綿甲、常設展示で話題にっ
あの綿甲が展示されているんだけど
銃弾阻止してくれると信じた朝鮮の綿の鎧、実際には脱力するだけ
綿布30重に重ねて作るの…国立中央博物館・近世館の再編によって展示中
[歴史ミーナ]国立中央博物館が中世・近世館の朝鮮室再編によって2日から19世紀末の朝鮮軍人が着用した防御用の綿鎧である'綿甲'を常設展示している。
この綿甲は綿30重で作られ、主人はコングンオク(孔君玉)という人だった。 綿甲の内側に彼の名前を墨で書いてある。 彼が誰だか確実ではないが、朴珪寿(朴珪壽。1807~1876)の文集'瓛齋集'にそれと見える人物と推定される。
綿甲は首の周りは丸くて行く手が長く、裏側は短い前長後短形形態だ。 左肩は縫い目なしに一枚で連結され、着用のために右肩を開いた。 袖と襟がなく、片脇はすべて開いた状態であり、横にかかったひもをつって着用した。 前側が82.5cm、裏側は75cm、厚さ1.5cm、重さは5.5kgであり6つの文様が黒色に捺印されている。
このような綿甲は新式小銃で武装した外国軍人たちの銃弾防御用として開発された。 しかし、綿甲が鳥銃弾丸を防ぐことができたが、新式小銃には役に立たなかった。
※鳥銃とは火縄銃のこと、新型小銃はゲーベル銃やスナイドル銃のことらしい、明治期になるとニホンから大量の旧式小銃が朝鮮に輸出された。
(翻訳:みそっち)
特に映画化にあたって検証された弓矢対決では大丈夫だったため現在ではあらゆる銃器に効果的であるとされていたりする。(クリックすると別窓ね)
過去カキコより
朝鮮興宣大院君が開発したとされる鎧や防弾ベスト。 (要出典)
丙を行った後、大院君が戦力増強のためのアイデア公募をして作った製品の一つとして、ギムギヅ(金箕斗)とアンユン(安润)という人が考案したもので、捕獲したフランス軍の銃を使用して穿孔がされていなるまで実験した結果、12倍の麻布を重なり、弾丸が貫通できないのを見て、念のためにした折目を追加して採用した。(要出典)
ただし、開発プロセスは原始的であり、科学的な研究の末に出てきた結果ではないが、何枚かの繊維を重ね弾丸の運動エネルギーを受け止める原理自体は、現代の防弾服と同じものである。 (要出典)
当時米軍は弾を受け止めるよろいの存在に荒てたことと見えて, その重い点を捕獲してアメリカに持って行った(要出典) 最近までスミソニアン博物館に保管されて来たことが世に知られて, この防弾チョッキの存在が韓国に知られた(要出典)
この鎧は実戦に使用された辛未洋擾当時(要出典)、米軍が使用する銃弾をことごとく防いでただけでなく、刃物も防ぐことができて(要出典)、米軍は朝鮮軍の顔を撮影しないとバットで殴りつけ打つした。 それ以外は通じる武器がな かったという。(要出典)
※原住民に発砲しても死なずに立ち向かってきたという記述はフィリピンのモロ族がベースになっているでしょうという分析があります。(モロ族は1901年)
塗るだけで治るクスリがあればねぇ