韓国映画とマリリンモンローと拉致っ
ニホンでは浪越徳治郎センセがお相手をしたよ?
※来日したモンローに素手で触って指圧した唯一の日本人である。このことについて浪越は「そりゃあもう、とにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍くらい時間をかけてしまいました」と後にテレビ番組の中で述懐している。
[芸能ミーナ] マリリンモンローがニホンへ新婚旅行に来た帰途に韓国に立ち寄ったのは1954年2月16日のことでした、芸能好きな韓国だと、さぞかし各紙が1面トップ記事にしたのかな?
韓国の2月18日付けの新聞ではこんな程度の扱いでした
▲女俳優몬로孃來韓四日間유엔軍慰問 미국(美國(미국))하리웃트에서 육체의 여왕이라는 칭호를받고있는 여배우「마리린·몬로|」양은 수백명에달하는미군병사의 열광적...
もちろん米軍発表の写真はいっぱいあります数え切れないくらいね
そのなかには韓国人が写った変な写真が残っていました。 見るからに一枚だったばずの写真ですが、当時から一枚の写真として紹介されることはあまりありませんでした、どうしてなのでしょうか?
運命を変えた一枚の写真
▲当時、モンローが入国してきた大邱(テグ)トンチョン飛行場には彼女を歓迎するために女優の白盛喜(ペク・ソンヒ)と崔銀姫(チェ·ウンヒ)が迎えに出た、モンローを見るために押し寄せた人出で一騒動が起きたりもした。
2枚に分かれた写真には驚きの事実が
当時、韓国映画界は2大勢力とされる"朝活"と"韓映"があってライバル関係にあり、たがいの主力女優ををまきこむ大スキャンダルとなった大スター争奪戦が行なわれ、折りしも急激に勢力を伸ばしてきた新興財閥と、新たに参入してきたテレビ業界の間での確執から、2大新聞社が加熱報道を繰り広げる取材競争へと発展した。そこで両紙が取った作戦は、当代きっての人気女優として来韓した大人気のマリリンモンローとの2ショットを撮りライバル紙を出し抜く考えだった。 軍の空港付近で待機していたところ警備が厳重な上に基地関係者のほか韓人カメラマンの接近が禁止されたこともあり、極東米軍報道部配信の1枚の写真が新聞の紙面を飾ることになった。そのため敵対する新聞社が相手側の女優を載せるはずもなく2枚に切り離された写真が現在に伝わっている.... そんなのはありません
右側:白盛喜(ペク・ソンヒ) 現在は、おばあちゃん女優として隠棲中
京畿道 光州で生まれた。 1942年演劇'青春劇場"でデビューし、 1947年に映画" 新しい猛暑 "で映画俳優としてデビューした。 1953年 映画監督 申相玉と結婚した。
1978年 1月14日 、香港で北朝鮮指導者金正日の指示で工作員によって拉致され、夫シン·サンオクも彼女の行方を探すために香港に行って、同年7月19日にも拉致された。 拉致された後、約8年の間、この夫婦は、 北朝鮮の映画活動をしながら、映画17編を製作した。 1986年 3月13日 オーストリアの ウィーンにいた時に米国 大使館に脱出して脱北に成功した。している。
そうですか、つまりキタ朝鮮に連れてかれちゃって映画を指導してきたお二人さんだったんですね。
▲、監督 申相玉、出演者のところにも崔银姬ってあります そーだったんだ
(テキスト:ネト ミナ)