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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

ヤキモチを妬く、韓国型脳の原点とは

韓国型脳の研究⑦
セミュ」샘내をあえて翻訳するなら英語では「jealousy」、日本語では「嫉妬、やきもち」ぐらいの意味だ、韓国ではあらゆるところでヤキモチにも似た感情が日常的に使われることになる、
"隣の家が新車を買えば深夜になって傷を付けに行く" 犯罪の加害者が開き直る姿もまた見事だ、そしてそれらを容認する部分には長かった朝鮮時代の奴隷制度の名残りもあるように思えてならない。
自分よりも他人がうまくいくことを妬み、自分もそうなりたいと思うのは韓国だけにある独特の感情だ、
また自分が失敗したことはどこの誰もが共通して体験しているハズだと考えるところや利己的な考えに相手の感情を顧みないところも韓国型脳の特徴だと言える。
 
 
しかし現在の韓国人にはそれが特にひどく、またそれが世界的な嫌韓熱や不動産バブル、過激な労働運動、そして特有の過消費などの社会文化的な現象の背後を形成する文化的なDNAの一部になっているように思える。
この仮説には最近になって"唐辛子の過剰摂取"が主原因であるとの主張も挙げられているがほんの100年前の土人同然の未開の種族だった朝鮮族の国に学校をつくり教育をしたのは紛れも無くニホンであるし、責任の一端が無いとは言えないまでも、"唐辛子"の過剰摂取を勧めたのも当時のニホンだったかというと決してそのようなことはなく"唐辛子"は韓国起源とする意見も韓国の大学研究機関の論文盗用に散見される。
 
 
盗むということに罪悪感は無い
歴史的に朝鮮半島は、歴代中国の朝貢国であり続ける政策をとるという属国政治を続けてきた。中世封建社会の厳格な奴隷的身分制度の下で自分の身の程にあった生き方を強要され、社会的な地位としての身分の上昇を夢見ることはできなかったからだと自己弁護する意見もあるようだ。
それと同時に宗主国の文化を真似るということに対して抵抗感なしに劣化コピーを作り出す能力も最近になって現れたものではなく朝鮮時代からごく一部の支配階級階層では行われていた。
ところが朝鮮時代からのそういう文化は、現在では"韓国独特"のものであり共通の遺伝子を持つであろうキタ朝鮮ではあまりそういった症例は見られないのも特徴的なことだと言える
 
嘘をつくことで5千年生きてきた
文盲率がアジア圏でも最下位水準だった朝鮮半島は一部の両斑身分による搾取と農地開墾技術の遅れから食料自給率さえも朝鮮時代末期にはすでに内政的経済破綻をしていたし貨幣制度が整えられたニホン統治時代になっても物々交換での社会基盤は変わることがなく文化と呼べる文化的なものが一切無かったことも資本財の蓄積の無かった朝鮮半島の"常習盗用""パクリの文化"が現在の韓国へと繋がっている。 
韓国は朝鮮李朝末期の瓦解から中国、ロシアの干渉する時代を経て文化的生活の勃興するチャンスを失い、ニホン統治時代に"義務教育とハングルの普及、文化財の保護"を進めてきたが同族同士の朝鮮戦争を経て、そのような文化が急激に崩壊してしまい、その過程で外国勢力と結託して政権を掴んだ政府と、その政府と結託して社会の主導勢力として登場した財閥に対する反感が、韓国人特有の「絶対平等主義」として表れたという分析には説得力がある。

韓国を簡単に言うならば「韓国人は他人が自分よりもうまくいくことを認めたがらない傾向」が強く、それは大部分の競争が経験的に公正でなかったためという被害意識から由来すると言う話だ。
100年前に朝鮮半島民の奴隷的身分制度をニホン統治政府が無くしたことによってそれまで文字と貨幣を知らなかった朝鮮人の白丁解放は一種のカルチャーショックだったであろうことは想像にかたくない。
 
非常に単純な話ではあるがこれには、単品豪華思考とも言うべき"キモ・ヨナがいればフィギュアは要らない"といった韓国型発言や"仁川国際空港は作ったけど海外航空会社のハブじゃない"などの現状破滅型近代韓国の原点もそのへんにあるように思えてならない
※何でも他人が羨ましい、自分ところの惨状は他所でも同じはず、そういった韓国型思考のこと
 
これを非常に簡単な韓国語で「セム(嫉妬)」という。
主に「セムナダ(嫉妬する、ヤキモチを焼く)」と「セムネダ」の形態で使われるこの表現はわかりやすく引用したつもりだが「セム」は最近の子供たちでも理解する初歩的な水準の純粋韓国語だ。
 
(引用:みそっち)