ソウル崇礼門の儀式、8年ぶりに
ソウル崇礼門の儀式、8年ぶりに復活する
いつの時代の儀式を再現したのですか はい2005年のです
ソウル市役所の職員がイギリスの衛兵交代式を見て感動しちゃって
[ソウルミーナ]崇礼門把守儀式復活のニュースが伝えられている中、今日午前から再現行事が行われて、多くの人々の目を虜にした。
23日午前10時からソウル崇礼門では把守儀式を8年ぶりに復活し、月曜日を除いたすべての日に無料で観覧できると伝えられた。
同日、崇礼門では、朝鮮時代の治安を観察する番君たちをそのまま再現し、特別な公演を進行して、多くの市民たちの視線を集めた。
特に把守は朝鮮時代の軍事組織である一番所属の鄭4品の官職である護軍1人、歩兵3人で構成されており、当時、城門の前で、警戒勤務を立って、治安を察したと伝えられた。
(翻訳協力:2ちゃん番長)
韓国人は嘘を苦にしないわけですが、一般的に私たちが知っている朝鮮時代の崇礼門の姿といえば傾いた屋根と門の前に立ち並ぶ草葺きの小屋であることでしょう。
そのような門が朝晩の時間ごとに鐘を鳴らして開けたり閉めたりしたというファンタジーが創作されたのは2005年のことでした、そして2008年の焼失ですからおよそ8年ぶりに復活したということになります。
ところで、上のGifにあるように崇礼門の表側の敷地で儀式を行っていますよね。あの辺は草葺きの小屋があったところだというのに、現代の韓国人の多くは日帝時代に美しく整備された崇礼門を思い浮かべることで脳内平衡を保っているのです。
韓国人の頭の中には常に理想が上書きされた現実が存在しているようです。
草葺きの小屋が建ち並ぶこの場所で観光行事をやっているというのは随分勇気が必要だと思うよね。 まさにここだからね
朝鮮至上説
朝鮮時代は門の警備管理が厳重だったので門の前(外側)に貧困階級のコロニーが作られた、その結果、都城の内側は比較的治安が保たれていた
そういう事実がなかったことを抜きに考えれば脳内想像的には一定の理解が得られやすい説法ですね。
では門の裏側を見てみましょう。撮影時期不詳ですが、草葺小屋の姿はありません。
城壁が低くなっているので1900年代初頭かもしれません
儀式をやるとしたらこちら側のほうがよかったのでは?
このへんが韓国の外形至上主義とも言われる由縁ですが、実務的に考えてもこちら側でやるべき交代式をあちら側でやるというのは観光客に見せるためばかりではないのです。
カメラのフレームには必ず崇礼門の扁額が入るということがお約束となっている。
何度でも読み返しておきたい過去カキコ
鉄板鋲打ちの赤い門扉も壊れたまま300年ものあいだ放置されていたのですね。
あのほら、中国清との戦争に負けた時の条件で”宮殿や城壁の修理には清国の許可を受けること”っていうお約束がありましたからですよ。
▲朝鮮時代の崇礼門(南大門)のようす
ついでにもうひとつ言っておくと、”南大門はソウルの正門”ではありませんでした。
作った時にはそんな思惑があったかもしれませんが、中国の属国になったころにはソウル(漢城)の正門は中国からの使者をお迎えする”迎恩門”のほうですからね。
日朝修好条規の締結の前に訪朝したニホン側使者も迎恩門のあるほうまで徒歩で移動していましたから、当時放置されていたままだった南大門なんていうものは多くの写真に残っているようにご覧のありさまだったというのが事実です。
でも、出来た当時の荘厳な崇礼門の様子を再現するんでしょ?
だってほら、”朝鮮は外夷がやってきて開国するまでは綺麗で清潔な国だった”という妄想がありますからね、朝鮮末期は朝鮮文化が円熟期を迎えた時期だったのに日帝が破壊した、破壊される直前の状態を再現する>>>こんなのが理念なんですよ。 でも南大門って作ってすぐに倒壊しちゃって建て直ししてるんですけどね。