落下傘訓練中に小銃の紛失? 小さい小さい
小銃紛失? 韓国軍は武器紛失をいつリセットしたんだ?
特殊戦司令部の落下傘訓練中に小銃の紛失…六日目捜索中
この13日、京畿道広州で落下傘降下訓練中に紛失
この13日、京畿道広州で落下傘降下訓練中に紛失
過去には一個軍団の装備をまるごと無くしたこともある韓国軍って
軍は六日目捜索作業を行っているが、捜索範囲が広く小銃を探すのに困難を経験している。
幸いなことに紛失された小銃には実弾が入っていなかった。
陸軍関係者は"該当小銃には実弾が入っていなかった"、"小銃が紛失された正確な事故経緯を調査している"と説明した。
陸軍関係者は"小銃が高い高度から降ったため、落下地点を特定することは容易でなく、捜索範囲を広げ、作業をしている"、"地域放送を通じて民間人を相手にしても小銃を発見した際、積極的に通報できるように誘導している"と明らかにした。
(翻訳:みそっち)
武器の紛失はね、韓国軍では無いことになっているのですよ。無いのです
どうやらこれは何年かごとにリセットされるみたいなんですよね。
過去カキコ:カウントされていない小銃紛失事件、銃回収
まぁ古くは朝鮮戦争のころのハナシになるんですが、
"あなたの軍団はどこありますか?"、"わからない"縣里の戦いで惨敗した3軍団は、米第8軍司令官ヴァン・フリート将軍によって同年5月26日、電撃的に解体された。 また、1軍団指揮権も米8軍が直接統制するなど、作戦統制権が米軍に引き渡されるきっかけとなった。当時、3軍団解体の過程でヴァンフリート将軍と劉載興(ユ・ジェフン)将軍との対話は有名なエピソードで残っており、これも軍内外では取りざたされている。ヴァン・フリートは、"劉将軍、あなたの軍団は今どこですか?"すると、劉載興(ユ・ジェフン)将軍は"分からない"と答えたという。これにヴァン・フリートは"あなたの隷下師団はどこですか? すべての砲と輸送装備を喪失したというのか."と詰問すると、"そうです。"と答えた。 これにヴァン・フリートは"あなたの軍団を解体します。 他の補職でもやってなさい!"と話した。
んまぁわかりづらいのはいつもの通りですけど、劉載興(ユ・ジェフン)将軍っていうのがいて縣里戦闘っていうので兵力の6割を失ったのだそうです。それは1951年5月ですね。
韓国軍の将軍ですからこれはもう、ニホン陸軍に4年いただけで、朝鮮戦争前から韓国軍の偉い人だったのですよ。ニホンでお馴染みのペク将軍とどっちが偉いのかというと、進級はちょっと早くてどっちも師団長だそうですから似たようなものなんですけどね
そしてこのひとは割と長生きしたのですが、2011年に亡くなりました。朴正煕のころに重用されて、タイ、スエーデン、イタリアなどの大使をやってましたよ。ぺク将軍のほうはその時に中華民国(台湾)の大使でしたから軍人出身者としては破格の昇進ですよね。
埋められたのは国立顕忠院というお決まりのコースです。するとそれに反対する意見が出てきたのですね。『最悪の敗戦将軍を国立顕忠院に埋めるのか』ってね。
ぺク将軍ってまだ生きてるじゃないですか、でもあの人だってひどいんですよ。ぺク将軍はソウル陥落前は開城(現キタ朝鮮)にあった第1師団長ですが、戦争開始から2日で部隊は後退しながら漢江を命からがら渡って後方に集結してみたら半分しかいなかったというんです。
ええ、ぺク将軍の部隊があったのはその時までですよ。彼はその後、”戦う韓国人将軍”ということでお写真には登場しますが、彼が指揮した部隊はどこにもないのです。 つまり稀代の敗戦将軍といえばぺク将軍のほうなんですよ。 彼は自分の師団のあった場所をキタ朝鮮軍に占領されたという韓国軍でも指折りの将軍ってことなのです。 ※開城市は開城工業団地のあるところ
さておき、心配してるのはぺク将軍が死んだらきっと”最悪の敗戦将軍”と呼ばれるのかなってことなのです。ニホンでも彼の信望者がいるらしいんですが、とにかくひどいんですよ。
ぺク将軍の”超時空戦記”はいくつかあるんですが、最近になってまとめられた インタビュー みたいのがわかりやすいと思います。彼自身の口から”彼の部隊”の動向はひとことも出てきません。そりゃそうです指揮してたのは開戦初期だけなのですから。
朴正煕の時代には軍人の地位を上げることが必要だったのでしょう。
そうなると、韓国軍の大活躍さえも組織的に捏造するようになったのです。
ところが、韓国軍は朝鮮戦争の時に大統領の李承晩はわずか3週間目(7月14日)に軍事統制権、作戦統制権を米軍に渡してしまいます。これってつまり、指揮命令系統が米軍の指揮下に入るってことです。すると戦闘の記録も米軍に残ることになるんですね。
そうなると、自由に創作できる超時空戦闘記録というのはそれまでの期間だけということになりますよね。なにしろ戦闘の全てをアメリカ人が命令して、その結果もアメリカ人が記録しちゃうわけですからインチキができなくなるのです。
しかもそれらの与太話が出てきたのは恐れ多くも、朴正煕の時代になってからというわけです。朴正煕の時代に、その取り巻きがどんどん戦果を水増ししたのです。
朴正煕自身は朝鮮戦争では大した活躍をしていませんから、当時から有名だった各種将軍が邪魔だったので、もちろん口封じのために各国大使に任命して追いだしを図りながら、彼らのいなくなったところで戦果の水増しをしたというわけです。
あることないこと自慢して話す韓国人ばかりのなかでニホン軍出身の将軍ってあんまり話さないじゃないですか。
韓国に戻ってきてみると ”アメリカからも勲章が届いていたし自伝まで出版されていた” というのですから、その驚きようといったら無かったでしょうね。
指揮したこともない部隊が大活躍してキタ朝鮮軍を蹴散らしたと言うのです。
そういうわけで韓国軍の将軍はみんな無口なのです。