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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国人の体面のための社会心理学的な分析

 
 
どのようにして韓国人は作られるのか
 
東亜日報社が1990年度年間企画シリーズで連載していたことを本につづった韓国人診断(1991)という分析がある、その中の体面にかかわる記事が三編載っている。一つは、「呼称インフレがひどい」、もう一つは「自己誇示が過ぎる」、そして「表と裏が違う」である。これらの三本の記事では、一般的に、現代の一般的な社会で観察することができる事件や現象を中心に韓国人と韓国社会を診断しながら、各記事の入江での専門家の総合的な見解を介して自分たちの観察を補強する形をとってある。
まず呼称インフレーションと関連して韓国人は相手を呼ぶときに敬語を過度に、過剰に使用するものである。ここで、これらの敬称乱用現象についてキム·グァンシク教授は「身分や職業のコンプレックスがひどい人が敬称を聞くことによって、心理的に報われる "という説明をしており、チェジョンゴ教授は「韓国人の地位指向性が敬称過剰現象を生んでいる」と解釈している。
かつて韓国語敬語体系を研究した外国人Howell(1967)も韓国人の敬語使用の心理を地位(status)と結束(solidarity)という社会的要因で説明している。
「自己誇示行き過ぎ」は、いわゆる韓国人の外国ブランドを好む行動と身分地位を誇示する行動の実例を介して韓国人の自己誇示行動を説明している。前述の敬称過剰現象は、相手の地位を誇示的に高めてくれて確認してやろうという動機で示された行動であれば、自己誇示行動は、文字通り自分の地位と権威を高めようとする動機から始まった行動と見ることができる。
「表と裏が異なっている」というのは韓国人の会話や行動でよく発見されている「挨拶性」、「礼儀性」会話や行動を実例で挙げ表裏の浮動を韓国人の特性に捉えている。これに対してハン·サンジン教授は韓国人が自分自身を正直にさらすより顔色をうかがって体面を重視し、外的に名分に執着する韓国の伝統文化で、その淵源を向けている。しかし、キム·ヨンウン教授は表裏が異なるのは、韓国人よりもむしろ日本人に高く表示されると主張している。つまり、日本人は「本音」と「建前」(他人にお世辞をすること)を徹底的に区別して使用し、そのため、日本人は表違っ中、他の面を見られると指摘している。
※建前は相手の名分と名誉を高めることに重点を置いた社会的意識が強いのに対し、体面は他人よりも自分の権威と名分を誇示するためのものである。
 
韓国人が体面を西洋人に比べて重要視するということは、これらの専門の論理と観察がなくても日常生活の中で日常茶飯事にその実例を見つけることができる。家を作るものの鯨などのような家を作って、門は貴族の門でなければ英国のウインザー宮の門のように大きくて、経済性より高価格車を好んで、挙動は高い地位の人物がする挙動様式を好んで、食べ物は食べて残るほどたくさんさせて地位経済的上層性を暗示して、衣服は自らの経済的身分にあふれる外国製や高価品を好むという現象に対して一般人皆がほとんど認めて、このような現象を体面指向現象だと認識している。しかし、このような国民の共感を持つ韓国人の体面のための理論的または詳細な研究はまだ見当たらない。 
 
 
韓国型単一行動様式についてはこれまでにも多くの研究がなされており韓国人特有の行動様式として広く知られている。 ところが現代の韓国人に多く見られるこうした行動様式がいつの時代に始まったものなのかというと思いのほか資料が残っていない。大胆な仮説ですが”両斑身分が人口比で5%程度だった朝鮮前期には現代に通じる韓国型行動は無かった”と見る研究結果もある。
当時の文盲率や教育水準からみても文字もかけず日常会話でさえ齟齬の多い不自由な言葉を使っていた庶民階級が単一行動をとるということは理解できないからである。 朝鮮ではその後、両斑身分の売買が盛んに行われ朝鮮末期には奴婢身分者が人口比で20%ほどに減少している、その間に身分帳を買ったことで出自の糊塗してきた朝鮮人は文明開化を迎えるとそれまでの文化習慣をそのままにさらに進化したのだと考えられる。ここで重要なのは古くから両斑身分であった王族や金持ちなどは比較的穏やかに開国という意味を考え中国の属国としての呪縛から解き放たれることを受け入れてきたがそれまでの500年もの間”甘い生活”とは無縁だった”新両斑”身分者にとっては旧態依然とした身分社会こそが理想社会であり封建的身分制度がいつまでも続くことを願って各地で小規模な一揆を起こしたりしている。
本来なら両斑身分は一揆などを取り締まる側ではあるが身分を偽った”新両斑”が一揆の中心になったことをみると朝鮮末期の運動家がどれも揃って両斑出身だとしているにもかかわらず彼ら本来の高級公務員として守るべきであった税収をなぜか引き下げという要求している噴飯物な行動からも見て取れる。つまり彼らはどれもがニセモノの系図を手に入れた偽物だったという事にほかならない。
朝鮮末期に朝鮮と交渉したニホン政府はちょんまげをしていないから正使とは認められないとかニホンとの対等な条約は認めたくないといった非常に分かりやすい前時代的な対応で交渉が先送りになったりしていた。今思えばその頃の朝鮮の大臣や役人の対応こそが両斑のあるべき姿でありその後の中国ロシアを含めた朝鮮の右往左往する政治的行動も当時の”朝鮮型思考”だったと見れば極めて前時代的とは言え理解できないこともない行動様式だと言える。
 
韓国人と議論が成り立たない理由とは?
両班は水に落ちても犬かきはしない」ということわざが慣習の本質を理解するのに良い示唆を与える。このことわざの裏面には常民や庶民は水に落ちると犬かきができるという示唆がある。同様のことわざに「冷水は歯にしみる 」ということわざがある。前者のことわざは、高品格の社会的地位を持っている人は、どんなに困難な状況にあっても、自分の品格や身分を下げたり、または害する行動しないという点を強調する一方、後者のことわざは他人に高い社会的身分の人が取る行動を偽りにして見せることで自身の社会的身分位置を高めようとする行動様式をいう。
 
前者のことわざと関連してみると、体面を立てる体面距離がある人、つまり他人に誇れる社会的または個人的な身分を持つ人に適用される社会的行動様式に、そのような行動には格式があり、また、そのような格式は外に見えるという点である。
後者のことわざと関連すると体面格式を外に表わして見せることで、自分の身分を高めようとする動機が事実を糊塗するほど強く作用していることを示している。
 
これらのことわざの心理学的分析に加え、体面維持的な人間関係の状況の実験を介して明らかになった研究の結果を要約すると次の通りである。ここでの実験は、教授と学生の人間関係的な相互作用の状況を造成して、実際に表示される「相手の体面を立てる」行動を記録して分析した。
①体面は文字通り体の外側面をいう、したがって、他人が私をどのように評価するかによって、体面は高くなることも低くなることもある。しかし、プライドは、他人が私をどのように評価するかの問題よりも、自分自身の自己判断に基づく自己評価に影響を受ける。したがって、体面は外から照らされた外的自尊心とすれば、自尊心は中映し出された内的体面と見ることができる。
 
②面目は誰にでも重要な現象ではない。打ち出す体面の距離がある、つまり、家柄や威信、身分、家などの社会的地位を持っている人にとって重要な関心事であり、行動の格式となるが打ち出す体面の距離があまりない、つまり社会や個人の身分が低い人には重要な関心事ではない。しかし、これといった体面の距離があまりない人にもプライドはある可能性がある。
※韓国人には体面はあるが面目は無いということから家柄や身分などが後から付け足された俄両班が韓国人の正体であるということ
 
③体面には、その地位と身分に合う行動の格式が現在の詩的または潜在的に規定されている。これらの格式に合わない行動を打ち出す体面距離がある人、つまり社会的身分の高い人がするようになるとき、その人の行動は、その人の体面を下げる貢献する。したがって、身分の高い人は、その身分に応じた行動を社会から要求されると見ることができる。
 
④面子は自分を構える体面と皆を立てる体面がある。通常の「体面に気にせずに多く食べなさい」という言葉は、自分でセットする体面を指し、「私の体面ちょっと立ててあげなさい」という言葉の中には、本人、相手、第三者三者の関係の中で、相手が自分を身分の高い人と扱われてことで第3者に本人を高い人に感じさせてくれる、つまり、体面の距離がある人に感じさせてくれる形をいう。このとき体面の距離を相手がそのまま尊重して体面を立てる場合があると体面の距離をあまり神通しないように考えている状況下で、相手の体面を立てる場合がある。前者を「体面守るため」と称している場合、後者を「体面」と呼ぶことができる。
 
⑤体面を整える方法は、自分の身分を示すか、または暗示する行動格式を外に自分でやって見せることで、相手に自分達のアイデンティティを気づかせるものであり、人との関係や、第三者との関係で体面を立てる方法は、相手の社会的身分を暗示する行動をして見せたり、身分を示す記号を慣習当事者と連携させることにより(例えば、「大企業の社長として、少なくともBMWは乗らなきゃね」という言葉は、当事者にしてくれること、本人はもちろん、第三者に身分の高い人とはことを示唆している場合)、当事者の体面を保つか、または立てる方法を使用する。
 
⑥体面は「顔面」または「顔」の概念との違いがある。他人に利益を受け、その恵み報いで彼満たない報酬をするときに隣の人が「猫もマグカップを持っていどのように弱小な報酬をすることができますか」と言う場合がある。ここで「マグカップ」は、「顔面」を言って、恥や人の基本的な道理ができないことをいう。また、「顔の没収」という言葉がある。ここで顔面没収は相手との既存の関係や相手の期待を無視して、これに満たない行動をすることをいう。
  この文脈での顔面という概念は、対人関係での基本交換法則やエチケットをいう。こうしてみる顔は地位に関係なく、対人関係で、誰にでも必要とされている相互作用の基本法則に西洋からのfaceの概念に近い。欧米でfaceを守ってくれるの相互作用の法則は、 "politeness(親切)」であり、韓国で顔を守ってくれる方法は、「謙虚」である。もちろん謙遜の中に相手の地位を暗示する場合もある。
 
⑦体面が立てられれば、威信が立ち威信が立てられたとき、これを他人に誇示するといい気になれるという。一方、体面が落ちて体面を失った場合、他人に見下されるようになって気に死ぬことができる。また、体面を過度に気がつけば偽善と形式主義になって体面を過度にならない気がつけば体面が落ちる。したがって、体面は適当にしなければならない。
 
⑧体面は守らなければなられる人、守らなければならない状況で、さらに敏感に作用する。しかし、お互いが非常に近い関係で体面を過度に気がつけば距離感が生じる。
 
⑨日常生活の中で「体面」と「顔面」の用語は、混合されることもある。体面の意味で "顔面"を使用するときは、「社会的顔面 "を意味するもので、体面を指すものと見ることができる。
 
⑩体面は他人の意識的身分志向的な権威主義的社会で重要な現象であるのに対し、自己志向的平等志向的な個人主義アメリカの社会では、伝統的な韓国社会でより少ない重要である。アメリカの社会では、体面よりも内面がさらに重要な社会的交換の次元である。
 
 
(まとめ:2ちゃん番長)