大統領のための文化財復元…さんたんな結末
伝統も無く政治に踏まれて…満身創痍崇礼門復元事業
浅葱色の上着に青いスカート姿の朴大統領は就任式の時よりもっと明るい微笑を洩らしながら、"大韓民国の顔である崇礼門が国民の懐に戻ってくる感激の瞬間を国民とともに合うようになってうれしい"、"崇礼門の復活と私たち民族の誇りを蘇らせ、新たな希望の扉、新しい時代の扉が開かれる"と祝辞を述べた。
そして夏一物心を執り行なって秋を迎えた去る 10月崇礼門が ‘病んで’ いることが発見された。
崇礼門の垂木を輝かしてくれる丹青がはげて落ちた(剥落), 瓦が変色されたと言って, 樓閣柱が割れて裂けて行ったという悲報が飛んで入った。
崇礼門が早く寝こむせいでもっと大きい狼狽を避けたのがそれさえも幸いだった. 今年の年末に政府は復元に参加した人々に勲・褒賞を与える予定だった。対象者選抜と功績の調査を終えた状態で不実復元の実際が現われたのだ. 勲・褒賞授与後この事態にあったらもっと大きい騒動がおこったはずだ。
今度の事態は私たちの文化財管理·運営水準を赤裸裸に見せてくれる断面だ。国民と政府は文化財を重視しなければならないという ‘原則’だけ分かったの, その原則を守ろうとすれば何をどうすれば良いのか分からなくてどぎまぎしているというのが現われた. ここに ‘文化財政治学’も介入した.
崇礼門非実復元は一言、”伝統に忠実であり見た目も良くする”と指示が出たことから始まった。
火事発生から三ヵ月後の2008年5月に文化財庁は”崇礼門復旧計画”を発表し重要無形文化財保持者などの技術者が参加して伝統技法と道具を使って修復すると言う原則を立てた、しかしこれらの伝統技法はそのすべてがその場でとりつけられたことだった。
最初に丹青のはなしをしよう 朝鮮時代の丹青彩色は伝統顔料と接着剤を使用する、接着剤は丹青の色をつけるのに使われた、伝統顔料は自然から作られたものばかりではない 朝鮮時代にも化学的手法が用いられた
火事発生から三ヵ月後の2008年5月に文化財庁は”崇礼門復旧計画”を発表し重要無形文化財保持者などの技術者が参加して伝統技法と道具を使って修復すると言う原則を立てた、しかしこれらの伝統技法はそのすべてがその場でとりつけられたことだった。
最初に丹青のはなしをしよう 朝鮮時代の丹青彩色は伝統顔料と接着剤を使用する、接着剤は丹青の色をつけるのに使われた、伝統顔料は自然から作られたものばかりではない 朝鮮時代にも化学的手法が用いられた
朝鮮時代にも化学顔料使って
崇礼門の垂木に塗られたピンク色の丹青の剥落が目立つがこれは硫黄と鉛を混ぜることから生じるものだ、このように化学的につくられた顔料も伝統顔料だと言える。 化学顔料の歴史はふるくからあり1901年、朝鮮時代には徳寿宮の再建工事のさいに西洋の化学顔料とされるアングロック・洋青を購入したという記録が残っている。それから数年後に朝鮮は日帝の植民地になってさらに多くの記録が残されているがそれ以前の記録はほとんど残っていない。
その時には丹青を付けるために接着剤を使ったが伝統的手法がわからない段階での作業は困難をきわめたし結局それらの再現作業もいい加減なものとなってしまった。
政府は韓国科学研究院にその代替となる技法を探すように命じ天然接着剤のかわりに合成樹脂で化学顔料を付ける手法が開発された(1972年)この方法で1973年の崇礼門改修が行なわれた。
しかし文化財庁は今回の崇礼門復元にこの慣例を壊した、重要無形文化財者を最高位に据え修復すると宣言し洪さんがその地位についた。
文化財庁はこの復元工事をまるごと洪さんをはじめとする重要無形文化財者に投げ渡す代償として崇礼門再建の栄誉を与えたのだった。
文化財庁はこの復元工事をまるごと洪さんをはじめとする重要無形文化財者に投げ渡す代償として崇礼門再建の栄誉を与えたのだった。
▲天然顔料はその多くが岩石からつくられる、色とりどりだがなめてみても味はしないらしい。
その文化財庁が今度は洪さんに天然顔料で丹青彩色をしなさいと注文したことから仕事が狂い始めた。
彼によれば、”国内には天然顔料の伝統が無かったし、その施工経験も無かった。それならニホンまで行って調べなさいと”
ニホンは国宝や文化財の修復についてはるかに先進国だ、技術者も多くその社会的地位もきわめて高いから良い仕事をする、結局ニホンまで行って手に入ったのは韓国では作ることの出来ない天然顔料だけだった。
彼によれば、”国内には天然顔料の伝統が無かったし、その施工経験も無かった。それならニホンまで行って調べなさいと”
ニホンは国宝や文化財の修復についてはるかに先進国だ、技術者も多くその社会的地位もきわめて高いから良い仕事をする、結局ニホンまで行って手に入ったのは韓国では作ることの出来ない天然顔料だけだった。
2010年、洪昌原さんはニホン産天然顔料を購入してきた、そこに一部言論から”国宝1号にニホン産丹青を使う”ということが知られると文化財関連の市民団体が真っ先に中傷攻撃に出たりもした。 しかし天然顔料を求めるとすれば方法は他になくそれでも再現できない色には伝統顔料技法を探してみるしかなかった。
問題はほかにもあった 接着剤につかうものが見つからなかったのだ。
1970年代にはソウルにも螺鈿工場があった、洪氏は幼い頃の記憶を頼りに螺鈿細工につかうその接着剤を探した、すると今度は文化財庁が”それは伝統的丹青彩色の技法に使われるものではなく近代の接着剤だからダメだ”ということになった、
結局 500年前にもあったであろう”玉子の白身”をつかう方法でやってみることにしたが丹青がよく付かなかった、多くの試行錯誤の結果”4回塗る”ことで問題を解決した、しかしこれは紙への彩色に使われる技法であり雨風にも当たる外部に使うのは初めてだったこともあってどれだけの期間丹青が剥がれずに保持されるのかは未知数だという。
結局 500年前にもあったであろう”玉子の白身”をつかう方法でやってみることにしたが丹青がよく付かなかった、多くの試行錯誤の結果”4回塗る”ことで問題を解決した、しかしこれは紙への彩色に使われる技法であり雨風にも当たる外部に使うのは初めてだったこともあってどれだけの期間丹青が剥がれずに保持されるのかは未知数だという。
(翻訳:みそっち)
アノ国の文化財庁っていうのが利権がらみで良いお仕事をするので現場にはお金が回らなかったとか そいうことかな、この東亞日報はずいぶんと丹青係りの洪さんががんばったように書いてますが韓国日報とかでは”国産材料の1/10で買えるニホン産顔料を使用して剥がれた”ということになっています
今回よくわかったことは40年前の1973年に崇礼門塗りなおしが行なわれたときにはすでに伝統的技法が無くなっていて、”化学顔料”を使ったことから韓国型伝統修復技法が作り出されて、今回の工事では根も葉も無いところからそれより前の伝統的技術で再建するんだという指令が飛んでいったというところかな。
このあと木材編・石垣編・瓦編と続きます たぶん