minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国型孤独死、イアンフおばさんの優雅な生活

 
 
死まで佗びしい安宿の人々

誰も探さない‘私一人で死亡’の寂しい現場
飲み水を沸かして飲めなくなると体が弱って死んでゆくらしい
キムチと米と練炭でお迎えを待つ人々
 
 
イメージ 3[ソウルミーナ]寂しい人生を生きて一人で寂しい死を迎えるのを'孤独死'という。遺体は家賃を受けに来てみた家主によって発見される場合が数えきれないほどだ。周りの人との接触がない場合には数年が経った後に発見されたり、最悪の場合には発見されないこともある。
寂しい人生を過ごした故人の遺体はどう処理されるのだろうか。生きてきた歳月と同様に故人が行く道もあまりにも孤独だった。ソウル龍山区東子洞に位置したいわゆる'東子洞の長屋村'では、孤独死が多い。1000世帯以上が住んでいるここはほとんど1960年代に建てられた古い建物、老朽化した施設と補助金なしに家賃が安い部屋を訪れる人たちが住んでいる。
 
 
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▲1月22日午後、貧しい人たちの最後の居住地。 
ソウル龍山区東子洞の長屋村の路地にある。

慢性疾患をはじめ、健康が良くなかったり、障害のある人が多く、家族と断絶されたり、家族がいない人たちがほとんどである孤立するしかない環境である。チョスンファ東子洞舍廊房事務局長は"一ヶ月に1件ほど孤独死がある。隣家で帰っても住民たちは死に慣れていてびっくりしない"と話した。
 
イメージ 2昨年12月6日、東子洞のある長屋で70代の金某さんが死亡した状態で発見された。
金さんは東子洞の長屋村に10年以上居住し、基礎生活受給者に選ばれ、毎月48万ウォンを受け取って生活していた。
この長屋村住民たちには金さんについて聞いたら "静かで関係のネットワークが狭い人と会話を交わしたことがない" "名前も死んだ後に初めて知った"という反応がほとんどだった。
 
誰とも接触しなかった金さんについて唯一知っている人は福祉館アシスタントだけだった。
 
 
 ▲1月24日午後、昨年12月に死亡した金某さんの長屋村部屋は主のない遺品がまだ残っている。
 
福祉館ボランティア、"(キム氏が)普段に風邪気味があるとし、いつも横になっていてご飯を作って食べて換気をさせないでいてこの長屋にはいつもカビがいっぱいだった"と伝えた。
 
老人介護事業の一環として1週間に2、3回ずつキムさんを見にきたという福祉館のサポーターは死亡していたキムさんを一番先に発見した人だ。
12月6日午後6時、キム氏の家を訪問した福祉館ボランティアはこの様子をさとってすぐ119に連絡した。119救急隊は、キム氏が死亡したことを確認して警察に連絡した。その後、龍山警察署刑事課は、キム氏に縁故者がいるかどうかを1ヵ月間捜査した。普通は警察が縁故者を探して、遺体を収容していくが、縁故者がいなければ、管轄区庁で無縁の死亡者を巡るで処理する。
キムさんは戸籍がきれいで縁故者が一人もなかった。キムさんの遺体は、もしかもしれない縁故者を探すために1ヵ月間付近の順天郷(スンチョンヒャン)大学病院の霊安室に安置されていた。今年1月19日、縁故者が誰もないということを確認してからキム氏の葬式が行われた。
 
縁故もないだけでなく、住民たちと意思疎通が少なかった方なので、キムさんを知った人のうち、葬式に出席した人は福祉館のサポーターそして隣の部屋の住民だけだった。
福祉館ボランティア、"もしかして、遺体安置所に周辺住民が訪れないか待ったが、2人がすべてだった"と苦笑した。
 
そんなキムさんの葬儀は、同日朝7時に始めて12時ごろに終わり、遺体はすぐに火葬され、ソウル市立竜尾里無縁追悼の家の納骨堂に安置された。 
1月24日、キム氏が住んでいた部屋を探してたらまだ彼が使っていた物が残っていた。壁にかかっているカレンダーは2012年12月に止まっていた。狭い部屋の中には布団が広がっていたしお櫃や食器類、衣類などが散らばっていた。主人は死んだが、部屋の中の風景を見たら間違いなく誰か住んでいるようだった。
部屋の中を回って見たとき、一箇所で視線が止まった。の片隅に長い間食べないで腐った柿が目立った。キム氏が生前に食べると持ってきたものだった。とたん胸がキュンとした。その時初めて、部屋の主人だったキム氏の死が実感された。
 
家主は"長屋が悪化して住民たちもご飯を食べないし、お酒ばっかり食べてたくさん帰っていらっしゃる。遺品は縁故もなく訪れる人もなくてしまったり、使えそうなのは分けて持つ"と話した。キムさんの部屋は警察の取り調べが終わるまでは保存される。龍山区庁は、もしか現れるか知らないキムさんの縁故者を探すため、'無縁の死亡者を巡る公告'を区庁に、一ヶ月間掲示している。
火葬処理されてしまったキムさんの遺骨は10年間縁故者を待って追慕の家に安置される。生きても寂しかったキムさんは死んでも訪ねてくる人一人いない、孤独でいるのは同じだ。
 
葬儀費用のために'遺体放棄覚書'使う場合も 
昨年12月3日、ソウル東大門区徽慶洞ある考試院の部屋で50代ファン某さんが遺体で発見された。ファンさんを初めて発見した人は、考試院を運営する崔某さん(54)だった。崔さんは滞った家賃を受けに行ってファン氏が死亡しているのを見て驚いて119に通報した。ガス銃を売る仕事をしていたファン氏は、糖尿病を患って足を足をひきずり、体が痛くて3ヵ月間仕事を出場できなかった状態だった。痩せて病気の体だったが、冷麺の器にご飯を食べるほど食事の量が多かった。彼は"すぐ仕事を出て滞った家賃を出す"と述べてからまもなくて冷たい遺体で変わった。
119に対し、ファン氏の遺体を収容し、東大門(トンデムン)警察署に対し、ファン氏の家族・親戚・姻戚など縁故を調査し、実兄がいることを突き止めた。考試院の所有者であるチェさんも彼に兄さんがいることをすでに知っていた。生前にチェ氏は、ファンさんに兄と一緒に住めと説得したが、ファン氏は"兄もまた私のように難しい立場であり、そうするわけにはいかない"としたということだ。
公務員のファン氏の兄は都合が余裕なくて、弟の葬儀費用を負担できないとし、遺体放棄覚書を書いた。 
ファン氏の遺体はそんなに東大門区長安洞に位置したコリア・病院に保管されていたが、今年1月9日、火葬された。現在は京畿道坡州市に位置した無縁故追悼の家に安置された状態だ。 
1月23日、ファンさんが暮らした考試院の部屋を訪ねた時、すでにファン氏の遺品は考試院の所有者であるチェさんが処理した後だった。崔さんは"一人で四十九日を払って1月20日遺品を集めてしまったらその翌日、ゴミ収集車が回収してがなくなるた"と伝えた。彼はまた、"兄に遺品を持って帰れと言ったら私に捨てとした。歌手が夢だったか部屋の中に賞牌、歌テープ、きらきらと輝く服も多かった"と苦笑した。ファン氏はそんなに遺言も遺品もなく、跡形もなく消えてしまった。
 
 
(翻訳:みそっち)
 
 


 
 
 
 
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朝鮮戦争当時の思い出を脚色して解説してくれる自称イアンフおばさん 
 
 
慰安婦犯罪に関する日本の歴史歪曲が極まった中にゾユンでは女性家族部長官が 10日日本軍慰安婦被害者である李屋では(83·忠北報恩郡俗吏山面) お婆さんに会って意味深い時間を持った.

チョ長官はこの日午後 3時猿川郡の伝統醤油類製造業社である ㈱ コングセサングを訪問して農村女性と就業に関する多様な意見を分けた後乗用車で 2時間距離である報恩郡に移動してこのお婆さんに会った.

このお婆さんは 2009年政府で与える補助金をそっくりそのまま集めて作った 2000万ウォンを軍民奨学会に私の穏かな感動を催した慰安婦被害お婆さんだ.

太平洋戦争の時日本軍に引かれて行って慰安婦生活をしなければならなかったこのお婆さんは当時の前財産に違いないこのお金を "国に人才が多ければ二度と私のような慰安婦被害者が発生しない"と言いながらこころよく奨学金で出した. 
 
このお婆さんは大邱で 100余名の男女が引かれて行った後 "工場で働くようにしてくれる. 月給も故郷で送ってくれる"と言う嘘を聞いて慰安婦で生活しなければならなかった悲しくて, 悔しい過去のことを打ち明け始めた