崇礼門でも守門将の儀式をやるよ
'朝鮮の守門将'8年ぶりに崇礼門守る…4月から儀式の再開
だったらいいなを再開、ソウル市観光と職員のアイディアで1996年に始まった儀式には伝統的という根拠がない バッキンガム宮殿の衛兵交代式をベンチマーク
[ソウルミーナ]崇礼門の火災以降に姿を消した朝鮮時代の守門将とかが8年ぶりに再び崇礼門を守る。27日、ソウル市によると、2008年、崇礼門の火災で中断された崇礼門の伝統番(警戒勤務)儀式が早ければ来月再開される。
▲2007年頃の焼け落ちる前の崇礼門でのイベントのようす
ソウル市は、安全と歴史考証部分を補完して4∼5月に番儀式を開始する方針だ。
市は安全な把守儀式行事のために安全要員など8人の投入など安全要員の増員配置を検討中だ。
また、崇礼門把守儀式行事が歴史的な再現行事であるだけに、細密な構成のために'に四大門の守衛や巡邏の'学術研究も開始した。 これをもとに歴史的考証が行われる。
徳寿宮大漢門に勤務する王宮守門将や水門郡、吹打隊39人は徳寿宮(トクスグン)で、守門将交代式を終えて毎日午後4時、崇礼門に行進する予定だ。
カンヒウン、ソウル市歴史文化財課長は"徳寿宮と崇礼門で朝鮮の守門将の姿を見られるようにして市民と国内外の観光客が我々の大切な歴史文化資源を享受できるようにする"、"今後、ソウルの代表的な観光資源に作りたい"と話した。
現在朝鮮(チョソン)時代の水軍の姿は徳寿宮大漢門の前王宮守門将交代儀式で観覧できる。1996年に始めて今年で20年なった王宮守門将交代儀式は毎年、国内外の100万人あまりが観戦している。
昨年は、内国人の54万2千人、外国人55万5千人が徳寿宮の前で王宮守門将交代儀式を見た。
市は今年6月、王宮守門将交代儀式20周年記念行事も行う予定だ。
(翻訳:みそっち)
守門将交代式というのは近年創作されてものなんですが、南大門にもそういうのがいたのではないか、時間になると門を閉める兵士がいたのではないか、という与太話なんですよ。 間違った伝承では”日没ととも太鼓が鳴って城門が閉まる”なんてことを想像しているようですが、そんな門扉は存在しません。まいにち開け閉めした門扉は朝鮮時代初期にすでに壊れていたそうです。つまり開けっ放しなんですね。
それでも、崇礼門でもむかしは観光客相手のをやってたんですよね、ところが完全燃焼しちゃったので”役者さん”とかが本業に戻ったなんてことがありました。
ソウル市の職員が”バッキンガム宮殿の衛兵交代式”のようなものをやりましょうって最初は自分で始めたイベントでしたからね。
何度でも読み返しておきたい過去カキコ
鉄板鋲打ちの赤い門扉も壊れたまま300年ものあいだ放置されていたのですね。
あのほら、中国清との戦争に負けた時の条件で”宮殿や城壁の修理には清国の許可を受けること”っていうお約束がありましたからですよ。
▲朝鮮時代の崇礼門(南大門)のようす
ついでにもうひとつ言っておくと、”南大門はソウルの正門”ではありませんでした。
作った時にはそんな思惑があったかもしれませんが、中国の属国になったころにはソウル(漢城)の正門は中国からの使者をお迎えする”迎恩門”のほうですからね。
日朝修好条規の締結の前に訪朝したニホン側使者も迎恩門のあるほうまで徒歩で移動していましたから、当時放置されていたままだった南大門なんていうものは多くの写真に残っているようにご覧のありさまだったというのが事実です。
でも、出来た当時の荘厳な崇礼門の様子を再現するんでしょ?
だってほら、”朝鮮は外夷がやってきて開国するまでは綺麗で清潔な国だった”という妄想がありますからね、朝鮮末期は朝鮮文化が円熟期を迎えた時期だったのに日帝が破壊した、破壊される直前の状態を再現する>>>こんなのが理念なんですよ。 でも南大門って作ってすぐに倒壊しちゃって建て直ししてるんですけどね。