minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

20代が一番かわいそうだというあっちの文

 
 
 
 
あっちの掲示板で”どの世代が一番可哀想であるか?”というのが盛り上がっていたのでいくつか紹介するね。
 
 


 
40代を生きていっている立場で40代が一番かわいそうな世代だと愚痴ちょっとならべたが.. 決して少なくない方々がそうじゃなくて、今の20代のほうが一番大変で哀れではないかとおっしゃるのを見て今の40代と20代を短いけれど比較ほどほどにして差し上げるから参考になったら本当によいのではないかと思います。
もちろん100%誰もがみなそうしたことではなくて現在20代の難しい状況やはり十分に知って理解するという前提を敷いてですけどね。
40代:麦5米5,麦7米3の比率などいわゆる食べること刺々しい麦ご飯が大勢であり100%白い米の飯は誕生日の時も食べることができました。 時にはそのありふれているキムチ一つなくただ醤油下や置いてご飯を食べたりもしましたし。
※韓国の40代っていうとソウルオリンピックの頃に高校生くらいかな?、韓国のコメの自給率が100%になったのが1990年代になってからでしたから麦ごはんは一般的に食べられていたようです、ニホンからのキーセン観光で韓国が人気だった頃の話を聞くとソウルではビールばっかり飲んでいて食べ物は本当に貧しかったというお話をよく聞くことがあります、ニホン人相手にお仕事をしたあと残った料理をまとめて持ち帰って弟を大学に行かせるというのが本当にあったじだいらしいですね。
 
20代:過剰栄養摂取が心配になるほどあまりにもよく食べて服も不自由ないなど豊かに大きくなかったんですか?
 
※まぁそうでしょうね

40代:ひと家庭当たり3人~ 5人家族が基本で、時にはそれ以上の子供を持つ家庭がありふれていた関係でただ長男に全てのものを注ぎ込んだ時期でした。 それで長男に生まれることができなければ大学進学は夢でしかありませんでした。
 
※いったい何時の時代の話なのかというとほんの25年くらい前のことでしょう、お家の間取りは2DKが主体の1980年代につくられた高層アパートがソウルの住人の憧れの住まいでした、25年後の今となっては老朽化して立替えの時期になっていますがお金がないので取り壊しもできないままスゴイことになってるところもあります。
 

20代:子供は基本的に1人で多くても2人~ 3人の子供を持つ家庭が大部分でほとんど皆が大学進学をしています。
 
※まぁそうでしょうね

40代:こん棒洗礼を全く恐れをなさないなど現実政治参加に非常に積極的でした。
※いわゆる学生運動みたいなのがあったわけです、1980年が光州民主化運動ですね、前年には先代の朴大統領が射殺されて全斗煥大統領の物騒な時代ですよ。
 
20代:祭りの時芸能人でもくれば途方もない情報収集力を自慢するが、実際の現実政治だと参加はちょっと皆が背を向けてしまいます。
※まぁそうでしょうね
 
40代:ご両親と先生は勿論で時には町内の大人たちにまで叩かれて大きくなったです。
 
※自分ちの両親のことをご両親って言うんですよね、しかもそれを子供に強要するんです、学校でも先生さまですからね、そんな文化は朝鮮時代には無かったのに
20代:いくつかの特異な両親や先生を除いて叩くというそれ自体を分からないでしょう。
 
※今でもそうじゃないんですか? あぁ訴えられちゃうのかなぁ
 
40代:大学進学をした長男を抜いて皆がみな早く会社や工場に就職したしいわゆる早飯食いというものまでご飯を食べるようにしました。
※わかんない
 
20代:現実が難しくても難しいことは絶対しません。
 
※そうでしょうね

40代:タバコを吸いながらも大人たちがやってくれば隠れたり逃げるのに忙しかったです。
 
※ふぅ~~ん

20代:大人たちが過ぎ去ろうがしまいが全く関係しないでスパスパ吸いまくるのも不足して過ぎ行く大人たちが指摘でもすれば二つの目丸く浮かび上がってちょうど立ち向かいます。
 
※この間タバコ少年に注意してひっぱたかれた大人がいたそうです
 
40代:私より私たちを先に考えました。
20代:私が一番優先です。
※ふぅ~~ん
 
40代:保証金100万ウォンに家賃10万ウォンの煉炭ボイラー一部屋でも幸せな新婚生活を送りました。
 
※これは今時の極貧生活と同じ金額な家賃ですね

20代:いっそ一人で暮らしてしまうがそんなにじめじめ(?)するように絶対住めません!!


皆さん..どうですか.. それでも今の20代が一番大変でかわいそうな数えまくって自信があるようにおっしゃれるのですか?? いくら歳月が流れて時代が変わったとしても今の20代が40代より生きるのがズボズボとして断言できるかもう一度さらに訊ねたいですね。
 
※ズボズボ? バタバタっていう感じかな?
 
 
 


 
20代世代の問題は大きく5種類だと見ます。
 
1.私教育
2.大学学費
3.就職
4.結婚
5.住宅
 
1.私教育
私は私たちの社会が指向しなければならない方向のうちで最も重要なのが機会の均等だと考えます。塾も課外勉強なしで一人で熱心にだけ勉強をすれば良い大学行くことができました。
 
今はどうなのですか? 金持ちの家の子弟は途方もない私教育を通じて不足した公教育を補完できます。お金のない家の子弟は私教育費はおろか大学登録料心配をしなければなりません。
 
私は40代ですが私達の時の公立は70万ウォン、私立は200万ウォン程度の登録料を出したから、休みの時アルバイトだけ熱心にしても一学期学費を儲けることもできました。 もちろん2汁3汁本当に熱心に走らなければなりません。
 
※お金は安かったということかなぁ、当時の学生のアルバイトといえば韓国ではデパートの品出しとか洗車とか、あとガテン系だそうです。
 
今ではアルバイトで学費を儲けるということは想像することもできませんよね。
 
現在の私教育の現実を見れば見苦しい姿です。小学校に入学してもハングルを教えないですよ。 幼稚園や私教育を通じてハングルを皆学んで来るといいますね。
私教育なしで一人で熱心にして習うことができるのではなく最初から教えないために私教育を受けないことがないというのです。 このように中、高等学校時期を経ることになって大学に入学する時期になれば学費を心配しなければなりません。
※学校の勉強だけでは差別化が出来ないってことはわかります、塾にいくのは不安神経症だからだという分析もあります。(他人がいくからウリも行くという韓国型心理だという意見もあります。
 
 
2.大学学費
学期当たり平均400万ウォン以上に沸き上がってきましたよ。 それでも教育の質が高くなったかというとそれでもないようです。
そのまま上げたということです。 全般的な社会の雰囲気が大学を卒業しなければならないとされていると需要はいつもあって大学の立場では上げても需要があるとそのまま毎年着実に登録料を引き上げたのです。
学費が上がっただけ教育の質が高まって専門性が高まって就職もうまくいくべきなのにかえって反対でしょう。
 
多くの学生たちが学資金融資を受けて学費を解決するのに学資金融資の利率は低い水準ではありません。金融機関は信用貸し出しなので利子を低くするのが容易でありません。 リスクぐらいの費用が含まれてやるためでしょう。 それでも政府では見られなかったふりをしています。
 
※歴代の大統領が授業料についていろいろしてきましたが”卒業してからの返済開始”+”借りやすい安直な審査”ということが一般化して債務不良者量産システムになっていますね。
 

3.就職
高度成長をした時期には4年制大学だけ卒業しても就職になる時期がありましたよ。当時にはSKY大学には国内有数の大企業がバスを送って優秀な人材を確保するために会社に招いて会社広報をして分厚いプレゼントまで与えて送ったりしました。この頃はSKY大学を卒業しても大企業入社が侮れないです。
 
※SKY大学っていうのはソウル大学校(S)高麗大学校(K)延世大学校(Y)ですよ、そういうところもありがたみは無いみたいですね

まあまあな4年制大学を卒業してもインターン社員で勤務をしなければならなくて低いだけ低くなった中小企業に就職して学資金融資を何年もかけて償還しなければなりません。就職をして積立金の返済入った時期は本当に大変ですよ。
男子学生基準として大学卒業して軍隊除隊してインターン社員終えて正規社員になれば年齢が20後半からさらには30代序盤になっています。お金が貯まるわけがないですね。
 
4.結婚
最近ではソムという新造語ができましたよ。
交際をすることでもなくて男女がそのまま会う文化が一般的だったんですよ。 なぜ会うかは分からないですが..
 
結婚文化は腐るだけ腐って男女が準備しなければならない結婚資金が住宅費用を除いても数千万ウォンに達します。年齢三十前後に今まさに学資金融資返すべきなのに数千万ウォンの結婚資金がどこにありますか..
 
会社員の方々よくご存じだが1年に一千万ウォン集めることが容易ですか難しいですか?
 
30代中盤に運良く結婚資金数千万ウォンを集めたとしてもどこに住むでしょう?
 
※お金の返済時期がそこにあるから韓国が停滞しているんですね。
 


 
生まれたところはソウル城北洞、5歳の頃に父事業の失敗として慶尚北道風紀で中2まで暮らしました小学生と中坊時は勉強しました田舎での暮らしが全部でも学校へ行って来ればソコルば刈りに行きジャガイモ掘ってサツマイモ植えて木とそして友達と遊んだりしながら暮らす中2の時、またソウル暮らし始まりました。
中2だから81年のときにソウルに私の家が200万ウォン持って入ってからまた始めました
私は全斗煥が私教育廃止してオンノムや全部学院行かないで勉強してどんぐりの背くらべだったでしょそれでもない家で食べていけるためには、技術がいなければならないので中3の時に、とても沢山悩んで未来は電子時代だと思って工業高校電子科に入って技術資格証取って卒業前に無線機研究所シダバルイに入り、大苦労しながらやっと大学夜間に入学させておいて軍隊行ってきて夜間大学に通って証券会社電算室OP業務しながらキャリアを積み、金融産業の方に進出して小さなまとまったお金貯め投資して家買って今では銀行から融資もなしにどうにか暮らしています
パソコン、アップルIIから始めて286 386ペンティアムまであまねく経験して携帯カーホンからモトローラアナログCDMA、今日のLTEやら経験して地図見て運転する今日のTMAPなどを利用しやすに生きる一世代本当に祝福を受けた世代ではないですか
40代がかわいそうだと相談文を書いた方のようにかわいそうだ考えを飲んで4世代が、一番気楽だ考えてくださいね
私たちの世代より6.25世代がもっと難しくてその前日本の植民支配時代はもっと大変、今日の20代30代は景気低迷で、もっとドゥウク難しいことです
もう事業してから13年年もなるのに今年ほど売り上げが停滞した年もなかったです、この程度の内需景気が死んだら、今年、大手企業の新入はさらに狭き門になるでしょう
私は私たちの世代は祝福を受けた世代だと思います、工業高校電子科卒業し、産業体特恵でやっと夜間大学を出て証券会社、信用情報、通信会社などを歴任し、多くの経験で今は事業を行っているが、高校と大学の時によく選択した電子工学によって事業をしなくても食べていける自信はあります
どんなに難しくてもじっくり考えて、未来に備えたら誰でも最小限の幸福はヌリスいる時代が今じゃないですか、ただ、成績によって学校選択学科選択して適性にも合わない仕事をして暮らしが厳しくなるでしょう。
私が生きてきながら感じたんですが、人生は一つの井戸のみを販売するんじゃなくて、あまねく広く多くの経験は自己インセンルル太りにさせるようです。私の友達の中でヘッドハンターがいて必要とする人材は年俸1億を準備しても探しにくい、不要な人材は散らばったそうです
それが今の世の中です
自分自身を必要な人材にすればこの世の暮らしは幸せになります
勉強が人生の答えはなかったですよ生きてみたら
 
※ふぅ~~ん 地味な生活をしているひともいるってことですね
 
 
 
(翻訳・つぶやき:みそっち)
 


 
1980年代というと韓国の新聞から漢字が消えた頃だそうです。読み書きがハングルになったけど頭の中では漢字で変換していた頃までは暮らしやすかったと言えるかもしれませんね。
 
 
 
 
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あっちの40代って子供のころに日本海って習ってた世代とか?