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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

弥勒寺址石塔の不良の復元に対する補償な




あの弥勒寺址石塔の復元をめぐり謝罪と賠償 キタコレ

弥勒寺址石塔が公開されると、復元が論議に包まれ衝撃を与えている。


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[ソウルミーナ]全羅北道益山の良い政治市民ネットは22日、声明を通じて文化財庁に弥勒寺址石塔の不良の復元に対する責任と共に石塔に対するイメージ低下、全羅北道道民と益山市民の精神的衝撃に対する補償を求めた。

良い政治市民ネットは "弥勒寺址石塔が原形どおり復元されておらず、構造計算などを経た実測設計図書なしに築かれたという監査院の発表は衝撃的な事件” と判断した。

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さらに、"文化財庁の釈明は言い訳で説得力がない"、"1998年から20年にわたった解体と復元過程を経て、来たる4月に竣工式を控えた時点で不良復元議論に巻き込まれるようになったのは嘆かわしいこと" と糾弾した。

先立って監査院は21日、'国家指定文化財補修復元事業推進実態監査報告書' で国立文化財研究所が石塔を解体した後、原形のまま再現する積み方を検討せず、その場その時の石積み方式を変えており、構造安定性を計算していないものと調査されたと明らかにした。

これと関連し、文化財庁は "設計変更の際、国立文化財研究所で設計変更図書に準ずる図面を作成して施工しこれまでは構造安定性に問題がない" とし "今後、監査院が提起した構造的安全点検などを進めていく" と答えた。


(ソウル/みそっち)





これわね、まず跡形も無かった東塔を1992年に歴史的真正性よりも想像と妄想を重視して復元したのです。キレイで立派なのが出来たわけですよ。コンクリート製の基礎に花崗岩を飾りに使って鉄筋の入ったのはまるで ”昭和大阪城” のような復元でしたが、当時の韓国文化財庁は唯一の遺構である ”西塔” が気に入らなかったのです。
崩れた部分をそのままにして崩落が進まないようにコンクリートで固めた文化財保護ということが理解されなかったんですね。


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▲1993年にゼロから復元された東塔
中まで自由に見学ができるようになってる


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日帝時代にコンクリートで補修された西側の石塔とその想像図
あたりに散乱していた石材もいつかのために積んでおいたのに

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その一方で日帝が100年前にコンクリートで補強工事をしておいた半壊状態だった西塔も、そのままじゃヤダってことで同じく新築しようとしたのですが、そのころユネスコ世界遺産認定もあって想像で復元することができなくなって、認定時点の様子を復元するという訳の分からないことになったのです。(何を復元?)

認定時ってことは半壊状態6層ですね。

そいうことで、日帝製コンクリート補強仕様がユネスコ世界遺産ということなのです。それ以上でもそれ以下でもなくてコンクリート補強まで世界遺産なんですね。 韓国人はそれが気に入りませんから何が何でも復元すると息巻いたんです。


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コンクリートを取り除いたのは上手く行きました。ところが番号を付けて崩した石材が分かんなくなっちゃったり、想像が入っちゃったりして混乱したのです。日帝時代の半壊保存状態よりも、起き上がった状態にするか揉めたりしたんですね。

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解体してみたら中心の石積みが傾いていることが分かったのです、そうなると9層の屋根の段々がどうやらあやしい気がしてきて、日帝時代の資料を再検討して、まぁよくやったと思いますよ。韓国の文化財復元にありがちな現場での不正もあったし、完成した後の補償問題まで出てきたんですからね。

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4層部分の作業中のようす



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そんなに飲んじゃいませんよ、何となくなんだか