minaQのつぶやき 네토미나

嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

韓国人の修学旅行の事実

 
 
 
修学旅行、安全が確認され再開されました
 
修学旅行再開?とんでもないわずか4%の学校だけが実施
 
 
イメージ 1[トラベルミーナ]セウォル号惨事後、しばらく中断された修学旅行が2学期から再開されたが、実際に参加する仁川市内の学校はほとんどないことが確認された。 
 
父兄たちが依然とした不安感を示しており、一層強化された修学旅行を実施する方針すら難しく、推進が難しいという理由だ。
仁川市教育庁は、計507つの仁川(インチョン)小・中・高校のうち、20あまりの学校だけが修学旅行の実行を決心したと24日明らかにした。
今月末から来月まで本格的な秋の修学旅行シーズンが始まるが、全体のうち4%だけが旅行を行く格好だ。学校は、父兄の同意を得る部分で暗礁に乗り上げている。
 
再開と同時に一層強化された現場学習の運営マニュアルによると、学生と父兄の80%が同意しなければならない。
しかし、セヲル号の恐怖から抜け出せずにいる保護者らが気軽に子供たちを送るのにはばかることだ。
特に今回の惨事が仁川近海で出発した船で発生し、一般人の仁川市民たちの犠牲も多数含まれたという点などが父兄たちの不安を持続する理由となっている。
このために修学旅行を行くことに決定した学校も、船では移動しないことにした。
以前のように済州島や、慶州(キョンジュ)などが修学旅行地として選択されたが、飛行機や団体バスを利用する計画だ。
修学旅行を行かない学校は教育部と仁川市教育庁が提示したマニュアルが過度に厳格で気難しい推進する考えを起こさせないているとも口をそろえた。
これからは、生徒50人当たり1人以上の安全教育を履修した安全要員が同行しなければならず、修学旅行に先立ち、一斉点検とコンサルティングを受けなければならない。
安全要員人件費を修学旅行費に含めたり、学校自体の運営費として支払わなければならない負担感と団体・教育などの日程づくりが修学旅行を取りやめるようにしたのだ。
大半の学校は、来年春にも修学旅行を実施する意思がないという。
ある学校の関係者は"学生たちが修学旅行を通じて持つ連帯感と体験活動の肯定的な効果を知っているが、今後しばらくの間は、修学旅行に行く条件になっていないようだ"と話した。
 
 
 
(翻訳:みそっち)
 


 
修学旅行っていうのはニホン統治時代以前には当然無かった行事なので日帝残滓”なわけですが朝鮮時代には人の往来が極端に規制されていたため宿屋というものが無かったそうです。ニホンが明治時代になり海の向こうの半島に出かけるようになったときに開港地だった釜山には日本人町ができたりしましたがそこから先に行くのにはとても不自由したようです。
そもそも朝鮮時代というついこの間のころまで朝鮮半島には”街道”というものが無くて道路が整備されていないという不便な国だった時代がずっと続いていたのでした。古くは加藤清正の時代でも朝鮮の地図はほんの僅かしか手がかりがなくて”漢城”(今のソウル)から平壌まで行くのにも道が無くて大変だったという記録があります。(けもの道を歩いたという記録があります)
江戸中期以降になると江戸っ子だったらお伊勢参りやら富士登山に大山(神奈川県ね)が人気でしたがそうしたことが一般化すると木賃宿や茶屋がたくさん出来てお出かけの”お楽しみ”もあったようです。いっぽうで朝鮮では”お楽しみ”はお出かけ先ではなくて近所にしかなかったそうですからそのまま近代になった国では宿屋というものも発達しなかったのですね。
そして今でも不便な事情はあまり変わっていません。韓国の修学旅行生がお泊りする場所は一応あるのですが普段から粗食に慣れさせられているせいかたべものがものすごいそうですよ。
 
※食べてるところの写真は公開禁止だそうです。
 
 
 
修学旅行の費用は父兄が出し学校がとりまとめ宿泊業者とバス運転手に支払われるがその一部は引率の教師が現金で受け取るという仕組み
 
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4月初めにしばらくインターネットを盛り上げた写真だ。
その内容は、修学旅行に行って食べた一食の食事を撮影して、インターネットに配布した写真だ。
筆者はあんな悪徳宿泊施設があるか、まだもあんなところがあるかという気がした。何、一部のないごく一部だけそう報じたして記憶から消したが
MBCの不満ゼロという番組で取材してみた結果
不良、献立の理由はない学校の校長及びその先生たちにあった。
学校で修学旅行経費に食事代を4000~5000ウォンに策定し、父兄たちに家庭通信文を送って文句なしに学生たちと父母らはその修学旅行費を学校に送った。
しかし、実際に生徒たちが修学旅行行って受けた一食の食事を金で計算してみると、1食あたり2200ウォンだった。では、残りはどこに使われたのか。? すぐその、その差額だけ余ったお金は宿泊業者から観光バスの運転手、宿泊費及び食事代の飲み代は学校の先生たちの宿泊代に入ったことだったし、あきれてものが言えないのは、校長や教頭に入る莫大な現金が出て宿泊業者が与えるのだった。
あ、筆者が修学旅行に行った20年前も今も一つ変わったことがない。
大韓民国なぜだ?~~~変わらない。
筆者が修学旅行を行って友達と通過する話を交わしながら先生はお金は一銭もかけないで来ることについてたくさんの友達が憤慨していた。お金を稼ぐ先生はどうしてタダ旅行をするのか理解できなかった。子供の頃と反抗というものも知らなかった純真な時代にも腹が出るぐらいだった
 
 
 
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宿屋から校長がバックマージンを受け取る
そんな旅行を企画する旅行業者が良い業者
 
 
 
 
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