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嫌韓(いやかん)ってホントはどうなの?

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ノーベル症の季節
 
 
イメージ 2[メンタルミーナ]1987年ノーベル賞受賞者が我が国で生まれた人だと? 事実だ。 釜山(プサン)で生まれた'釜山(プサン)男子′が、この年にノーベル化学賞を受けたのだ。
 
イメージ 1韓国'出身'ノーベル化学賞受賞者の名前はチャールズ・ピーターソンだ。 彼は大韓帝国が暮れていった1904年釜山(プサン)で生まれた。 ピーターソンのお父さんは平安道(ピョンアンド)雲散で勤めたノルウェー人技術者、お母さんは日本人貿易商の娘だった。 1893年結婚にゴールインした二人は露日戦争を避けて釜山(プサン)に引っ越してきたが、こちらで三番目の息子ピーターソンを産む。
 
◀1904年釜山(プサン)で生まれたチャールズ・ピーターソンの生前の姿.
 
ピーターソンは韓国で初めて化学と縁を結んだ。 ピーターソンが4才の時、お父さんは家族を連れて北朝鮮の鉱山地域で再び移住した。 鉱山では毎月大掃除日にシアン(Cyanide)を利用して金を抽出した。 ピーターソンは後日、"シアンに金が溶ける姿が本当に美しかった"として"これが出てきて化学の初めての出会い"と回顧した。
 
8才の時韓国を離れて米国と日本で化学を勉強したピーターソンは42年間多国籍化学会社デュポンの研究員で仕事をする。 デュポンでクラウン エイトを発見した功労で1987年ノーベル化学賞を受ける。
 
 
 
ノーベル症の初期症状について

ノーベル賞受賞者の中には家族全員がノーベル賞を受けた「ノーベル賞一家」がある。有名なキュリー夫妻だ。ポーランド出身のマリー·キュリーとその夫であるフランス人ピエール·キュリーは1903年ラジウムの研究でノーベル物理学賞を受賞した。キュリー夫妻の娘のアイリーンジョリオ - キュリーと義理の息子フレデリックジョリオ - キュリーも1935年の放射性同位元素を作ってノーベル化学賞を受賞した。家族で四人が一緒にノーベル賞を受けたのだ。
 
ノーベル賞最年少受賞者はわずか25才にノーベル賞を受けたウィリアム・ローレンス・ブラッグだ。 X線研究でお父さんウィルリホムヘンリープレグと共に1915年ノーベル物理学賞を受けた。 今でもこわれなかった最年少記録だ。
 
ノーベル科学賞を最も多く受けた国家はアメリカで231人がノーベル賞を受けた。 ドイツが82人、英国が76人でその後を追っている。 隣日本は15人がノーベル賞を受けた。 驚くべきことに中国はまだノーベル科学賞受賞者を輩出できなかった。 中国出身や中国系受賞者はいる。
 
2014年ノーベル科学賞発表は来週6,7,8日だ。 東亜サイエンスはノーベル賞に隠された話と統計、ノーベル賞候補模擬投票、今年受賞者業績などをひと目で見られるように特別ページを作って1日公開する計画だ。 特別ページは下バナーを押せばまっすぐ行くことができる。
 
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