ナベカマ投げ祭り?
実際にあった、”わけのわからない韓国型主張”
飲食業を経営するのがナベカマを放り投げて何かを訴えているようす
韓国型離職者式創業者の半数は飲食店の経営を志すがそのほとんどは1~2年のうちに事業の継続に問題をきたし負債を膨らましたりしながら更なる債務を背負ってゆくことになっている。
また韓国では”二代続く飲食店”というのがほとんど存在していない。つまり韓国型飲食店の経営はそのほとんどが”一代限り”ということになっている。
羽釜というとアジアではどこにでもある不変的な調理機器だと思われているが実は、この形をしているのはニホンが起源である。
それにしてもなんだか嬉しそうに投げている様子をみると、当時騒がれていた何かがこの騒動の原因だったとは俄かには信じがたい部分だ。
2004年に始まった韓国での”釜投げデモ”は一体何の目的があったのか、10年が過ぎた今日ではそれを知る手立てはない。これらのナベカマがその後どのような運命を辿ったのかは知るすべがない。
朝鮮時代にニホンからやってきた当時の近江商人たちによれば、”朝鮮では旅籠が無く泊まるところは村の大きな家しかない”と記録しているように、人の行き来が極端に制限された朝鮮時代には外で食事をするということはほとんどなかった。
しかも客人に出す食膳でさえ家の住人が使うものをそのまま出すという現在にも通じる独特の文化があった。
※貨幣が流通していなかったので”現物(コメ)”を置いていく
米軍キャンプからの供給を受けた”ジョンソンスープ”などに代表される”残飯文化”でさえも、米軍基地に至近の地域に限られたことや文明の発達の遅れなどから路上引き売りという行商の形態ですらニホン統治時代に始まったことであり、現在の明洞などに代表される路上市場の粉物飲食店といったものが台頭してきたのは1970年代になってからでした。
▲ソウル永登浦区汝矣島漢江(ハンガン)沿いで開かれた「生存権死守のための全国食品事業主決起大会」に参加した飲食店事業主が「これ以上の釜が必要ないほど、営業環境が悪化した」としながら、鍋釜数百個を投げるパフォーマンスを行っている。
このあと”自分のナベカマ”を選別して持ち帰ったのかどうかは定かではない。
(まとめ:2ちゃん番長)
古来から大抵の国ではカマドには神がいるとされてきました。ニホンではもちろんですが中国にも同様の神様がいたようです、ところが朝鮮半島ではかまどがほとんど無く路上での調理が一般的でした。このへんは現在の”床食文化”の食事風景にも似ています。
投げる投げるっ