minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

王宮守門将交代式ってば

 
 
 
王宮守門将交代式って言うのが実在していたら 
"閔妃(ミンピ)"殺害もなかっただろうに
 
王宮を警護するものもなかった李氏朝鮮の時代
 
 
 
※1895年"閔妃(ミンピ)"殺害、朝鮮人の物盗りが王宮へ押し入って殺害した事件、犯人の朝鮮人はすぐに捕まっており朝鮮人による殺害事件であるというのが当時の朝鮮での共通認識>>最近になってニホン関与説なるものも出てきている
 
 
 
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イメージ 6徳寿宮大漢門前の ​​王宮守門将(王宫守门将)交代式は、英国ロンドンバッキンガム宮殿の前の王室近衛兵交代式をモデルにしたのだ。
1996年に始まったこの交代式は、外国人観光客の必須コースになっています。  (うっかり見学コースに入っているとお土産もセットで買わされます。)
 
 
イメージ 3徳寿宮の正門である大漢門の前で、王宮を守る兵士たちの勤務交代式の再現が行なわれています。
この王宮守門将交代儀式は1995年から伝統文化復元行事の一環として実施されてきた王宮の伝統儀式の一つ。儀式順序、服装および号令まですべて徹底した脳内考証に基づいて行なわれていて、外国からの観光客をとても興味深そうに洗脳していきます。儀式は韓国語、英語、日本語で説明されます。
 
 
※朝鮮時代の王宮には、王宮門の開閉や警備を担う「守門軍(スムングン)」という軍隊がいたという記録はありません、 そういう組織が存在したという証拠は一切ありません、この守門軍の交代儀式を、専門家による歴史考証を通じて脳内再現したのが「王宮守門将交代儀式」だそうです。
 
 
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王宮守門将交代式は毎週月曜日を除いて、午前11時、午後2時、3時30分、毎日一日三回ずつ開かれる。 昨年の交代式を見守った観光客が70万人以上である。 外国人が好むソウルの代表的な観光コースになったのだ。
 
※上のYouTube画像をクリックすると動画を見ることが出来ます、お飲み物などを噴出さないような十分な注意が必要です。
 
 
 
アリランが流れちゃって~~♪~♫~♬
 
ところが韓国人中に偶然通りかかって交代式の音楽を聞いて大笑いを炸裂させる場合がある。 なぜだろうか。 "漢江水深く澄んだ水に~♫..."で始まる "漢江水打令"をはじめ、 "豊作が来た、豊作が来た~♪"などの "豊作祈願"リズムだからである。   豊作祈願の歌は大正年間にニホンから伝えられたもの
"アリラン"が出てくる時もあるので民謡(民谣)が王宮守門将交代式の公式音楽も同じだ。 謹厳な守門将交代式にグトゴリ長短の民謡って、歴史を少しでも知る人なら笑いが出るに値する。
 
 
 
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朝鮮時代はきっとこんな曲が流れたりしたのだろう
 
イメージ 5外国人はこういう音楽が実際朝鮮時代守門将交代式に使われたものと考えることもできる。 守門将交代式BGMに民謡を披露することになった理由は何か。 結論から言えば、 "我々の現実に合うように脚色した"ということだ。
 
 
※2011年の調査ではソウルにに住む韓国人のほとんどが過去の歴史を忠実に再現したものと認識している、しかも、"忠実な考証を経て再現された・・・"という言葉にはまったく無力なのも韓国人の特徴だ。  例:亀甲船、南大門など
 
 
実際にモデルになった英国の王室近衛兵交代式も昔のことを同じように再現されません。 同じ論理で聞く人々がふんが出るように "漢江水打令" "豊作さぁ" "アリラン"などを演奏曲に溶かして入れたという説明だ。
 
守門将交代儀式がこの世にあったとしたと見ても、徳寿宮が実際の王宮に機能した時という時代背景を考えると高宗皇帝が俄館播遷(俄馆播迁)でやってきた1897年以降だから、原則どおりしようとする新式軍隊である "別技軍"が出なければダメだろという指摘もある。
 
別技軍、西洋風衣装を着た朝鮮兵のこと、当時としてはプロシア・フランス・ロシアイギリスが寄ってたかって余剰装備品を高値で売りつけていた時代でもあります
 
 
現在大漢門前の守門将交代式で吹打隊は10種類の曲をメドレー形式でまとめて演奏している。   10件中、数曲だけ選んで演奏することもある。 (演奏とは言わない)
 
※彼らはソウル市観光局に雇われている役者でありその生活費はソウル市から出ている、また儀仗・行進などの演技も"ニホンの幼稚園の鼓笛隊"のほうがはるかにレベルが高いとする。 なお音楽の再生はスピーカーを通じて行われ、"韓国人役者"のしていることは 太鼓を叩く(よく間違える)ラッパで長音を吹く(大きなチャルメラ系2枚リードの創作管楽器)だけである。
 
 
さて歴史的には、元の曲とはどんな曲が演奏されただろうか。 韓国文化財保護財団の関係者は "昔の文献にこういう曲を書いたと記載記録が一切されていないため、正確に知ることができない"と話した。
  
※そういう事実が必ずあったハズだと考える"韓国型思考"では朝鮮時代の500年間に流行歌のひとつもなく歌舞音曲が禁止されていたという事実には触れることはできない。
  
ただし宣伝官庁(宣传官厅)、オヨウンムン(五营门)、各地方の兵舎(兵营)·水泳(水营)所属チュウィタスが総大将出入りや真文(阵门)開閉、各種意識と演奏していた曲である "デチュウィタ(大吹打) "が演奏されたと見ている。
"ムリョンジゴク(武寧之曲)"とも呼ばれるデチュウィタはチュウィタとセアク(细乐)を大規模に備え軍楽に1971年重要無形文化財46号に指定された。 正統に近いこの曲も徳寿宮守門将交代式演奏曲に含まれていますが演奏される場合は珍しい。
代わりにフュージョンに近い "人"、 "月光航海"、 "大正ウィンドウ"、 "放浪"など、現代国楽民謡が演奏されている。 レパートリーがそう設定された理由は何か。
吹打隊は ""ムリョンジゴク "は、テンポが遅く、荘厳な雰囲気なので観光コースとして定着した守門将交代式と似合わないという指摘がある"とし、 "行進に似合う曲が必要他の曲を編曲して書いている"と話した。
吹打隊は現在テピョンソ(4人)·龍鼓(龍鼓·4人)·ナバル(2人)·ナガク(2人)·ウンラ(云·2人)·徴とジャバラなどで構成されている。 この組み合わせで、 "ムリョンジゴク"も十分に消化することができますが、軽快な曲で観客たちに近づいていくという趣旨からフュージョン式のレパートリーを飾ったということだ。
 
 
(翻訳:みそっち)
 

 
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▲雑草の生い茂る王宮、ニホンが統治するまでは景福宮ですらこの有様だった
※この空き地に朝鮮総督府が建てられた 空き地だったのである

なにしろ国として現金収入が無い(お金の流通が無い)というから想像もつきそうなものだ。 (大正年間に故宮見物をするニホン職人の一行、カンカン帽に半纏姿)
 
 
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▲当時ニホン人は見たものは「まるで平安時代のまま1000年も放置したような宮殿」だった(実際には大院君が再建して30年くらい経っている)  
大韓帝國末期に耕作地とされた宮殿前広場
 
 
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▲ニホン人がはじめて朝鮮の宮殿を見たときに何よりも驚いたことは、これよりも大きな建物がまったく無く、庶民は藁葺きの小屋に住んでいたことだった
 
 
 
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▲朝鮮時代は500年ほどあったがその間に建設技術はまったく顧みられることも無く風化するにまかされていた
 
 
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