ブラウン管テレビ、今あるだけでおしまいに
ブラウン管テレビのおしまい
シャープなど、来年で生産終了することに
結局ニホン製品の模倣だけでおわったテレビ受像機製造
(週刊テレビミーナ)世界中のリビングルームや部屋を占めて座って人々を鳴らし、笑わせたブラウン管TVが間もなく地球上から消えるように見える。 ブラウン管TVを作る日本のシャープなどが、来年を最後に生産を終了する予定だと、読売新聞が8日報道した。
現在、フィリピンでブラウン管TVを生産しているシャープは、来年春の生産を終了する方針である。ブラウン管TVを製造してきインドの2つの会社も来年中に生産を終了する予定だと新聞は伝えた。
1829年、ドイツの物理学者ブラウンが開発した「ブラウン管」を利用して誕生したブラウン管TVは最近の製品とは異なり、画面がふっくらと飛び出してきたのが特徴である。1946年、米国のRCAが量産を開始し、本格的に普及した。日本では1953年に、シャープがブラウン管TVを量産し始めた。
全世界のブラウン管TV生産台数は、2004年の1億6593万台で最高潮に達した後、液晶TVなど押されて下降傾向を示してきた。2008年からは生産量でも液晶TVがブラウン管TV上回った。ブラウン管TVの事後処理業務を行っている廃金属·便利資源リサイクル技術開発事業団のジョボンギュ団長は「ブラウン管TVが影響を考えると、私たち人類に一つの時代が幕を下ろすことも見ることができる」と述べた。
(翻訳:みそっち)
まあどこの世界でもテレビ放送の開始とテレビの普及はどちらかだけが10年も先に進むなんてことはないのですが
韓国のテレビ放送の歴史はまさに”Kの法則”だったソウルテレビ放送は、5·16以降、軍事政府が設定を推進し、1961年12月31日に開局した国営テレビ前の放送で、ソウルテレビ放送開局をきっかけに我が国も本格的にテレビ放送の時代が始まったのである。実は韓国に初めて出現したテレビ放送は、1956年に開局したHLKZ-TVである。米国RCA主導で開局したHLKZ-TVは、民間の商業テレビ放送だったんである。しかし、経営難を経験し1957年2月に大韓放送株式会社が買収してDBC-TVに名称を変更して新しが改編された。しかしそれからまもなくの1959年2月1日の火災で放送施設のすべてが火に乗って困難を経験し、最終的にチャンネルが国に回収された。したがって、我が国で本格的にテレビ放送が始まったのは、ソウルテレビ放送が開局した1961年の後であるとすることができる。
札幌冬季オリンピックが1972年だそうです、
ニホンではその放送はカラーでしたからカラー受像機もわざわざ街角まで行かなくても見た人もいるのかな?。1970年の大阪万博も1969年のアポロ月着陸もカラー放送でした、もうちょっと前のケネディ暗殺1963年の頃は白黒放送がだったかもしれません、じゃぁ東京オリンピック1964年はカラー放送だったのかというと読者さんが解説してくださいね。
その一方で韓国でカラー放送がはじまったのは1980年だそうです、1980年といえば金八先生だった頃だそうですが韓国ではテレビ放送はすべてが白黒放送でした。そうなるとどうしてもカラー放送が見たいということでニホンに近い釜山あたりではアンテナがニホンのほうを向いていたとかどうとか。韓国のテレビはニホン製部品でしたからアナログ放送だった当時の放送形式はニホンと同じなのでチャンネルが混信するぐらいでカラー放送がみられたらしいです。そうなると欲しくなるのはカラーテレビですが、韓国で放送の始まるまえからニホン製のカラーテレビはかなりの台数が韓国に運ばれていたという話です。
回すチャンネル? なにそれ?
おまけ
お探しのオート三輪はこれかな? 360のはありませんでした。