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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国伝統葬儀文化は付け焼刃


韓国伝統葬儀文化は大半が日帝の残滓

あの花輪とか白黒の幕とか、菊なんかもニホン式 これって1980年以降の文化
背負って埋めてくる式と、王のような行列式 それさえも日帝がなかったら無かった


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[朝からミーナ]死んだら裏山に埋めに行く朝鮮文化を日帝が奪ったことが明らかになった。麻でできた死に装束や、菊で飾った遺影、喪主のする腕章、遺族の左胸にお約束の黒リボンなど。これまで韓国の伝統葬儀文化として知られていたこうした風習の多くが実際は日帝植民地の残滓であることが確認された。  

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ソウル市とソウル施設管理公団は31日、「韓国葬儀文化の植民地性」をテーマに来月20日までソウル市庁1階のロビーで無料展示会を開くと発表した。
展示会は韓国葬文化の日帝植民残滓を集中的に扱っている。 

ソウル市は今回の展示会を通じて、日帝時代の朝鮮総督府が韓国の伝統を抹殺して韓国人の意識を支配するために葬儀文化を毀損した過程を知ることができるとも説明した。 

実際、葬儀文化の専門家によると、韓国の伝統葬儀法では死人が出ると家人が遺体を背負って裏山に埋めに行く式の ”高麗葬” が伝統だったが、このように韓国伝統葬儀法がニホン式に変わったのは1934年11月に朝鮮総督府が「儀礼準則」を発表してからだ。
すなわち、死体をどこにでも埋める文化をやめて、墓地を決めて埋めることを強制したわけだ。しかし朝鮮総督府の思惑通りにはいかず、それから10年後に解放されるころになっても葬儀の概念が理解されず、いたるところに墓標も無い土饅頭が作られることになった。

※土饅頭式以前の、”背負って埋めてくる式” の朝鮮埋葬では埋めたところが分からなくなるので裏山全体を墓域としていたとする研究もある

イメージ 3ことの始まりは1969年に大統領令で制定された ”健全家庭儀礼法” というものに始まる。
食糧事情が徐々に良くなってきて国民の暮らし向きが向上してくると韓国にも伝統や歴史が必要だと考えられ、先祖にペコペコする儀式が明文化された。
その原型となったのは朝鮮時代の儀式儀礼の研究を広く渉猟した総督府の資料によるものでした。
しかしその資料は一般人とは関係ない王族貴族などの儀礼だったのである。

このようにして韓国の葬儀事情は朴正煕のころに大きく変わることになる。ニホン風の菊の花が多用されるようになり葬儀には関係者も参列するようになった。

最近の葬儀で遺体の安置場所に花を立体的に高く積むのもニホン式だ。
遺影を菊で飾る方式はニホンの葬儀文化とともに流入した。葬儀業界の関係者によれば「80年代にニホンの葬儀文化が韓国に初めて流入し、その後、韓国の葬儀業者がニホンの専門家から最新の装飾を習ってくる」と説明した。 


遺族が付ける黒のリボンや腕章も朝鮮総督府儀礼準則を復活させた朴正煕のころに公布された家族儀礼則に基づいたニホン方式だ。
左胸には黒のリボンを付けるようにしたし。スーツを着た人の腕に黒い腕章が付いたのもこの時だ。

ソウル市は今回の展示を通じて、国権を失えば生と死のアイデンティティーまで失うことになるという事実を悟るきっかけになることを期待している。


(ソウル/みそっち)




三代前の墓なんてどこにもない韓国

お盆になると草ぼうぼうの土饅頭の草刈りっていうのが最近の韓国式先祖の墓となっています。埋まっているのは、ほとんどが1960年代以降のものですね。それ以前のモノは影も形も痕跡すらありません。

1960年代になって朴正煕が ”これじゃいかん” ってあれこれやるんですが、これが公園墓地商売のはじまりです。
※今じゃ新しい公園墓地は許可が出ない、だから納骨堂だけしか無い

なんと日帝が強制した土饅頭に埋める式の以前の朝鮮では、”山に返す” という意味もあって、”背負って埋めてくる” あるいは ”そのへんにうっちゃっておく” というのが、明治期に朝鮮を旅行したニホン人がびっくりした現実でした。

まさに死んだら、生きていた証拠をすべて分け合って消去するのが朝鮮文化だったわけです。※死ねば滞納した借金も帳消しになる。もちろん葬式なんてするお金は無い

500年も敗戦国だった朝鮮では、城や宮殿の改修はもちろん、王族が死んだらその後の行列の規模まで、宗主国にお伺いを立てなければならなかったということもあって最大限に飾り立てる必要のある王の葬儀がとても質素に行われてきたことがあります。その結果、朝鮮では名家や高官でも葬儀はとても質素でした。これに転機となったのが大韓帝国の成立でしょう。

敗戦国の立場から一転して独立国になったことで派手な葬儀が行われることになるのです。しかし高宗(~1919)や、純宗(~1926)が死んだ頃にはもうすでに朝鮮は独立国ではありませんでした。 それでも朝鮮半島では未曽有級の規模で国葬(ニホン式)が行われたことは後々までの語り草となっています。


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▲葬儀に行列があったり見物人がいるのはニホン式

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▲何の行列だか知らないけどね。





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よいお年をっ