極秘にして欲しいコールがありえたかどうかというところに焦点が当てられますよね。
潜水艦は浮上しないと通信出来ない(わけじゃないけど)というのが前提条件であるとすればそのまま沈んじゃった、あるいは遠くハワイ真珠湾まで修理に向かった  っとする潜水艦はどのタイミングで衝突の事実を潜水艦運用の米軍司令部あるいは韓国海軍潜水艦隊司令部に事故発生を伝えたのだろうかな ってところなんです。  潜水艦ってそいうとき困りますよね。
 
天安艦ソナー員が優秀だとしたら
たとえば天安艦のソナー員が超優秀で「潜水艦が衝突コースで接近中!」って叫んで、当直士官が優秀で面舵いっぱい全速って言って、天安艦は機動力が前代未聞だったりすると、艦内大騒ぎの全員戦闘配置だのということになってそれでもぶつかって「味方潜水艦と思しき潜水艦と衝突、現在我が艦ハ浸水中救援モトム」っていう無線のやりとりがあってこそ基地司令部は「やっちゃいましたか とりあえず潜水艦のことは黙ってて」 っという指示が出せるのだけど仮眠中とかパジャマのまま遺体発見とかのようですからそんなに優秀じゃないと言うことですね。
ところが実際の無線連絡では”座礁、救援求む、位置***、*** 現在浸水中”ってことでした、これを聞いて第二艦隊司令部は大青島の海上警察に救援のお願いを電話でしたのですね、その時間が21:15ですから時間が合いませんよ。つまり単独座礁事故だったんだと思います。
 
みそっちはこう考える
当直士官は韓国人ですし見張りのレベルも韓国基準(居眠りとかでよくぶつかる)だったと考えると 正面に暗礁があるルートに真っ直ぐ接近して慌てて舵をきる、するとそのまま船の横腹が“原潜先端型”の暗礁にぶつかる ただこれだけだと考えます その前段階としてスクリューに中国漁船の漁網が絡まったということは隠し様の無い事実ですからね、これだとすると救援要請のやり取りで「スクリューに異物が絡まったので微速でペにょん島の港に向かう」ぐらいの会話は出来たでしょうし乗組員の半数が休憩中っていうのも魚雷襲撃説と似た展開でしょ
 


 
2010.3.29 天安艦救助は海上警察が行なった
[国民ニュース] 海軍哨戒艦天安の沈没事故当時、海軍が行方不明者に関する誤った情報を提供しているせいで、海洋警察が救助を中止するしかなかったことがわかった。
また、国防部と海軍側が生存者と海軍関係者に緘口令を下し、事故当時の状況について口を防ごうとする情況も捕捉された。
 
◇"私が最後です"と救助を中止= 26日午後9時30分ごろ、海上警察の状況室で"ペンニョン島の近くに沈没事件があるので、すぐに救助隊を出動させてほしい"という通報を受けた海洋警察は、大青島の一番下に待機していた501号艦を現場に出動させた。
海警関係者は"海上警察501号艦が海軍の報告を受けた直後の30ノット(時速55.56㎞)で進み約50分後に事故現場に到着した"と話した。現場に到着した直後、海上警察は、いち早く救助に乗り出した。
海洋警察庁は、"事故当日の午後10時20分ごろから本格的に救助に出た後、計56人を順番に救助した"と29日のブリーフィングで明らかにした。 しかし、海上警察の救助活動は、濃い惜しさを残した。
生存者と乗員を適切に確認しないまま救助活動を中断したためだ。海警関係者は"海軍の要請を基に救助中止決定が下されたと聞いている"と話した。
当時、救助活動中の海上警察は、天安艦のチェウォンイル艦長と一緒に最終的に救助した12人のうち一兵士に"天安艦に人が残っているのか"と尋ねた 。救助されていない人がまだ残っている場合は、再度事故の船に救助用ゴムボートを移動させて救助作業を継続するためだが、その兵士は"私が最後です "と語ったと、海警関係者は伝えた。  
この言葉で、海洋警察はすぐに救助を中断した。海上警察は当時、天安艦に何人かが、よりに乗っていたのかを把握する方法がなかったとした。海軍関係者は29日、""最後"とした人が誰なのか、また彼が話した内容を"デッキにいた兵士のうちの最後の"といった意味なのかなどについて確認するのは難しい"と釈明した。 ※別ソースでは最後に乗り移ったのは艦長で”私が最後です”だったという説もあります。
 
緘口令の状況、あちこちで現われ= 56人が救助された直後、天安の生存者全員が海上警察救助艦の食堂に集まった。当時、食堂のドアの外にあった何人かの海洋警察官らは""口を閉じなさい"という話を聞いた"と伝えた。
生存者たちが滞在している京畿道、城南国軍首都病院と行方不明者の家族のいる平澤(ピョンテク)海軍第2艦隊司令部にも事故当時の状況に対する緘口令が下されたものと見られる。匿名を要求した生存者の家族は"家族は私が持ちだと思うよ午後3時30分から1時間の間に息子を調査した"とし、"どのような調査なのか、何を聞いて見たのかを、息子も、家族には全く口を開かなかった"と伝えた。
 


私で最後です-
天安艦事故から救助活動にかけての"自称、最後の生存者"の謎の発言なんですが、これは横倒しになった天安艦の前半分(そのあと16時間浮いていた)の乗組員が比較的冷静に海上警察の船に乗り移ったと考えられます、でも彼らはすでに海中にある艦尾部分について何事もなかったかのように海上警察の船の船員食堂で艦長さんの口止めがあったわけですね、すると生存者は全員共犯ってことになりませんか?
 
 
じゃあ何があったのかというと 船内で銃撃戦があったと見るのが全面的に正しいように思いますよ。 しかも生存者は他にいるんだとか
 
 
 
不満照らしていた海軍
海上警察のアプローチに語調高めて阻止
テント形ボート救命設備あり
生存者の救助、まずあっちいけ
 
必ず見つかる銃撃戦の証拠 船内は当時阿鼻叫喚だった
 
天安艦沈没原因も“要監視兵”らによる騒動では無かったか
そこで出てきたのが天安艦下級兵限定見殺し殺人事件は某二等水兵らと共謀した数名による船内武装立て篭り事件が発端であり、後部操舵室での操艦を図った下士官兵らと銃撃戦になったのでは無いかという疑問の提議だったんですが あっさりと全員を“軍神認定”することでこの件についての議論はタブーになっています。
◆船内の一部分が公開されないのは銃撃戦の痕跡を隠す為だった
◆現在では船内の捜査・捜索は行われておらず、艦隊司令長官名で “元兵員室” は封鎖されている
◆艦尾部分から引き揚げられたとされる遺体は遺族の手に渡ることなく直ぐに国葬にも似た扱いで充分な検死も行われずに処分された
◆当時の検死を行った軍検死医がその惨状を正確に記録したところ“肉片発言”報道が出てきて更迭された
◆船内で発見された遺体に  “銃創等の痕跡は無く、、” とわざわざ言い出している
◆船内への爆発物の持ち込みの可能性についても “火薬成分が検出されていない” のではなく “充分な証拠資料となるサンプルが発見されている”
◆船体の切断の直接の原因は “触礁” だが、事故発生直前の “操艦不能事態”は 船内での爆発が原因である  ※これはロシア側の公式見解と同じ
◆船内での爆発の痕跡は切断面画像流布の為に消された
◆船内には銃弾の跡と見られる痕跡が多数発見されているが  天安艦襲撃魚雷の小さな破片と断定された
※それも室内に通じる通路で発見されている。
◆銃創のある遺体は何故か検死の行われるソウル首都病院では無く平沢第二艦隊基地に運ばれている。
◆遺体の発見されていない行方不明者は生きている可能性がある。
◆時間差報道にあった4名の死体発見 これも真実である
◆遺品となった手帳の隅に銃弾の擦過痕が有った