minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

落ちたF-5戦闘機ネジが留まってなかった?

 
 
 
 
 
7月に定期点検をしてから20回飛んで、
 
去年の7月から20回飛んで? 今年の7月からだとしても3ヶ月で20回だけの飛行って、”定期点検”のあとですよ週に2回? いいえ週一回飛ぶんです。 
 
 
 
イメージ 1[ミリタリーミーナ] 先月、墜落したF-5戦闘機の事故原因は整備不良だったことになりました。
整備が不良な状態で20回も飛行をして、結局、事故を迎えたことが分かってねじ解けた空軍という批判を避けづらくなりました。
     
 
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先月26日、忠清北道ジュンピョンでF-5戦闘機が墜落しました。
ややもすれば民家に落ちて大型惨事が出ることもあったが、操縦士が30分あまりの間、操縦桿を握って必死に持ちこたえた末にやっと村を避けました。
 
李昊俊(大尉/事故機の操縦士):"離陸時にずっと急上昇現象があって操縦桿も言うことを聞かずして民家回避のために一旦航空機の機首を下げ操作をしました。"
 
3週間の間調査した末に空軍が発表した事故の原因は整備不良。
    
 
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昨年7月の定期検査時に操縦桿と尾翼を接続する部品を適切に差し込まずに組み立てて墜落当時、尾翼が動かなかった説明です。
※翻訳注: 지난 7월 昨年7月?去る7月?? たぶん「去る7月」 
 
定期検査後、事故機は20回も飛行したが不良組み立てを調べられませんでした。
 
 
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<インタビュー>のカン・ソング(空軍)公報課長):"飛行する前に整備士と操縦士が一緒に確認をしますが、その時までにはすべて動いてくれたんです。それでそれが異常があると考えないで、"
    
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新型戦闘機はコンピュータ制御装置が不良組み立てを自動的に捜し出すが、40年なった老朽機種F-5は不可能です。
※このまえに落ちたT-50練習機は昇降舵を固定するピンが抜けてなくて操縦不能でした。
 
空軍は国民に申し訳ないとし、関係者を問責すると明らかにしました。
事故原因が整備不良と判明されることによって空軍は、来週中にF-5戦闘機機種の飛行を再開する予定です。
 
 
(翻訳:ネト ミナ)
 
 
 


 
翻訳に貼り付けたら"去年の7月に分解整備"って出てきちゃって、いくらなんでも田舎の農家のコンバインだって農協が手紙くれるのにおかしいなぁって思ったのです。
 
それでね20回飛んでいて原因はネジだったというんですがKBSのイメージ画像みたいなネジじゃなくてもっと違うネジなんでしょうね。 
 
それでKBSのオチは  "ネジの緩んだ空軍"ってことですね
 
 
 
 ところで韓国空軍では機材不足で飛行訓練ができないというのはかなり深刻みたいですよ。対潜哨戒機P3-CKが8機あるんですが実際にとべるのは2機だけだそうです、空中管制機かな、あれも部品不足で飛べないそうですからね。
空軍ってところこはジェット機をとばして訓練するのが日課なんですが空軍の軍人さんにとっては”危険な飛行訓練をしなくてもお手当が出るのなら飛びたくない”というご意見が出てきていました。
さて、飛行機を飛ばすためにはパイロットのほかに何倍もの人手が必要なことは誰でも想像がつくと思います、たとえばラバウルあたりで飛んでいたエースさんがいて整備のほうにも何倍も大勢いたわけです。燃料の心配をする主計長はガソリンをニホンから運んでくるのを受け取るという重要な任務があったのでした。消耗品では機銃弾なんかが運ばれてきますが、それだってパイロットが弾をリンクで繋げたりしてましたが銃にセットするのは兵器員でしょ(そういうのを置いてきぼりしちゃったけどね)
韓国空軍がはじめて飛行機を受領したのは1948年ですよL-5とかL-4といった連絡機ですね。勘違いしちゃイケナイのが”連絡機”で飛行訓練をした。というヨタ話がありますよ。操縦桿が2個ついていて教員が教えるのが飛行訓練ですよね、複操縦装置のない飛行機で飛ぶのは、これも飛行訓練で間違えじゃないけど日課でしょそれは、ところが韓国には”連絡機”で初めて操縦桿を握って飛んだ>>>なんていうエースパイロットがいるんです。
これら連絡機は20機あったそうですからパイロットもその程度の数はいたでしょう(ほとんどがニホン陸軍の出身者、海軍はパイロットに朝鮮人は採用しなかった。)驚くことにニホン海軍の基地で飛行訓練をしたという”韓国人エースパイロット”も複数存在します(全部ウソなんだけどね)さて、飛行機なんてものはクルマとおなじで”燃料を入れれば飛ぶようにできている”これは間違いじゃないんですけどオイル交換もしなきゃならない、ドレンボルトにはワイヤリングしなきゃいけないんですけどそーいうのを誰が教えたんでしょうね。これも記録が残っています。最初の連絡機20機はアメリカから譲ってもらってアメリカのひとに整備をお願いしていました。というかアメリカ軍政時代のお約束が実現したものですから撤兵していた米軍の後に残った米軍顧問団が気をきかせてくれたのでした。そのあとに入ってきた”正真正銘”の練習機であるT-6テキサンはカナダからやってきましたよ。これは1950年5月ですね。じゃぁこれで飛行訓練をしたのかというとそれもありませんでした。飛行訓練ですぐに1機墜落して残ったのが大田~済州島へと後退します
それは朝鮮戦争が始まったからですね、ここで”手製の爆弾”を迫り来るキタ朝鮮地上部隊に投げて大活躍>>>これもウソです、まず爆弾を手で投げた、これはウソでしょ6kg演習弾だって時速200キロで飛ぶ空中から外に投げることは不可能です、すると今度は迫撃砲弾を投げたとウソをつきました。迫撃砲を装備した部隊は38度線付近にあって空軍飛行場のそばには陸軍部隊はありませんでしたからね。
 
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▲T-6テキサンの後部席から”手製爆弾”を投げたのが韓国空軍の初参戦
後部席からは下も前も見えないがこの飛行機で投弾した韓国人がいる
その後L-4連絡機の後席から投げたことに訂正しています。
 
ニホン軍がいなくなって5年も過ぎたあとですよ。韓国空軍はパイロットの教育よりも先に飛行機を手に入れたのです。そのつぎがパイロット。そして今でも不足しているのが整備の人ってわけです
 
 えっ?ニホンですか?青島のころには飛行機を飛ばしていましたからずっと教育してきたんですよ、ちゃんとニホン語の教本もあったし
では韓国空軍の整備の人はどうやって集めたのでしょうか?、これはびっくりですよ、”クルマの運転のできるものの中から選抜して採用した”とあります。戦前のクルマ乗りはなんでも自分でやっていたでしょうからあんまり間違えではなさそうです。
 
それからもうひとつ大事なこと。戦前のインディアンっていまの人に運転ができるとお考えでしょうか、点火の進角を左手で操作しながらアクセルは右手でフットクラッチは左足側にあってハンドチェンジは右手ですよ、はしりながらオイルポンプは右手です。いえいえインディアンだけが特殊なんじゃありません。W1はシフトとリアブレーキが逆だしドカティの350なんかも逆ですねカワサキのSSなんかシフトがN-1-2-3-4-5ですよ、途中にNがないんです。そんな時代の飛行機の操縦なんて”今と同じ機種ごとの運転資格”だったじゃないですか。