minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

風水に回帰するソウル

 
 

南山2号トンネル気勢に売上落ちる...塔積み上げて「厄除け」した新羅ホテル
 
土地が病気例えば風水水で守る...これを別名「秘宝鎮圧風水」実際の効果かどうかはよく分からないが危機の時に素早く対処する指導者の徳目であることは明らか
 
ソウル奨忠洞新羅ホテル正門を入るとすぐ右側に素朴ながらも孤独な石塔かが立っている。素朴だとしたのはトップが壮大ことも洗練されたこともないからである。田舎の村の入口で見ることができる一般的な形式である。寂しいと言ったのは、通常、これらの石塔は、左右に一対に向かい合って​​立っているが、この塔は一人で立っているからである。どのような事情で、いつ、なぜ、誰が立てたのだろうか。風水学界の先輩で義兄(义兄)であるチェチャンジョ元ソウル大学教授が私に私的な席で聞かせてくれた話である。「2000年代初めの物語である。南山2号トンネルが2年間の補修工事の末に再開通した。...
 
 


 
韓国の風水ネタですが過去カキコの調べもので見た気がしたので全文を紹介するね
 
 
 
新羅ホテルの石塔
“南山(ナムサン)き損、山の神が怒ってホテル赤字”うわさ…塔積んで額焚く
リウム美術館は入口の底に祈願文書いた銅版敷いて
 
 
イメージ 1[ソウルミーナ]韓国の代表的高級ホテルであるソウル、新羅ホテルには‘裨補塔’と呼ばれる石塔が一つある。 何気なく行き過ぎれば発見しにくいが目の明るい利用客は見たことがあるだろう。
 
査察の一柱門を連想させるホテル正門をすぎるやいなや右側に背を向ければすみに大人の背丈ほどの石塔が立っている。 山道でも過去の城隍堂でよく見ることができた石墓の形態だ。 ‘旅人のアンニョン’を始まった伝統的石墓がなぜ5つ☆級の高級ホテル入口に立っているのだろうか。
 
 
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発端は南山(ナムサン)2号トンネルだった。 新羅ホテルを正面へ向かっているこのトンネルは1971年開通した以後1977年再開通、2001年再再開通、2005年拡大開通などをたどりながら図体が大きくなった。
ところでとんでもないうわさができた。 “トンネルが拡大するたびにホテルには赤字ができたがその理由が南山(ナムサン)2号トンネルで邪気があふれ出るため”ということだった。 うわさはとんでもなかったが尻尾がかかっていた。 “ソウルを保護する山仁(サニン)、南山(ナムサン)を傷つけて山神が怒った”という信じようが信じまいが式の話が隠密にするが早く広がった。
 
 
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新羅ホテル正門入り口にたてた裨補塔、 石墓形態であるこの塔は山の神が怒ったという荒々しいうわさを寝かすために立てられた。
 
 
ホテル経営陣は苦悶に陥った。 だが、妙案を探せなくてそわそわしていた。 そのような経営陣に妙手を投げたことはサムスングループ高位層という。 この高位層は“ホテルに悪い気勢を止める‘裨補塔’を積んで民心を落ち着かせなさい”というアイディアを出したと分かった。
単純な石塔だったが効果は満点だった。 動揺した人々は速い速度で安定を取り戻した。 今は石塔の存在まで記憶の中に消えていきつつある。
 
 
類似の事例はまたある。 ソウル、漢南洞(ハンナムドン)にあるサムスン リウム美術館だ. この美術館正門入口底には銅版が一つ敷かれている。 この銅版やはりうっかり行き過ぎやすい。 だが注視すれば次に同じ句が刻んでいる。
‘私たちは大地母神の恵慮に力づけられて文化暢達のために美術館をたてました。 その意を感心して感じてこのことに参加したし今後参加するみんなに喜びを下ろしてください。’
現代的養殖のリウムミスルグァンに‘大地(敷地)謀臣’に向かった祈願文がなぜあるのだろうか。 南山(ナムサン)裾に位置したこの美術館は2004年10月ドアを開けた。 約4年6ヶ月前のことだ。 だが、工事にかかった時間はそれ(彼)よりはるかに長い間である12年が必要とされた。 展示面積だけ4297㎡(1300坪)で社説美術館では国内最大規模だ。 工事は容易ではなかった。 工期が長くかかって“南山(ナムサン)をひどすぎるように傷つけることではないのか”という指摘と共に人夫の間で“神霊を怒るようにしてはいけない”という憂慮が出てきた。
 
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▲工事期間12年、展示面積だけ429.7㎡(130坪)の‘リウム美術館’. 入口には大地(敷地)謀臣に向かった祈願が入れられた銅版が置かれている。

サムスングループをよく分かるある要人は“この銅版を設置したところはこのような背景があった”と話した。  “工事を担当した人夫らと一般の人たちの心配をなだめるための一種の世論宥和用”ということだ。 “とにかく銅版を設置した後で憂慮の声は減った”とする。 銅版に書かれた祈願文により山神の怒りが解けたことだろうか。

風水専門家の話
“風水はすべてのことが自然そのまま一時作った過去の理論であるだけ
私気に入る場所選んで満足して生きればそちらが明堂”
私たちは人工衛星を撃って宇宙旅行を話す時代に住んでいる。 だが、周辺にはまだ風水地理の跡があちこちに残っている。 香港では風水街の一言に住居価格が揺れ動いて株価がもがいたりもする。 風水は果たして説得力がある理論であろうか。
最初事例で上げた春川(チュンチョン)のJゴルフ場は本当に‘金亀入水形’という(のは)明堂であろうか。 このゴルフ場に対して風水地理がチェ・チャンジョ前ソウル大教授は“航空写真を見れば付近の地形が‘亀が水を飲みに行く’形態を帯びている”として“風水理論によればこのような土地に家を建てれば財物が増えて子孫が繁盛するという”と話した。
 
チェ前教授は、“だが、それは自然が本来の状態を維持している時作られた過去の理論”と付け加えた。 “今日のように開発と保守が日常的になされる現実で1000年前の理論をむやみに信奉するのは問題がある”ということだ。
チェ前教授は“(Jゴルフ場建設)当時不安に思った人夫があったし彼らの不安感をなだめるために‘上(胃)指令費’をたてたことであるだけ”としながら“気に入る場所を選んで家や事務室を作って自ら満足して暮らせるならばそちらがすぐに明堂”と話した。
二番目例にあげた‘ソウル、嘉会洞(カフェドン)177-○番地’は明堂であろうか欠点党であろうか。 風水がキム・ソンス(75)さんはこの場所に対して“気勢が集まらないで散る所”としながら“アパートとは違い個人住宅には一般的に門を一つだけ出した方が良いが門を二つで出したので気勢がさらに散ることになった”と話した。
キム・トゥギュ又石(ウソク)大教授(風水学)はチョン・ドジョンの家の跡地に対して“地気が一つになる所でなく流れる所”と評した。 風水理論上“気勢が流れる所ははやく栄えてはやく滅びる属性がある”ということだ。 キム・ソンスさんは国税庁本庁に対して“そばに付属建物(国税博物館)がかかっていて‘私助けてほしい’で哀願する局面”としながら“紫霞門(チャハムン)トンネルをすぎてきた風を濾過なしに合う席にあるので数年周期で非難が繰り返されることができる”と話した。
だが、チェ・チャンジョ前ソウル大教授は“風水地理は常識的に考えれば良いことなのに一部風水家が神秘主義的に追い込む傾向がある”として“そんなことにしばられるのは望ましくない”と指摘した。
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
 
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