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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

KALホテル、事実上霧散

 
”規制改革の象徴”7つKALホテル、事実上霧散 
 
学校の隣のホテル法改正うやむや
 
 
イメージ 1[ソウルミーナ]朴槿恵政府が規制改革の代表的な象徴として推進している「学校の隣のホテル法」(観光振興法改正案)が特定の財閥の好み疑惑と政界の法改正難航などが一体となり、事実上失敗に終わる可能性が高いことが6日、分かった。 パク·クネ、政府が推進している各種の規制改革政策が現実の限界にぶつかりながら弾力を受けることができるか懸念する声が出ている。
 

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韓国観光公社の経営するホテルチェーンが風俗店を併設していた。
 
政府高位関係者はこの日、「学校の近くにホテルを建てようとする試みが32件で、他の場所とは異なり、大韓航空の7つ星ホテルの場合は、規制を緩和しても、各種関連法が絡んでおり、建築自体が容易ではないようだ "と明らかにした。
 
イメージ 2
        ↑ここニホン大使館
▲写真右手が景福宮 手前側高層マンションのすきまに見えるのがニホン大使館、大韓航空では高さを4階建てにして文化施設も併設するとしてホテル建設を強行に進めてきたが政権交代と現ナマ不足で計画は漂流している。
 
 
国会教育文化体育観光委員会の野党側のユ・キホン幹事は「保護者や教育団体の両方が反対しているうえに、特定の財閥のひいきの性格があり、野党が同意するのは難しい」と述べた。
大韓航空が7つ星ホテルを含む複合文化施設を建設するとして、2008年の2800億ウォンで、ソウル鍾路区松峴洞にある昔のアメリカ大使館員宿舎跡地を購入して6年が経過した状態だ。
 地下4階、地上4階の建物に156室規模の7つのホテルと美術館、多目的ホールなどを造成する計画は、2010年3月、ソウル中央教育委員会から勉学の雰囲気を害するという理由で建築不可判定を受け、2012年6月には最高裁判所で最終敗訴した。 これは学校境界線の200m以内じゃダメという法律である。
 
同年10月に文化体育観光部は、有害施設がないホテルは、学校の近くに建てるようにする観光振興法改正案を提出したが、与野党間の議論さえ行われていない。
一方、大統領府は公式ホームページ(www.president.go.kr)を介して、3日から「規制改革目安箱」を運営して三日ぶりに543件の提案を受けているとこの日明らかにした。 昨年、政府の規制改革委員会のホームページを介して提出された提案は300件ほどで、三日目にはほぼ2年分に相当する量が受信された。 規制改革に対する国民の爆発的な関心と期待が再確認されたという評価が出てきて期待感と現実的な限界との間の乖離感が正比例して大きくなるんじゃないかという懸念も提起される。
 
 
(翻訳:みなQ)
 


 
ソウル鍾路区松峴洞ってゆうと景福宮のすぐとなりになります交通の便としては不便なところですよ、世宗大通りにあるアメリカ大使館が築50年をすぎて老朽化して移転するんですが、その費用の一部になればとアメリカ大使館職員宿舎は整地されて売られてゆきました、そこに飛びついたのが大韓航空を含む財閥でしたがその間に大統領は2回かわり法律も変わってホテル建設がダメになったののがいよいよダメダメになったということですよね。
韓国観光公社の経営するホテルでも風俗店を経営するようなお国柄ですから学校のとなりにホテルなんて..っという意見が根強いみたいです
さて文中に目安箱ってありますね、ニホンでは暴れん坊将軍の時代に南町奉行だったあの人が目安箱で有名ですがこれはニホン語に訳すと目安箱になるだけでハングルでは違う表記になっています。とはいえなんでも起源の国ですから目安箱はニホンよりも先にあったとするのが一般的です。
 
朝鮮では、上訴·告発の制度は法制化されていたが、目安箱は、その最後の抗告(抗告)の施設内には王の直属である義禁ダンジクチョン(当直厅)が主催、太鼓をたたく者の声を王が直接聞いて処理するようにした。すなわち、悔しさを訴えたい者は、ソウルから主掌官、地方では観察使に申告して司憲に訴えて、ここでも解決ができない場合に目安箱をたたくようにしたが、これは形式上朝鮮の民の上達(民意上达)の代表的な制度であった。燕山君の時から長い間、目安箱制度が廃止されたが、1771年11月に再設置し、兵曹で管理することにした。  
朝鮮通信使は将軍の代替わりのたびにニホンにやってきてニホンの法制度などを持ち帰った、1771年は10代将軍家治の後になるです、しかもそれ以前の目安箱とは裁判の際に太鼓をたたくということを今風に解釈したもののようです。
https://www.epeople.go.kr/
 
もひとつ、アメリカ大使館などが国有地にあってその賃貸料を滞納しているという意見が出たことがあります、その額2500億ウォンだそうですが それはノムタンの時代に出てきたお話なので現在はうやむやになっているんだとか
 
 
 
 
 
まとまりませんでした。 ほんとは大使館宿舎の前は何だったのかを載せたかったんですがまたそれは別の機会にね